知事選のまとめ
必勝の作戦は?
京都市内ではほぼ互角(有権者112万人)でしたが、郡部では山田253000(52.8%)、森川169000(35.2%)、中川57000(11.8%)と差をつけられ(郡部有権者総数92万人)、その差が結局当落の差となりました。しかしその郡部をさらに京都市のベッドタウン的市部である、宇治市、亀岡市、城陽市、向日市、長岡市、八幡市、京田辺市の七市(有権者数487000)の選挙結果では山田108000対森川(90600)票であり、その差は郡部平均よりおおきく森川支持に傾いています。結局のところ自民党の強力な基盤である農村地域(有権者872000)の票が勝敗を決定したのでした。これは国政選挙でもおなじことです。農村人口は国民の2割しか占めないのに、国会議員の5割が選出されるのです。この選挙制度の不思議さに首をかしげても、文句を
いっても、そういう選挙制度を作った側、あるいは政治的恩恵をうけている側からすれば、「あはっはっは」と笑い飛ばすだけでしょう。角栄の名言「政治は力なり、力は数なり」は政治の本質なのです。
さてそういう「力は数なり」の京都知事選挙で、森川陣営はその数を有効にあつめる方策をどううちたてたのか、次の4点に整理して考えてみましょう。
1 支持をあつめるためのキーワードは?
2 ライバルの政策への批判、反論は?
3 無党派層へのはたらきかけはどうするのか?
4 選挙体勢の戦術は万全だったか。
1.2については「くらし応援、あったか府政」を合い言葉に、経済、失業者問題、福祉、教育、環境景観、情報公開等具体的に目標数値と方策を森川陣営は明言しました。
それにひきかえ山田陣営は「地方分権、継承」、知的資源の活用、新産業の創出、ゆとりある大都市空間の形成、といった抽象的な言葉の羅列で、その裏付けとしてなんの方策もしめさず、ただ蜷川時代の負の遺産(行政のおくれ)をいうだけでした。
25年前の知事の悪口をいうだけの政策のなさ、しかも彼らが合い言葉にする道路や府下の経済指数は蜷川時代のほうがはるかによいのですが、多くの権威者がうそを合唱すればそれなりに信じる有権者がいるのも事実です。選挙は政策の実体の真価よりも、それらしくうまく伝えたほうが有利というのも本当なのです。
3にあげた無党派層への働きかけの森川陣営の方針はどうだったのでしょう。陣営として無党派層を意識した方針はなく、それは従来どおり個人の支持広げ活動にまかせたり、勝手連の活動にはできるだけ協力するといったところでした。これは先に「視点3」でのべたように、共産党ではこの点での対策はまだ確立されておらず、暗中模索という泣き所なのです。
しかし改善されつつあります。市長選挙のとき「かえるねっと」との接点にいて、その傲慢横柄な態度で若者から批判された幹部は改められたり、HIVの川田龍平さんが応援にきたり、坂本龍馬のパフォマンスが出現したりと、2.30代や無党派を対象とした選挙活動がとりくまれだしました。無党派層の多くがもっているといわれる既成政党アレルギーをどう味方にするのか、今後の課題です。無党派対策はどうするのか、共産党は早急に方針をたてるべき時期です。
4.選挙体勢戦術について、たたかい方をひとことでいうならば、へたな作戦と、執念のなさです。知事選挙で革新が勝利するケースは市内で6~10万票以上(投票率、候補者数で変化する)リードすることが鉄則です。この差をいかに情勢分析しリードをいかに導くかが選挙参謀の一番の役割です。
はたして、そういう作戦はとられたでしょうか。否です。後援会員の10倍の支持集めをするのが目標であり作戦のすべてでした。郡部ではこれだけ、その不足分は市内でおぎなう、この行政区はこれだけ必要だといったような分析、情報は最初から最後までありませんでした。数を争い、勝敗をつけにいきながら、数字の動勢には無頓着でした。黄色の支持カードの集計はなんだったのでしょうか。そのカードは行政区別に集計され、それが実際の投票数と関連される情報になって威力をはっきするのです。どの地域にもっと力をいれなければならないと。ところが、集めただけで、それにともなった情報の宝の山は返されませんでした。幹部に「全府的な進行は?」ときいても「さあ~」と首をひねるだけです。毎日結集した活動家は、楽観的な比喩話や噂話を幹部から聞かされ、肝心の本部に集約されている生情報は伝えられることはなかったわけです。どうしてこういうことが毎回おこるのか。
ひとつは幹部の姿勢の問題があります。
A 最初に提示される方針を100%正しいと受けとめ、この方針で本当に必勝できるのかどうか考えられない幹部。不勉強のため自分なりの選挙のイメージがなく、上意下達になれきっている。
B 幹部の仕事は、上の方針をロボット的に伝達することが第一義と思いこんでいる。
C 上の方針に疑問をもったり質問することは自分の不勉強さや日和見主義のせいであるとおもいこんでいる。したがって下からの意見で、範ちゅうにない意見はごまかすか無視する。
私がここでいう幹部とは各選挙事務所の長や戦線分野の長のことであり、京都府下では約50名前後の人たちのことです。すべての幹部がABCであるとは思いませんがその傾向にあることは否定できません。一例をあげます。今現在でこの知事選の総括をやりおえたところはあるでしょうか。多分ないでしょう。もう一ヶ月がたとうとしているのにそれは何故か。それは府委員会がまだ総括ができていないからです。何も府の総括をまたないでも、その幹部の担当した戦線での総括はその気があればできます。いやそういう総括がつみかさなって、府全体の総括ができるのです。ところがそういう順序を自覚している幹部はいないようです。受け身なのです。府の総括がでて、それを上位下達式に自分の戦線にあてはめ、府の総括文章を切ったりはつったりして総括とするのが仕事だと思っているのです。総括は運動の次の方向をきめるかなめです。わが戦線は自力でやるものなのです。その自力でやる過程でよい活動家が育ち、幹部が教育しなおされるのです。しかし総括をしない幹部、総括のできない幹部が運動の中心にいるのが現状といっても過言ではありません。
ふたつ目はこのような幹部を生みだすシステムの問題です。そのひとつのシステムは集団指導体制というシステムです。このシステムは個人独裁
を防ぐものとして考えだされたのですが、副作用として責任者不在になってしまいました。みんなで決めたらこわくない!衆議院議員梅田勝氏、藤原ひろ子氏二人落選させたときも、321票差で市長をおとした時も、楽観論を先行させて井上選挙を大敗させた時も、そこにはそういう状況判断をあやまった責任者が必ずいるはずです。しかし集団指導ということで責任者は隠れたまま、総括もその状況判断があやまった過程はタブーとしてふれることなく、反共攻撃のせいとして不正確な総括ですまされてしまいました。自民党や他の政党では大敗の責任者はその任務を辞することによって、新しい幹部の誕生と体制ができるのですが、共産党の場合はそれがありません。せりあった選挙にまけた場合、方針、戦術、状況判断、に原因があるのですから、その指導側の問題も検証されなければなりません。その検証が避けられたまま、反共攻撃のせいと総括されたのでは、それは幹部の責任を問わない弁解であると同時に、敗北原因が検証されないまま、次の選挙にマンネリがくりかえされることになります。
そのふたつ目のシステムは民主集中という制度です。その良否は違う場にゆだねるとして、この制度の欠陥が上記のABCの幹部発生の土壌になっていることはいなめません。会議中に自分のノートに記録をとらない幹部、総括をできごとの羅列の作文でことたれりとおもっている幹部が多いのではないでしょうか。すなわち上位下達を本分とし、それ以外のことは見ざる、聞かざる、言わざる、しざる、になってしまう。したがって自分の思考、発想、意見はもたず、赤旗や上の文書の文言をくりかえす。いささか極端な幹部像ですが、このような傾向をもった幹部が民主集中制度の弊
害として実在しているのは事実です。
この二つのシステムはよい面もあるでしょうから、その賛否論は別の場でやればいいでしょう。私が言いたいのは、このシステムの運用面で充分な注意をはらわなければ上記のように運動を故障させる要因になるということです。
知事選の政治的意義と展望
「3万票も増えたし善戦だった」という評価がどの会議でも幹部から言われます。投票率が前回より5%、投票総数では103000票多いのですから、森川候補の支持率を求めれば4万以上の上乗せをして前回並みという計算になります。だから3万の上乗せを善戦のよりどころとするのは、我田引水的評価です。得票数が増えたという水準は402000票以上の獲得であり、それ以下は前回を下回った獲得票なのです。
しかし私は別の意味で前進した選挙結果と評価できると考えます。
共産党の支持率は最近急速に下がつています。各政党がしのぎをけずる選挙としてわかりやすいのに参議院比例区があります。この選挙でみますと89年は得票率7.0%だったのが98年では819万票(14.6%)15議席獲得まで伸ばします。しかし、01年では432万票(7.9%)4議席と約半分に惨敗したのです。89年はベルリンの壁崩壊、天安門事件が背景にあり、そのときやるっきゃない宣言でマドンナ旋風をひきおこした社会党は大勝し、やがて権力にとりこまれ、支持者から見放され解党同様になっていきます。
01年の情勢としては、小泉首相80%の支持率が背景にあったのですが、共産党の方にも政策の変化がありました。97年21回党大会で「21世紀の早い時期に民主連合政権を実現」と決め、98年の第3中総あたりからその具体的な兆しがわかるようになりました。管氏の首班指名や、自衛隊容認などがそうです。今回の連合政権案は70年代の連合政府構想と根本的にちがう点があります。以前は安保条約廃棄を旗印にしたものでしたが、今回はこれを凍結(棚上げ)し、自民党政策に反対するという点で連合するというわかりにくい政府像になっています。旗印がないのですから、どんな性格政
権なのかわかりにくい。例えば今共産党が連合候補としている民主党、保守党は憲法改定を公言しているのですから、そんなところと「連合」といわれても国民はとまどうばかりです。私はこういうとまどいが特に無党派層をして失望感をうみ、先の都議選や参院選の大敗北になっているのではないかと考えています。
共産党が支持されるのは次の3点の理由が大きいと考えます。
1 共産党はすじをとおす。
2 共産党は権力の悪、大企業の悪、同和の横暴、やくざの暴力にたちむかう。
3 共産党は社会的弱者に手をさしのべ、救済の方法を考え実行してくれる。
他党にないきわだったこの3点のイメージが薄められぼかされてきていると01参院選挙の結果が語っているのではないかというのが私の危惧です。
都道府県首長選挙のなかで、自公保民自社連合に対して共産党一党が互角に闘えるのは、日本ひろしといえども京都だけです。いや世界の先進国のなかで、よろめいていない共産党としてこれだけの戦いができるのも京都が№1です。
京都は蜷川府政時代を28年間もち、そのなかで権力にたいする連合を成功させました。そしてそれが崩壊していくのもみてきました。その教訓のひとつに、共産党からみて連合の相手がどうしようもない政党とはやるだけ無駄というのがあります。また連合する相手側からは、共産党と一緒にやれば自党がやせるだけという危機感があります。連合とは相手の同意があって成立するものです。京都の場合共産党と連合するぐらいなら、自民党と連合するというのが野党の変わらぬ姿勢です。六党対共産党、最近の国会よりもわかりやすいイメージです。自民党に対決するのは結局共産党しか
いないと。このわかりやすい正統な図式、すなわち今回の森川候補に期待された票は、わけのわからん野合はノーでわかりやすいのがよしという評価なのです。その評価が39%という善戦だったのです。この知事選で深刻な敗北をしたのは、民主党です。民主党府連は財界と共に候補をかつぎ、それが野中の一声でつぶされる醜態を演じました。今回支持者のやく半分(推薦した山田への投票よりも多い)が森川に投票し(出口調査)、民主党はいったいどの候補者を推薦したのかと、この党の推薦という信義がまったく色あせた選挙戦でした。
昨年の9.11以降世界は際だって右傾化しつつあります。日本では長引く不況と政治不安定をバックに、はっきりものを言ってるかのような幻覚をふりまいている石原慎太郎と小泉が右傾化に拍車をかけるでしょう。このような時代はその犯人探しと国粋主義を唱えるものに国民がひかれるのは、ヒットラーや226事件、シャロンやルペンが証明済みです。慎太郎が北朝鮮や中国を敵として声高になりマスコミの話題となったときが危険です。また政権につられて政党が主張を棚上げするのはもっと危機です。
その危険な前夜に京都の共産党は日本の革新のあり方として一党でここまで自民党をおいつめ、ふらつく民主党に活をいれたというのが、この選挙戦の大きな政治的意義なのです。(完)