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党員用討論欄

東ティモール問題について>フンコロガシさんへ

1999/10/16 編集部S・T

 東ティモール問題をめぐって、多国籍軍への日本政府の財政支出に共産党指導部が賛成したことを、私たちは『さざ波通信』第7号雑録論文の中で何点かにわたって批判を行ないましたが、この件につき、フンコロガシさんよりご批判をいただきましたので、お答えいたします。
 まず、フンコロガシさんは、「多国籍軍による治安回復行為が戦争行動でないのは明白であり、明確な戦争行動である湾岸戦争の場合とは明らかに異質なもの」と批判しています。しかし、これは、共産党指導部自身の見解と照らしても正しくないのではないでしょうか? もし、今回の東ティモールへの多国籍軍派遣とそこでの治安回復行為が、戦争行為にまったくあたらないのだとしたら、日本が財政的貢献だけでなく、直接的に人的貢献をしても、憲法違反にあたらないことになります。たとえば、日本政府から派遣された部隊が武装した上で多国籍軍に参加し、その中でいっしょに治安回復行為に参加することも憲法違反ではない、ということになってしまいます。しかし、わが党は、そうした人的貢献は明確に憲法違反であるとしています。
 今回の治安回復行為は、武装した軍隊によって行なわれており、武装した併合派民兵の武装解除をともなっています。これは、明らかに憲法9条が禁止する「武力の行使」あるいは「武力による威嚇」に相当します。実際、東ティモールでは、多国籍軍と併合派民兵との間で衝突がありましたし、一部ではインドネシア国軍とも衝突があったと伝えられています。そして、武装した軍隊が武装した集団を武装解除し、あるいは戦闘を交えるということは、国際法的に見て明らかに戦争行為の一種です。
 今回のような武力の行使をともなった治安回復行為が戦争行為ではなく、憲法9条に違反しないとすれば、当然のことながら、PKFへの参加凍結を解除してもいいことになります。しかし、多国籍軍への財政支援に賛成したフジテレビの番組の中でも、志位書記局長は、PKFへの参加凍結を解除して日本の部隊が治安回復行為に参加することに憲法違反として反対しています。
 共産党指導部が今回の多国籍軍への財政支出に賛成したのは、多国籍軍による治安回復行為が戦争行為の一種ではないとみなしたからではありません(少なくとも、そのような言い方はしていません)。そうではなく、人的貢献は許されないが財政的貢献は許されるという論理にもとづいています。したがって、私たちは、このような使い分けが、湾岸戦争時の共産党指導部自身の態度に照らして矛盾しているのではないかと指摘したのです。湾岸戦争当時、党指導部は、憲法違反である戦争行為に財政支援することは憲法違反である、という論理にもとづいて、湾岸戦争の戦費支出に反対しました。この論理にもとづくなら、当然、今回も、多国籍軍への戦費支出に賛成できないはずです。
 したがって、湾岸戦争時に反対したのに、今回賛成したことについては、明白な理由づけが必要になります。志位書記局長は、その理由として、フンコロガシさんの言うような、今回の治安回復行為は戦争行為ではなく憲法に反しないという理由は出しておらず、湾岸戦争は急ぎすぎた戦争だったから反対だったが、今回はそうではないので賛成であるという理屈を持ち出しています。私たちは、この志位書記局長の理由づけが妥当しないことを詳しく証明しました。当時、日本共産党指導部は、湾岸戦争そのものの評価とは別に、戦争行為に財政支援すること自体が憲法違反であるという論理を用いていました。私たちは、このことをふまえて、今回の対応との矛盾を指摘したのです。
 次に東ティモールへの多国籍軍派遣そのものに対する政治的評価の問題ですが、これは世界の左翼の中でも意見が分かれています。インドネシアの左翼やオーストラリアの左翼は、国連平和維持軍の派遣に賛成であり、むしろそれを積極的に推進するイニシャチブをとりました。フンコロガシさんも、かりにオーストラリアの側に人道以外の動機があったとしても、その軍隊派遣によって人道的効果が得られるのだから問題はないとおっしゃいます。しかし、この発想はやはり危険であると思います。
 他国に軍隊を送って、武力を行使するというのは、国内で警察が犯罪者を逮捕するというのとは根本的に次元を異にするものです。人道的効果があるというだけで帝国主義国による軍事行動を積極的に是認することは、「人道」の名による今後の軍事行動に対する歯止めをなくす結果になるでしょう。たしかに、現在の東ティモール人民の苦難を考えれば、そして東ティモール人民自身がインドネシア国軍による治安を拒否し(当然ですが)、国連平和維持部隊による治安回復を求めていることを考えれば、今回の多国籍軍派遣に対して積極的な反対運動をやることはできないにしても、それに対する政治的信任を与えることは共産党として避けるべきであったと考えます。
 最後に、「憲法9条は『肯定的に評価される行為』を否定する憲法なのでしょうか」という点に関してですが、9条は端的に言って、正義の戦争と不正義の戦争を区別することなくあらゆる戦争を放棄するというスタンスをとっています。これは、他のどの国の憲法にもないきわめて特異なものです。国連憲章は、侵略戦争あるいはそれに類似した戦争のみを否定し、急迫不正の侵略に対する自衛のための戦争、あるいは、国際秩序を乱した国に対する制裁のための戦争を、正義の戦争として肯定しています。
 単純に考えれば「正義の戦争は正義なのだから、それを肯定してもいいではないか」という話になりがちですが、現実がそう簡単に「正義の戦争」と「不正義の戦争」とを分けることを許さないことは、歴史が証明している通りです。憲法9条は、こうした状況をふまえて、もしかしたら「肯定的に評価されるかもしれない」行為でも、それが武力の行使を伴うかぎり否定するというスタンスを取ることで、「正義」の何よって繰り返されてきた「不正義の戦争」を完全に排除するという立場をとっています。
 したがってこの規定は、きわめて重大な制約を国家の側に課すものであって、侵略に対する自衛においてすら、国家の武装反撃を制約するものとなっています。この点はやはりきっちりふまえておくべきだろうと思います。
 最後に、雑録論文でも書きましたが、現在、国際平和の維持の名のもとに、日本の軍事的貢献論が盛んに流布され、それにもとづいた改憲論までが与党や野党の党首によって大手雑誌で展開されるという状況になっています。そして、次期国会では、この東ティモール問題を利用して、PKFへの参加凍結解除が持ち出されてくるでしょう。こういう状況下において、多国籍軍への財政支援に無条件に賛成することは、その時点での思惑を大きく越えた政治的結果を招来する危険性がきわめて高いと思います。