京都府知事選について
京都民報(4/14)に 共産党府委員長の選挙報告演説(4/8)が掲載されています。その要旨は「六党の基礎票が87万票に対して共産党は18万票でありましたが、(その基礎票を基準にすると)今回の得票で六党は45%減に比べ、森川票は210%増でありました。無党派から50%、社民支持から76%、自由党支持から77%、民主党支持から39%が森川候補に流れたのであります。「オール与党体制」の終わりの始まりこれが選挙戦の最大の特徴です」
私はこれを読んで違和感をおぼえました。それは終わりのはじまりという評価です。選挙中は厳しい選挙だという声に対して、上記の基礎票の分析については一切触れないまま「必ず勝てる」「財界の大物が(敗北をみこして)逃げ出した」「転換の歴史的瞬間に立ち会う」と当選を当然視し、当選を得るための根拠を問う声にたいしては「この有利な情勢に確信がもてないものは負け犬根性だ」と叱咤していた共産党幹部の言動とはあまりにもへだたっています。選挙前、選挙中一貫して「オール与党体制」を終わらせるというのが確実な目標であったはずです。その確実であった目標がくつがえってしまったわけですから、目標を必然としてかかげた指導部としてはその弁解、反省がまずあるのが当然でしょう。終わらすことができなかった原因にふれもせず、一夜明ければ「オール与党体勢の終わりが始まった」とさらっと言われては、終わらせるために懸命に活動してきた私達の苦労は報われません。終わらせる戦いであったはずなのに、それは序曲でしかないという評価なら、最初にかかげた必勝という目標、選挙中の出来事を陣営に有利に解釈して楽観論をふりまいた指導はいったいなんだったのでしょうか。共産党府委員長のこの「終わりの始まり」発言は、自らたてた選挙の目標達成をあいまいにごまかし、当選できなかった総括の視点を曇らせるばかりでなく、次の市長選、知事選を準備する以前に「終わりの始まりはやがて終わるはず」という楽観論の前提となっており、敗北路線のレールを引いてしまったと言って過言ではないでしょう。
今、日本共産党の存続が危うくなっていることに、京都の共産党員のほとんどは気がついていないのではないでしょうか。それは昨年7月の東京都知事選の共産党票の結果を総括すれば一目瞭然です。この選挙で共産党は議席、得票数、得票率の三点を同時に減らしました。過去の首都選挙でこんなことはありませんでした。三点セットで減少させるということは、都民から首都では共産党が不必要と意思表示されたことを意味します。この首都での敗北を真摯にうけとめ対応を講じなければ、日本共産党の発展はありえません。
ところが不破議長は「小泉人気のもとで、野党として得票率を伸ばしたのは、日本共産党が唯一です」と都議選の評価において白を黒といいくるめる報告を堂々としているのです。このことは2001.7.12のさざ波通信党員用蘭の山〇田僚氏の分析が実にすばらしい。
敗北を勝利とおきかえるおろかさは、天皇制軍隊の大本営発表でこりています。この不破式総括は昨年京都府城陽市市長選挙で、共産党推薦の大西現職市長が落選したときの総括でも、さっそくまねをされ、落選したけれども負けてはいないというような理解できない総括がなされています。
京都府委員会の知事選挙総括がだされるのはずっと先です。みんなの熱気がさめ、失望感が行きわたったころにだされるのが通例です。そこで私は忘れないうちに問題点を整理し、焦点をみきわめることによって、正しい総括がなされるのかどうか、みなさんの判断材料をここに提案したいと考えます。
得票の結果について(投票日2002.4.7)
荒巻府政の継承を公約し六党推薦の山田氏が482000 48.6%(前回は512.000 58.6%)に対し、変革をかかげた森川氏が391.000 39.5%(前回は361.000 41.4%)、中川氏が99.000 10.0%(前回は立候補なし)の結果となった。このうち八木町長をおりて立候補した中川氏(自民党員))は京都JAの会長であり、その政治姿勢は保守であるはずだが、「官僚政治に反対する」という政策で無党派票をあつめたようだ。
保守系候補が二人あらわれて千載一遇のチャンスと期待した民主勢力は、首長選挙のキー票である無党派票を集めきれず1974年以来の知事奪還は惜しくも涙をのむ結果となった。
今回知事選挙の特徴5点
特徴の1 政治情勢
今年にはいり小泉内閣の構造改革の痛みが本格化するなかで、その驚異的な支持率が急速に下がりだした。京都府でも中小企業の倒産があいつぎ、小売店の廃業、失業者の増加と経済環境は全国でも16位(個人所得)と蜷川府政以来最悪となった。(蜷川府政時では五位)
2月20日の田中真紀子での国会発言、続く鈴木宗男の追求で政治家の金儲けの汚さが暴露され、連鎖的に加藤、辻元問題が起こり政治と金の問題が選挙中の話題となる。また3/31投票の横浜市長選挙で与党三党(自公保)推薦の現職が新人に敗れ、マスコミは改革ムードを流した。
特徴の2 候補者選びの遅れと全員新人ばかり
候補の決定時期 森川1月 山田2月 中川2月
特徴の3 野中前幹事長政治生命をかける
野中は地元選挙区から謀反され、自身の政治生命の短命と影響力低下を宣告されたと受けとめ中川の基盤であるJA(約11万票)幹部への工作と、自派(橋本派)の決起に総力をあげ、橋本派議員秘書(100人)を京都にはりつけた。(朝日新聞)
特徴の4 創価学会は全国動員しないで普段の選挙体勢。
公明党は自民党政権参加への説明不足、自衛隊海外派遣への積極行動、鈴木宗男議員辞職勧告案への反対等からきた創価学会内部の疑念や不満を払拭できず、自民党と距離をおく姿勢をポーズする必要性が生じた。今回創価学会員に対して強調されたのは、山田を勝たせるのは自民党に協力するということではなく、共産党に勝たせない、共産党をやっつけるということだ、いう指導だった。
特徴の5 共産党の方針変更
1 2月中旬、選挙中の共産党独自活動のスタンスの確認
2 従来の「民主府政の会」の構成の一団体としてではなく、共産党推薦ということを前面にすえる。
3 1の決定の流れから、今回は全国動員を要請しない。
特徴のうちその2ですが、昨年京都財界首脳は民主党を抱き込み、京大教授を知事候補として推薦しました。ところがその人物に野中は難色を示し、山田を推薦したのです。財界はメンツがつぶされた格好になり、京セラの稲森はへんねしをおこし、海外へ出張と出かけてしまったのです。このことをとらえて共産党の一部幹部から「財界は選挙のまけを予測して逃げ出した」という楽観論が選挙情勢として伝えられたのです。この楽観論は稲盛が終盤において京都市内を応援に歩いているまで続いたのですが、全く根拠のないおそまつな見方を相手の選挙情報として流したものです。そのほか、野中の政治力がパワーダウンしたとか、横浜市長選挙の結果は京都の流れを変えると京都民報までが、「横浜ショック」というみだしでマスコミの記事を引用する形で情勢を有利なように演出しました。(真実は、例えば野中色の政治カラーが小泉風に替わっただけのこと)
特徴の3と5の比較ですが、危機感をもった野中は、特に府下のJA幹部への工作を強化しました。次に山田の知名度が低いことを最大の弱点と考え、地域、職域、企業、団体等あらゆるグループでの山田推薦の決議をうながし、それは七千以上の過去最大の団体推薦となったのです。これはJAにも波及し、中川の基盤(11万票)をくずし3万票以上のJA票を奪還しました。
一方森川陣営は候補者決定のおくれと選挙戦突入寸前の共産党の方針変更がかさなり、各団体の推薦決議はおくれ、小集会は前回ほどには開催されないまま、前回よりもかなり準備不足で告示日をむかえることになりました。
知事選の目標は躍進だったのか、当選だったのか
森川候補の必勝が目標でした。しかし具体的には地域、職場、団体での当選可能票の論議よりも、後援会員の十倍が目標と画一的に決められました。十倍の支持をとりつければ当選するという方針は毎度のことであり、毎度その十倍は達成されているのですが、当選は得られません。活動家にとっては目標は達成したのに何故当選できなかったのか、という疑問が生じるのですが、この疑問にこたえる総括は過去において皆無です。今回も戦術面でこの支持拡大運動はおおきな柱として位置づけられながら、全体的な到達度合いの情報は選挙中支援者に報告されることは今回もありません
でした。幹部に質問しても「私はきいていない」「発表されていない」とまるで遠い世界の選挙のようであり、しゃべることは新聞にかかれている記事や噂のコピーでしかなかったのです。目標は「必勝」であったのですが、実際のたたかいは楽観論がふりまかれるなか、つめはまったく甘かったのです。
例えば4/8の演説者府委員長は「参院比例票で相乗り六党の合計票は87万票、共産党は18万票」と言っていますが、それは選挙が終わってからいうよりも、選挙中に引き締める意味で言うべき大切な情報です。それを言わないでおいて、「財界は逃げ出した」と言えば、味方に油断を生じさせる大ボカと言わざるをえません。
詰めの問題でいえば、無党派層対策がなかったことです。無党派という言葉が定着していらい、選挙で負けるたび、「無党派層対策の必要性」が総括で述べられながら、無党派層の定義すらできずにほったらかしにされています。「無党派とは政治的に未熟な層」とか「政治的におくれた層」といった一面的な考えの幹部がいます。無党派こそ未来の支援者という視点の確立が大事な詰めです。ついでにいうならば、横浜市長選挙の結果の捉え方も「相乗り候補が敗れた」という単純な森川有利という解釈ではなしに、無党派層のなかの潮流や政治への期待、投票動機の分析をふまえた情報を発信する配慮がなされなければ、とりこぼしが多いだけでしょう。
さて候補者に投ぜられる有権者の票は次の三つの動機に大別されます。
政策票 各候補の政策イメージ(必ずしも候補の主張とは一致しないマスコミイメージもある)で投票する。
組織票 基礎票とも言われれるが、支持する政党が推薦するから、支持する議員から懇願されるから、所属する組合の推薦だから、予算の割り当ての恩恵が受けられそうだから(企業)、という動機で投票する。
個人票 候補者のイメージ(例えば、知名度、キャラ、経歴、容姿や態度、演説)で投票する。
このうち組織票は参議院選の比例区や衆議院選の小選挙区の票数がモデルとされますが、それは無党派票が含まれている票数であり、本当の意味での基礎票でないことは、今回の知事選が証明しています。(山田の得票数のすくなさは六党の87万票中にいかに無党派票が多くふくまれているかという証明)
組織票としてあげられる具体的分類は、次の6点です。
1、政党員。2、高級官僚。3、上場企業管理職。4、支援団体員(創価学会員等)。5、府市町村議員の後援会。6、JA幹部や遺族会等の保守基盤ネット。
このはっきりと色分けられた団体によって集積される票は計算してみると京都府ではざっと革新保守合わせて50万票ぐらいであります。
なお1の政党員ですが、実体のある党は自民、共産、公明の三党です。自民党の場合は、議員を核にする地域に影響力のある地域党員と、企業もしくは業界を単位とする職域党員が主でなりたっています。共産党は地域、労働組合、民主団体に党組織があり日常的に活動をくりひろげています。
公明党は京都府では数千名の党員を有していますが、党組織として日常的な党活動は議員活動だけです。また票集めは創価学会がうけおっておりそれは討議による政治活動ではなく、教壇の絶対的な上位下達のシステムを利用した、マインドコントロールによるものです。しかしそのマインドコントロールに疑問をもっている学会員も京都で4.5千人存在しています。
その他の政党は議員や秘書の集合が党であり、それ以外の活動組織はほとんどありません。
また上記の6分野での組織で、日常的に政治活動をおこなっている人数は私の調査では京都府下で約25000人です。この人たちが京都の政治のそれぞれの流れを作り出し、組織のネットワークを形成する核となる部分です。このうち最大の活動集団は共産党で約13000人です。
個人票とは、 文字通り党派よりも候補者個人への期待票です。古くは青島幸夫、横山ノック、田中長野県知事らが集票しています。共産党でも個人票はあります。参議院京都地方区では、西山とき子は個人票を上積みして当選するのに、同一選挙区で加味根、河上洋子候補は当選できません。
このように票は3分類できますが、今焦点の無党派票というのは、政策票、個人票にはいります。無党派というのは、政治に関心はあるが、支持する政党は特定せず、選挙時に政党や候補をそのつど選択する人たちのことです。京都府では50~80万人存在します。この人たちをいかにゲットするかが選挙参謀の最大の任務なのです。この任務に党命をかけているのは、組織の希薄な民主党、自由党、社民党であり、自民党は小泉のムードメーカまかせです。そして気にはなるがどう対応していいのかわからないのが、公明党と共産党です。