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一般投稿欄

佐々木陸海氏の動向についての2つの投稿に関しての私的体験

2002/9/26 木村愛二、60代、自由業

 以下の2つの投稿に関して、私的体験を記します。
 『さざ波通信』党員用討論欄
一般投稿欄藤原欽也氏へ。佐々木陸海氏の動向について
 2002/8/11 KM生、40代、公務員

 御質問の元衆議院議員佐々木陸海氏についてですが。萩原遼著「朝鮮戦争取材ノート」によれば、「宮顕の茶坊主」として党内で名高かった氏は、宮顕末期に衆議院議員(東京10区中選挙区)になりましたが、宮顕引退後は忽ち議員から降ろされたとのことです。20大会では常任幹部会委員でしたが、21大会で常幹から降ろされ平幹部会委員に左遷され現在に至っています。 [後略]

 そこで、上記の「般投稿欄藤原欽也氏」の投稿を探すと、
最近の日本共産党の周辺
2002/8/9 藤原欽也、30代、無職(裁判傍聴業)

 こんにちは。「半共主義者」を自認しながら体調を崩し、しばらく訪問させていただく事ができませんでした。[中略]
 小選挙区に単独立候補した陸海さんはどうしているのでしょう。[後略]
 私は、上記、旧知の萩原遼さんの表現として「『宮顕の茶坊主』として党内で名高かった」とある「元衆議院議員佐々木陸海」と、1991年の「赤旗祭り」で直接話したことがあります。その際、年上で党歴も古い私が、ほんの少し大声を出して叱りつけたところ、その「茶坊主」の「茶坊主」が、私を制止しました。
 当時はこの「茶坊主」の選挙区の中の武蔵野市の住民になったばかりの私は、1991年の湾岸戦争の前年の湾岸危機に際して、サダム・フセインと関係のあったチャウシェスクと関係が深かった「宮顕」が、アメリカのサウジ派兵を「根拠あり」とし、「アメリカ帝国主義」という言葉すら党内で禁じ、湾岸戦争に反対する運動を押さえ込んだことを知っており、当時は国際問題の担当だった佐々木陸海執筆の赤旗記事に呆れて意見を具申し、その後、共産党が見解を変えていたので、訂正の責任を問う念押しの意見を述べたところ、彼は、誤りを認めずに居丈高、「日本共産党は政党として緊急に見解を発表する責任があるのだ」と強弁したので、「プラハの春の時は即時見解を出さずに日本テレビ在籍当時の党員の私は恥を掻いた」と言ったところ、顔を真っ赤にして、「君は、そういう男だ」という主旨の脅しを試みたので、少しきつく叱ったのでした。本性丸出しの場面を強く記憶しているのです。ああ。