少し前の投稿になりますが、5月5日のさつきさんの投稿に一言。
さつきさんは、その中で、基本的に不破委員長の政権論に共感を示しています。まあ、それはそれでいいとしても(私個人は、この政権論に批判的ですが)、その正当化の論理に疑問があります。
たとえばさつきさんは、「戦略としての『安保凍結』と『安保容認』を混同するような人種は(とりあえず)相手にしないことです」と言っています。この意味がよくわからない。この混同をしているのは、多くの一般国民です。党内にさえ混同をしている人がいるぐらいですが、まあそれはおいておいたとしても、共産党が獲得すべき対象としている多くの国民がそのような混同をしていると思いますが、そのような「人種」を相手にしないのだとしたら、いったい誰を相手にするつもりなんですか?
共産党が安保容認に傾いたと多くの国民が思うことで、安保の不可侵性のイデオロギーがどれほど強化されることになったか、このことをどうして考慮しないんですか? 国会内で、正式に安保廃棄を綱領・基本政策に入れているのは共産党だけですよ。少数ながらきっぱりと安保廃棄の基本政策を持っている政党が国会内にいることで、安保翼賛体制に多少なりとも風穴をあけることができているわけでしょう。その共産党が安保容認に傾いたという印象を国民が持ったとしたら、「共産党ですら安保容認なのか、じゃあ、やっぱり安保は日本に必要なもので、正しいものなんだ」という意識が強まることになるでしょう。この問題こそが実際には決定的なのであって、高尚な戦略論議よりも無限に重要だと私は考えます。
さらにさつきさんは、「政権に参画するというそれだけで重要な意味がある」とおっしゃいます。その理由は、「政権中枢にかかわる『高級官僚』に独占されている(極秘)情報の取得は日本革命の展望にとって極めて重要な意義がある」からだとおっしゃっています。ここでも、ものごとの優先順位に大きな混乱が見られます。政権の中枢には、一般市民の想像もつかぬ重大な秘密があって、その秘密を知ることは、政策上の基本原則を守ることよりも重要なのだ、というわけです。
百歩譲って、そのような秘密があるとしましょう。では、不破委員長が考えているような暫定連合政権に共産党が入ることで、どうしてそのような秘密を入手することができるんでしょうか。なぜなら、さつきさんによれば、「日米の軍事同盟の裏で何が進行しているのか、シビリアンコントロールをひょうぼうしながら、現在の政権党にさえ十分は知らされていない事態が進行している可能性だってある」そうですから。何十年も政権にいても知らないような「秘密」を、一瞬だけ政権につく「暫定連合政権」の、しかもその中の少数派である共産党が、どうして知ることができるんですか? しかも、共産党は、たとえ政権に入るとしても、せいぜい労働大臣か何かにつくのが関の山でしょう。誰が共産党の議員に防衛庁を担当させようとするでしょうか?
さつきさんのおっしゃっていることは、ある意味でエリート主義的で、陰謀論的です。安保廃棄にとどまらない究極目標を持つ革命政党の指導部たるや、一般庶民や一般党員(「そのような人種」)の理解の範囲を越えた深遠な「戦略」を持ち、表向きの説明とはまったく違う真の隠された意図を持っていなければならない、そして現在の「護憲」もそのような深遠な「戦略の一つ」(もっとはっきり言えば「マヌーバー」)にすぎないというわけです。
私は不破委員長の政権論は、そのような深遠な戦略とは程遠い、単なる「大臣病」の一種だと思っているので、さつきさんの評価はまったく過大評価もいいところだと思いますが、そのような過大評価をたとえ受け入れたとしても、つまり、不破委員長の政権論には、普通の人や普通の党員の理解を越えた真の意図が隠されており、その意図は安保廃棄のような低い水準にとどまらない革命の究極目標に照準を合わせているのだ、という壮大な解釈を受け入れたとしても、それでも私はそのような意見に同意できません。
革命の主体はあくまでも一般民衆であり、一般の党員であって、彼らを指導すると称して、民衆および一般党員を背後ないし上から操作する「革命的」指導集団ではありません。革命党およびその指導部の主要な役割は、常に事実をありのままに語り、事実に即した変革の道筋と展望を語り(もちろん押しつけるのではなく)、民衆と一般党員の主体意識と能動性を高め、彼らを変革主体として陶冶することです。したがって、このことから、いかなる深遠で革命的な意図があろうとも、一般民衆および一般党員の意識を混乱させたり、混濁させたりするような戦略はとってはならない、という不文律が出てきます。
階級敵を欺くことは許されるし、しばしば必然的に要請されますが、指導部が一般党員をだましたり、党自体が一般民衆を欺くことは許されません。それはいかに目先の利益に合致していたとしても、究極的には革命の利益に反し、それを裏切る行為です。一般民衆をだますことに慣れた党や、一般党員を欺くことに慣れた指導部が、たとえ革命に成功したとしても、その革命後の社会がいったいどういう代物になるか、簡単に想像がつきます。そのような革命も、そのような「社会主義社会」も、私はごめんです。
最後にもう一つ。さつきさんは今回は不破政権論についてのみ意見を述べられていますが、他の政策転換についてはどうなんでしょう。国旗・国歌の法制化容認も、指導部の深遠な意図による深遠な戦略なんですか? 不審船事件における自衛隊の海上警備行動に沈黙したのも、深遠な意図にもとづく深遠な戦略なのでしょうか? もちろん、「政権に参画するというそれだけで重要な意味がある」という価値観からすれば、これらの政策転換はすべて政権につきたいがための転換ですから、当然OKだということになるのかもしれませんが。
また、不破政権論にしても、国旗・国歌の法制化容認にしても、すべて党内でのいかなる討論にもよらず、一方的に指導部が決定したことですが、これもさつきさんの価値観や戦略観からすれば、許されることなんでしょうか? ぜひ教えてください。レス待ってます。