年金改悪関連法案が、相次ぐ強行の末に、自公の賛成多数で、可決・成立しました。
国民には、「百年安心」などと語りながら、その基礎となる情報を公開せず、「50%を確保」という事も、実は、独身者は「30%台となる」などということが追及され始めるや、国民の代表である筈の議員の質問権も踏みにじり、強行採決するという、前代未聞の異常事態の結果でした。
一方で、私たちの住む地域でも、さまざまな問題を抱えています。昨日まで、「社長さん」と呼んでいた方が、倒産という事態に追い込まれ、もちろん、従業員は皆、失業者となり、再就職も、ままならないということなどは、皆さんのご発言の通りです。
また、飴と鞭を使い分けるような、強引な「合併」問題も持ち上がっています。
その弊害は、先日、「サン・プロ」でも、放映されておりましたが、住民は、景気回復・地域振興・行政のスリム化に役立つならと、淡い期待をする一方、中心都市だけが栄え、周辺町村は、切り捨てられ、数年後には借金のツケだけを払わされるのではないかと、不安を抱きながら、協議会の成り行きを見守っています。
「通説」的意味での「寄らしむべし、知らしむべからず」という「お上」体質では、いくら「愛国心」を煽っても、将来に対して不安と思う者が8割を超えている状況では、信頼されない「国家」ということが、次の世代となる子供さえ産まない、あるいは、産みたくとも産めないという事実(出生率、1.29)として、突きつけられているように思います。
加えて、橋田さん、小川さん殺害事件と長崎の事件は、遣り切れないものでした。
「人の命は、地球よりも重い」という、前官房長官の父である福田赳夫元首相の発言が、人質事件の時にも取り沙汰されましたが、その言葉の意味するところは、「人の命は、何物にも替えられないものである」ということであろうと思います。
たとえそれが、「建前」であったとしても、そうした言葉が、時の首相の口からなされ、国民も名言として、支持する声が多かったのではなかろうかと、思っています。
長崎では、昨年の「事件」もあり、他県に比べても、「命の重さ」について、家庭や学校で多くの取り組みがなされてきたと聞いています。
福田前官房長官は、人質事件の際、記者からの質問に、「時代が違いますからね」と躱していたように思いますが、さて、それは、米軍支援のために自衛隊を海外に出すことなど、考えられない「時代」であったから、ということなのでしょうか。
人権を尊重すべしという憲法は、一言一句変わっていないのに、「時代」が変われば、「人の命の重さ」は「軽くなる」のだ、ということなのでしょうか。
もし、そうであるとすれば、親や教師たちが、いくら一生懸命、「命の重さ」を説いてみても、子供たちの心には「なんか、胡散臭い」という気持ちは残っても、“納得”はしないのではないだろうか、と考えてしまいます。
そしてまた、この国の「指導者」は、「多国籍軍に参加」を国民には何の説明もなく、サミットで「公約」して参りました。
憲法の三大原則と言われ続けた、平和主義と人権尊重の精神、そして国民主権までも、僅かこれだけの事柄の中でさえも、ガラガラと音を立てながら崩れ落ちているように、思えます。
***
人文学徒さんに返信せねばと思いつつ、様々な事情で叶いませんでした。申し訳ありません。
以前、人文学徒さんが、
> 愚等虫氏、彼は「さざ波内では右か左かは分からない」と言われる (04/2/26)
と仰っておられましたが、確か、私は、
> 尚、私自身は、自分を共産党左派とは考えておりません。さざ波編集部の方々は、左派の立場と仰っておられますが、私と近いのかどうなのか、まだ、よく判りません。(03/11/21)
と述べていたと思うのですが…。ただ、ここで、細かい事を取り上げようと思っている訳では、もちろん、ありません。私は、基本的に「右派」「左派」ということには、ほとんど、拘っていない、ということなのです。私自身は党員ですから、党外の方から見れば、共産党という政党の一員である以上は、左翼という事になるのでしょう。
元々は、「左翼・右翼」という言葉は、フランス革命における進歩派・急進派が、議場の左側に位置し、保守派・反動派が右側に位置した事から始まったものという事は、百家繚乱さんも、「左翼とイデオロギー」(06/06)の中で仰っておられますが、大まかに言えば、私は、歴史の中で、進歩派でいたいと思っておりますので、左翼と考えられても別段構わないのですが、党内において、「右派」「左派」として、論じるのは、あまり生産的ではないと思うのです。
進歩的な考えを持っている者達の政策・判断が常に正しく、どちらかと言えば、保守的な考えを持っている者達が常に誤っているということもありえないでしょう。仮に、もし、そのような捉え方をするとすれば、「左翼無謬論」に陥ってしまいかねませんし、「右派」を自称される人文学徒さんは、常に、編集部からは、「論破」すべき対象と見なされる事にもなってしまいます。
ここ「さざ波」での、北朝鮮問題に関する様々な議論の中で、大きく分ければ、制裁に賛成するのか反対するのかという問題がありましたが、「徹底した制裁」を論じている萩原 遼氏は、「急進的」な意見だと私は思いますが、それを、左派的とは言えないでしょうし、どちらかと言えば、「右翼的」な意見だと捉えられるかもしれません。
「さざ波」編集部の皆さんは、「左派の立場」と仰っておられ、今回の、私の質問に対する回答と言う形での「君主制」論を読ませて頂き、ほぼ、納得するものでしたが、それでも、もしかしたら、心情的には、私の方が、より「左派」なのかもしれないとも、自分では思いますし、だからと言って、社会主義「革命」ということには、私自身は、あまり拘らない方がいいのではないか、とも思っています。
以前の投稿でも述べましたが、ベトナムは、国名で「社会主義共和国」を名乗っておりますが、ベトナムが社会主義社会であると考えている人は、ほとんど、いないでしょう。
もちろん、ベトナム共産党が社会主義社会を目指すという意味で、自称しているとすれば、それは構わないことなのですが、その前提として、一党独裁体制を取り続けていることについては、中国にしても、私たちが考える社会主義とは相容れないものでしょう。
アメリカでさえ、アメリカ共産党(CPUSA)は、今や、非合法政党ではありません。日本共産党とも正式に交流を回復したことが、一昨年でしたか、報じられておりました。
確かに、圧倒的多数の国民が、その国の共産党を支持しているのでしたら、それは、それで、党・政府としては誇りに思えることでしょうが、そうであるのならば、なおさら、自分たちの政策・方針に自信があるということなのでしょうから、複数政党制を認めて公正な選挙を行うべきであるし、その上で、他党よりも多くの国民の支持を得、政権を担うことが、民主主義というものだろうと思います。
そうした、社会主義社会の捉え方・考え方、そこに至る方法論に、さまざまな違いは、あるでしょうが、一般論として、これまで語られてきた、「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」ことができ、人による人の「搾取のない社会」という点は、一応、合意できるものと思います。
したがって、繰り返しになりますが、その方法論や社会主義社会の大まかな中身、ヴィジョン、「青写真」と言ってもいいのですが、それを、みんなで智慧を出し合いながら、共有していくものだと考えています。
私は、「論争」という言葉自体も、あまり好きではありませんし、「批判のための批判」も意味がないと思っています。
「私にとって、論争の勝ち負けなど、どうでもいいことなのです」と申しましたことは、その言葉のままであり、より良い方法論やヴィジョンを、みんなで考え出せれば、それでいいと思っています。
この辺りは、「右翼って何?左翼って何?(PART2)」という、しんぶん白旗さん(04/30)のご投稿、また、人文学徒さんも触れておられますが、「価値相対主義 」について批判しておられる「「理性的な議論」についてもう少し触れると」と題されます N.K.さん(05/16)のご投稿、また、先程、触れました、百家繚乱さんのご投稿など、大変、参考になります。
チョット話は、横道に逸れますが、人文学徒さんの「良い投稿にもっとエールを贈る」というご意見に同意です。
私自身も、これまで、いろんな方の言葉・ご意見を、勝手ながら引用させて頂きました。
また、S・Tさんを始め、「さざ波」編集部の皆さんには、丁寧な解説をして頂き、さらに、樹々の緑さんのフォロー解説は、大変ためになりました。ここで、改めて、皆様に、お礼申し上げます。
人質事件の際の他のサイトなどは、酷いものでした。
編集部の皆さんは、いつも、苦労されているだろうなと、思っております。
おりしも、長崎の事件の背景に、「ネット掲示板」があるとも言われております。
私も、自戒しながら、今一度、ネチケットについて、考えてみる機会にした
いと思っています。
***
ということで、前置きが長くなってしまいました。
あまり面白くない文ではありますが、もう暫く、お読み頂ければ有難いと思います。
上記のように、社会主義社会の捉え方が異なるということから、合意を形成して行く上で、さまざまな難しさがあると思います。
その第一は、日本では、あまりにも、「社会主義、共産主義」に対する印象が悪すぎる、という事でしょう。
宮地健一氏は、「社会主義・共産主義という日本語は、マルクス・レーニン主義という言葉とともに、地に落ちています。」と言われ、また、原 仙作さんは、「社会主義諸国の崩壊により、社会主義・共産主義政党の評判は歴史的に見ても最悪の状態にある」(1/10)と言われています。
マスコミは、「社会主義、共産主義の、ソ連・東欧は崩壊した」というお決まりの文句を、延々、10数年も、続けています。また、北朝鮮問題も多大な影響を与えているでしょう。
党員でさえ、「ソ連は、社会主義社会であった。」と言う方もおられるくらいですから、党外の国民の皆さんが、「社会主義ィ…? あんた、まだそんなこと言ってんの?!」と言われる事は、何も不思議はありません。
ソ連・東欧崩壊後、日本共産党の党員数は、公称48万人から36万人へと12万人も激減しました。これは、各党員自身の事情もあるでしょうが、やはり、いろいろ否定的な面はあっても「社会主義」国であろうという、考え(幻想)が、現実の崩壊の前に、打ち砕かれた末の結果、と言ってもいいのではないかと思います。
ソ連が崩壊したとき、党は、「もろ手をあげて、歓迎する。わが党とは、縁もゆかりもない」というような事を言っておりました。
私達は、「おいおい、縁もゆかりもないだって?」「そりゃ、言い過ぎだろう」と語ったものでした。
私自身は、学生の頃、スターリン批判、ポズナン暴動、ハンガリー動乱、チェコ事件(プラハの春弾圧)なども、よく知らず、その後、党が「自由と民主主義の宣言」を発表し、イタリア・フランス・スペイン共産党などの躍進の中で、「ユーロコミュニズム」という“自由・民主主義”を当然の価値原理として捉え「社会主義への道」を歩むことを考えていた世代でした。
当時、札幌商科大におられた中野徹三氏は、
> 70年代以降の自由をめぐる論議の最大の特徴は、この問題ではむしろ守勢にあった社会主義の陣営、とりわけ発達した資本主義諸国において、科学的社会主義の実現をめざす諸勢力、諸政党が、いまや積極的攻勢に転じた、という点にある、といってよいであろう。(「科学と思想」23号・自由論の理論的諸問題、77年。太字部分は原文では傍点)
と述べておられ、その言葉からは、未来への希望が、生き生きと感じられるものでした。
斯くの如く、希望に満ちて、「社会主義と自由」について語られていた中野徹三氏は、まさか、その数年後、御自身が、党から除名を宣告されることになるなどとは、想像もされておられなかった事でしょう。
中野氏は、昨年の綱領改定案についての論文の中で、
> 70年代の「プロレタリア独裁」の語の綱領からの削除も、削除の理由なるものは、この命題が出された19世紀から現代への世界史的現実の変化にではなく、不破氏のほとんど喜劇的なマルクス誤読にもとづく「訳語問題」として提出された。私は13回臨時大会直前に書いた論文で詳細な批判を加え、3年後に不彼氏の田口富久治批判への批判とあわせて79年に青木書店から出版した著書『マルクス主義の現代的探求』に収録したところ、「党内問題を党外に持ち出す重大な規律違反」という名目で、私への追及が始まった――13回大会で採択された「自由と民主主義の宣言」では、「学問研究の自由」がうたわれていたにもかかわらず。(古い教条とあたらしい現実との谷間で・宮地健一氏のHP掲載)
と語っておられます。
党は、「前衛党と民主集中制」「一国一前衛党論」「社会主義論」などについて、「多くの理論活動を全体として積極的におこなった」結果、
> 欧米資本主義諸国から機械的に導入された、科学的社会主義の理論を古くなったとするいわゆる「ネオ・マルクス主義」理論や資本主義の新しい変化と結びついて生まれる誤った理論を科学的社会主義の立場から徹底的に研究・批判する理論活動を強化しなければならない。
…インテリゲンチアや学生のなかでの党活動に消極性をもたらし、また党の影響力を拡大するうえで一つの障害となった。(第18回大会決議・87年)
として、「田口・藤井理論」などとネオ・マル達を名指しで批判してきた路線を、ソ連・東欧が崩壊する間近となっても、踏襲し続けたのでした。
批判された側のネオ・マル達は、
> マルクス主義国家論の領域において、レーニンらの主張した「国家は階級支配の道具である」とする伝統的理解(国家=道具説)に対し、「国家とは、階級的力闘係の物質的凝集である」とする国家=関係説を唱えることにより、西欧社会における現実の政治支配や政治過程の分析を、より広い視野から進めることに道を開いた。そのさい、グラムシの国家論やヘゲモニー論が大きな媒介的役割を果たし、ネオ・マルクス主義は、ネオ・グラムシ主義ともよばれた(加藤『国家論のルネサンス』青木書店、1986年、参照)。(加藤哲郎氏・HPより)
などと主張していました。
また、中野氏は、上記の批判論文において、
> また、二つの「支配勢力」の区別は、現実の具体的分析という視点からは理解できるが、現象論的次元の認識であり、市民社会と政治社会の間のグラムシ的分析以来の国家論研究に媒介されたものとは思われず、関連して改定案に「階級」の語がほとんど消滅しているのは、ここで現代資本主義社会での階級関係の変動についての検討が加えられた形跡もないだけに、たいへん奇妙な印象を与えられる。階級分析もなし崩しに放棄するのか、という党内批判が出ているのも、当然である。
と述べておられました。
以前にも述べましたが、ネオ・マル達の学問・研究が進められ、党内民主主義が図られ、きっぱりと、「現存する「社会主義」国と呼ばれている国々の体制は、社会主義ではない」と宣言し、真に、自主・独立路線が各党員のものとなっていたとすれば、あのような大量離党も生じなかったかもしれません。
しかしながら、先の大会・結語に対して、「さざ波通信・36号」で、
>「覇権主義の干渉・侵略を平然とおこなう体制は、社会主義の体制ではありえない」というような言い方は一度もしたことがない。 ……
こうした歴史的経過は、少なくとも1990年代以前に入党した共産党員にとって常識である。つまり、不破がここで言っていることは、まったく見え透いた嘘なのである。
と指摘されておりました通りの、倫理観のなさなのです。
***
それでは、社会主義のヴィジョンについては取り敢えず置くとしても、「社会主義」という言葉自体が、復権することがあるのでしょうか。
結論から申しますと、私は、難しいかとも思いますが、可能ではないか、と思っています(希望している、と言ってもよいのかもしれませんが…)。
イタリア共産党時代に下院議長にまでなったピエトロ・イングラオは、現代史家ニコラ・トランファーリア氏のインタヴュー、
> しかし、イタリア共産党の経験のなかの良いもの(私の意見ではそれは数多くあると思います)を基礎にしつつも、実現されていない抽象的な共産主義に照らしてではなく、むしろ(社会民主主義という)あの方向に向けて刷新することが必要なのだとは思われませんか。〔( )内は、原文のまま〕
に応えて、次のように語っていました。
> 社会主義は資本主義ではありません。これは私だけが主張していることではありません。共産主義者ではない多くの人たちが言ったことです。カウツキーからマルトフ、オットー・バウアー、さらには二〇世紀後半のドイツ社会民主主義の左翼諸潮流に至るまで。いずれにしろ、資本主義とは違うもの、それにとって代わるものとしての社会主義が実現不可能であるならば、どうして社会主義という名前を使い続けるのですか。
……
> ですから、「民主主義的な社会主義」というこの言葉もまた、世界のどこにおいてもこれまで実現されていない変革を呼び起こすものなのです。そうするとわれわれは何を「実現不可能」と見なすべきかを決めなければならないのでしょうか。この議論は、不可能なことを追いかけるかわりに「可能なこと」をなすべきだというもう一つの議論に似ています。しかし、それほどはっきりした境界、それほど動かしがたい決定が存在するというのは本当に事実でしょうか。(イタリア共産党を変えた男―ピエトロ・イングラオ自伝―・後 房雄 訳)
と述べています。(尚、原題は、「不可能なこと―ニコラ・トランファーリアと共に語られ議論された自伝」となっています。)
これは、東欧崩壊直後(90年)の会話ですが、現在でも、ヨーロッパでは、「社会主義(socialism)」という言葉は、市民権を得ていると言ってよいでしょう。
現実に「社会党」「社会民主党」や、今度もスペインで「社会労働党」が、政権を獲得しました。
また、不破氏も引用しましたイギリス、BBCのミレニアム・世論調査(99年9月)でも、「過去1000年間における最も偉大な思想家」として、マルクスが第一位となりました。
また、加藤氏によれば、
> アントニオ・グラムシが、20世紀イタリアの国民的思想家であるのみならず、 コミンテルンの系譜で生き残った希有な世界的理論家であったことを示したといえよ う。グラムシは、いまやアメリカの大学院生の学位論文で最も多く引用される一人で あり、英語圏において20世紀に一番引用・参照されたイタリア人は、ムッソリーニ でもクローチェでもなくグラムシであったという(エリック・ホブスボーム)。おそ らく日本語でも、ベスト・スリーには入るであろう。
と述べておられます。
昨年、亡くなったパレスチナ人思想家、エドワード・サイード(コロンビア大学教 授)は、NHKの「21世紀への対話」で、
> 決して希望を失わない。アントニオ・グラムシが言った。 「知性の悲観主義、意思の楽観主義」と。人間は力を失ってはいない。
と、グラムシの言葉を引用して語っていました。
サイードは、
> 単純に「状況は悪い。だがくよくよしないで前進しよう」とは言えないというこ とです。むしろ、「状況は悪い。ゆえにそれを知的に分析し、その分析を踏まえたう えで、状況を変えたいという願望や可能性を信じて前向きに新たな動きを構築してい こう」と言うのでなければなりません。(「ペンと剣」れんが書房新社)
と、述べています。
番組では、字幕に「グラムシ(イタリア人)」とだけ、書かれていたと思いますが (もちろん、NHKが「イタリア共産党の創始者の一人」とは、わざわざ、説明して はくれないでしょうが)、彼の名が、ネット上だけでなく、マスコミでも、もっと出 てくるようになれば、社会主義に対するイメージも変わってくるのではないかと、考 えています。もちろん、それだけでは、いけないことは、当然です。
日本では、確かに、北朝鮮問題もあって、「最悪」の状況です。また、中国、ベト
ナムの一党独裁体制が、現実にあります。「天安門事件の悪夢」も忘れることのでき
ない事実です。
それでも、中国やベトナムとの交流・貿易が深まっていることは、否定できないで
しょう。オリンピックも開催されます。中国憲法改正で、人権規定も盛り込まれるそ
うです。また、ベトナムへの日本人観光旅行も、急速に増加しているとも聞いていま
す。やはり、木も森も見る必要があります。
以前、相次ぐ金融破綻の中で、友人が「社会主義的手法を取り入れないとやってい けないだろう」と言うようになったという事を、述べましたが、もちろん、経営者や 大株主を救うだけの公的資金注入では、意味がありませんが、国なり、自治体なり が、現実に経営に口や金を出す場合がある、という事実は、認めざるを得ないでしょ う。
なお、余談ではありますが、「共産党宣言」の「1893年イタリー語版への序 文」での、エンゲルスの言葉は、私にとっては、意味深です。
> 最初の資本主義国家はイタリーであった。封建的中世の終結、近代資本主義時代 の出現の姿を示す、ひとりの雄大な人物がいる。それは、中世の最後の詩人であると 同時に近代の最初の詩人であるイタリー人、ダンテである。現在、1300年ころと 同様に、あたらしい歴史時代が生まれようとしている。このあたらしいプロレタリア 時代の生誕の時を告げるあたらしいダンテを、イタリーはわれわれにおくるであろう か?(岩波文庫・P34)
***
ところで、今回の「さざ波通信・37号」に掲載されました、「結合された生産者
たち」以下の論文を、興味深く拝読させて頂きました。
そこでは、訳語の問題として、「結合された(kombinierte)」「連合した
(assoziierte)」が取り上げられ、「アソシエーション」についても、触れておら
れました。
語学に疎い私自身も、原文で読むような事はなく、「アソシエーション」論につい
て取り沙汰されている事を知ったのも、ネットを始めてからのことでした。
ここ「さざ波」でも、生産協同組合さんが「社会主義とはどういった社会か」(00/8/12) などの一連のご投稿で、触れておられました。
ただ、「共産党宣言」の、例の、
> 階級と階級対立とをもつ旧ブルジョア社会の代りに、一つの協力体があらわれ る。ここでは、ひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展にとっての 条件である。(岩波文庫・P69)
> 階級及び階級対立のうえに立つ旧ブルジョア社会に代わって、各人の自由な発展 が万人の自由な発展のための条件であるような一つの協同社会が現われる。(全集4 -P496)
という部分において、「協力体」「協同社会」と異なって表現されていることは、存 じておりました。
また、党は、不破氏の説明によれば、
> 古い社会が、「階級及び階級対立」を特徴とするのにたいして、未来の共同社会 は、「各人の自由な発展が万人の自由な発展のための条件である」という社会だとい うことです。(第22回大会・党規約改定案についての報告)
というように「共同社会」と述べています。何故、「全集」通りに「協同社会」と書 かないのか判りませんが、新綱領や昨年の総選挙の法定ビラなどでも、同様です。
この「協力体」「協同社会」「共同社会」などと訳されている語が「アソシエー ション(association)」にあたる言葉です。英語版を参照すると、
> In place of the old bourgeois society, with its classes and class antagonisms, we shall have an association, in which the free development of each is the condition for the free development of all. (CPUSAのHPより)
となっています。
この association(分詞形容詞は associated )という語は、随所に見られるもの
ですが、「通信」でも述べておられますように、「結合」「連合」「連合体」等な
ど、さまざまに訳され、その数は、「全集」では20にも上ると言われております。
実際、すべての文脈に、ずばり適合する訳語は、なさそうで、「不自然の謗りを覚
悟して」「概念としての統一性を回復するために、マルクスからの訳語についていえ
ば、『アソシエーション』と日本語訳するのが良いと考える」と主張される田畑氏の
意向を尊重してか、「アソシエーション」として多く議論されているようです。
田畑氏によれば、
>「アソシエーション」は,諸個人が自由意志にもとづいて,共同の目的を実現する ために,力や財を結合するかたちで社会をつくる行為を意味し,また,そのようにし てつくられた「社会」を意味する。(マルクスとアソシエーション・94年)
とされておりますが、参加型システム研究所・定期総会記念講演抄録(02年)では、
> アソシエーションはもともとは、諸個人が自由意志に基づき、共通の目的を実現 するために、力や財を結合する形で社会を生産する行為を表し、またそれによって生 産され、協議により自治的に運営される社会を表します。(日本における市民社会形 成とアソシエーション革命)
と、「共同の目的」が「共通の目的」となるなど、若干異なった説明・表現をされて います。
「アソシエーションの理論と実践 -基礎研究のための共同作業」(「アルバ」・ 「未来社会のための協働研究会」、99年)での講演でも、「共通の目的」という語 を使われており、ほぼ同様の表現となっています。
上記、02年の講演では、
> 権力システムや市場競争に対して、こういう関係がドミナント(優位)であるよ うなあり方をめざすのが「アソシエーション革命」だと言えるでしょう。人類史的に 見て、共同性の回復は、個人が全体社会に服属する自生的共同体への回帰という形で なく、自由な個人と結合しうる形態で目指されるのです。
と述べておられることから、これまでの、大薮龍介氏などとの議論がなされる中で、 「共同の目的」という語を避けられるようになったのではないだろうかと、推察する のですが、この辺りは、まだ、私も、「アソシエーション」というものに、詳しくな く、憶測の域を出ません。
私自身は、党に関連して述べるときは、「自治的共同社会」と言う事もあります
が、普段は、「自治的共生社会」「自治的共生の社会」というように、語って参りま
した。
そんなに、「勝手に言ってもいいのか?」と言われるかもしれませんが、私なりに
考えてきた「多元的社会主義」というイメージからすれば、「多元」と「共同」との
間には、かなりの違いがあるように思っているからです。
もちろん、「多元的な共同社会」という意味で使っても悪くはないのでしょうが、
どちらかと言えば、「共生」という言葉の方が、さまざまな形態の組織、さまざまな
人格の個人という「多様性」を維持し、認め合い、尊重しながら、共に生き、また、
共に生かせる社会という、感覚・語感を表せるだろうと思っていますし、今の時代に
合ってもいるのではないかと考えています。
「アソシエーションの理論と実践 -基礎研究のための共同作業」は「コム・未 来」のHPのバックナンバー(第6~11号)に、全文、連載されておりますの で、詳しくは、そちらを、ご参照下さい。
***
こうしたことを考えると、社会主義の復権は不可能ではないとも思えるのですが、
では、「共産主義」という言葉は、どうでしょうか。
私は、これは、きわめて難しいと思います。
新綱領では「社会主義・共産主義」として、「定説」とされて来た「二段階論」を やめてしまいました。
私は、人間社会の発展に伴い、社会主義社会も高次に至るものと考えます。
しかし、それは、ここから「共産主義社会の段階だ」と明確に分けられるものでは
ないのではないか、とも考えています。そこには、長い「過渡期」があるでしょう。
取り敢えず、そういう風に考えているとした上で、話を進めます。
共産主義社会(の高い段階)は、これまで、生産力の飛躍的発展と社会生活形態の
発展に伴い、人の知的労働と肉体労働の差別が消え、「能力に応じて働き、必要に応
じて受け取る」ことができる、あらゆる暴力が廃絶されるような社会、とされて来ま
した。
これは、ある意味、「理想郷・ユートピア」と言ってもよいでしょう(そのこと
は、ここでは、深くは触れないことにします)。
しかし、新綱領では、「ロシア十月社会主義革命など世界人民の解放闘争のたかま りのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義の理論的基礎にたつ党として、 創立された。」と謳っていた、「ロシア十月社会主義革命」という言葉が削除され、 「理想郷」を築く筈だった旧ソ連との「縁切り」に、躍起になっているようにも感じ ます。
私は、いろいろと考えてみたのですが、そうまでするのなら、これまで、浮かんで は消えた、「地に落ちた」と言われる「共産」党という名称変更問題を、真剣に考え るべきではないか、と思っているのです。
人質事件のさ中、「赤旗」に、「日本共産党が党名変更しないのは?」 という記事が出ていました。
>Q: 「共産党」支持が広がらないのはソ連や北朝鮮をイメージしてしまうからだ と思います。党名をなぜ変えないのですか。
A: コミューン(共同)に由来する「日本共産党」という党名には、党創立以来 八十二年間の歴史と同時に、その未来の展望がこめられています。
……
(新綱領の)特質は一口に言えば、人間の自由、人間の解放です。
……
将来社会のあり方でも「『国有化』や『集団化』の看板で、生産者を抑圧する官僚 専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」と明記し ました。
……
党支持を広げるには日本共産党の本当の姿と、未来像=社会主義・共産主義社会の 展望=を語ることが大切だと考えます。
という、いつもの、判で押したような答えに、ガックリでした。
と言うのは、確かに、一見、尤らしく聞こえる、この「回答」なのですが、ここで
言われている論理は、何かおかしくないでしょうか?
「すべてを疑え」が、マルクスのモットーだったそうですが、そもそも、
communism という言葉を、「共産主義」と訳していいものなのでしょうか?
私達は、「共産」という言葉を使っていますが、最初に「共産」という言葉に訳さ
れた方は、一体、誰なのでしょうか?
幸徳秋水や堺利彦たちでしょうか。それとも、中国共産党の陳独秀らでしょうか?
浅学の私は、自分の属する政党の名付け親を、あいにく、存じません。ネット上で
も、相当調べましたが、判りませんでした。どなたかご存じでしたら、お教え頂けれ
ばと思います。
党は、上記のように、コミューン(共同)に由来する「日本共産党」などと、わざ わざ、説明していますが、「共同」と「共産」とは、ちょっと、「意訳」しすぎで は、ないかという疑問を持っています。マルクスが「労働者階級」を社会主義革命の 主力階級と捉え、「歴史的使命」を有すると語ったとしても、すべての労働者が「生 産」に関わるものでもないでしょうし、マルクス主義は、元来、すべての人間の解放 を実現しようとするものでしょう。
であるならば、本来の意味 commune にそった党名にすることは、何も不思議では ないし、「党名変更」を頑なに拒否し、議論さえさせないという姿勢自体が、上記の 説明にも反し、この党の「指導者」たちの「革命」政党を自認する官僚的保守さかげ んを象徴しているように思えます。
また、共産党(communist party)という呼称は、レーニンが、ロシア社会民主労 働党と名乗っていたものを、ロシア革命のさ中、1917年2月革命後、四月テーゼ の中で、「祖国防衛戦争」として帝国主義戦争を支持した「社会民主主義」諸党と区 別し、第二インターと絶縁するために党名を共産党と変更することを提案し、10月 革命後の、翌18年3月、第7回大会で決定したもの、と聞いております。
最近、必ずしも正当とは言えない「レーニン批判」(川上慎一さんのご投稿、参照) をする不破氏は、このようなレーニンの態度については、どう考えているのでしょうか。
これまで、戦前から掲げてきた「君主制(天皇制)の廃止」の旗は、斯くも、簡単
に、引き摺り降ろすのに、「地に落ちた」と言われ、旧ソ連共産党と切っても切れな
い「共産」党の名称は、頑として変えない、という姿勢は、一体、何なのだろうか…
と考えてしまいます。
党は、第22回大会で、「前衛規定をやめた」といいながら、党中央理論誌名「前
衛」は、相変わらずそのままです。
何か、商標登録などの「利益」でも絡んだ問題があるのだろうか、という気さえし
てきます。私には、判りませんが、この辺りも、どなたか、ご存じでしたら、お聞き
したいと思います。
私は、このように、「そもそも論」から疑問を持っており、まさに、「党支持を広 げるには」どうすればいいのか、ということが問題であって、本気で「共産党の本当 の姿」を曝け出し、党再生を図るつもりがあるのか、「日本改革」をやるつもりがあ るのか、と思っています。
「民主」集中制や異論公表の禁止で、ネット投稿者を摘発、査問、除籍したり、あ るいは学者党員の研究論文を「批判」し、電話一本で、除籍し、弁明する事さえ認め なかったことや、「君主制」と言ってきたことを「君主制ではない」などという説明 不能の「明白」論を繰り返して来たことなど、これら、不破「指導部」の「共産党の 本当の姿」を、真摯に反省し、これまでの除名・除籍者の名誉回復を図り、規約と党 組織を改正・改革することをやってこそ、党員一人一人が、心から国民に支持を訴え ることが出来るのであろうし、それをやらずして、党再生はない、と思っているので す。
私は、以前、「社会主義という言葉自体は、マルクス主義と基本的に同義として考 えている」と述べましたが、マルクス主義は、発展するものであるし、「ネオ・マル クス主義」と言おうが、「ポスト・マルクス主義」と言おうが、「自治的共生の社 会」を目指して、考え、実践するものであって、広い意味で、マルクス主義である、 と考えています。
従って、社会民主党などとも、互いに、反省すべきところは反省し、国民の生活向 上のために、最善の行動・統一戦線を組んで貰いたいと願っています。
党が、道理ある党として本気で再生する気があるのならば、「地に落ちた」と言わ れる党名に拘るべきものではなく、まさしく、名実ともに生まれ変わる必要があると 考えています。
ただ、新しい党名自体は、あまり、固定的に考えず、党員と国民の声を参考にしな がら、いいものに変えればいいと思います。未来社会を「自治的共生の社会」と私は 捉えておりますが、だからと言って、「共生党」は、個人的にはあまり、ピンと来ま せんから。
***
人文学徒さんが、
> この日本共産党の幹部が入れ替わって、過去の悪いしがらみを全部なくしたうえ で、全く新たに清く正しく将来を討論していくのか、全く別の党ができるのか、いず れの可能性も極めて低い、そういう絶望感もまた僕は持っています。
と仰るように、私自身も、ほとんど同様の「絶望感」を抱いています。
しかし、党が、イタリア共産党のように、「自己改革」できるような体質も経歴も 持ち合わせておらず、ほとんど期待できないと思いつつも、「左派の立場」と言われ る編集部の皆さんが、踏みとどまって、このサイトを運営され続けておられることを 考えると、私自身は、ほとんど、片足、党外に出ているようなものですが、上でも引 用致しましたように、「知性の悲観主義、意思の楽観主義」という言葉を反芻し、何 らかのメッセージを受け取ってくれる方が、少しでも居られればそれでいい、と想い ながら、キーを叩いている次第です。
グラムシは、ご存じのように、1926年、35歳の時に逮捕され、10年にわた る獄中生活を送り、その間、数千ページに及ぶ「ノート」を残しました。グラムシ が、獄中にありながらも、「国家」について、「レーニン的」な見方をしなかったの は、彼の育ったイタリアの、今で言う「地政学的要因」、つまり、地中海に面したラ テン民族の陽気さとヨーロッパ近代市民社会の発展というものが、背景にあったであ ろうと思います。
ルチアーノ・グルッピは、グラムシの、
> イリイチ(レーニン)は、1917年に東方に適用して勝利した機動戦から、西 方でただ一つ可能であった陣地戦への転換が必要であったことを理解していたように 見える。……東方では国家はすべてであり、市民社会は幼稚でゼラチン状のもので あった。ところが西方では、国家と市民社会のあいだに正確な関係があり、国家が動 揺するとすぐに市民社会の頑強な構造が姿をあらわした。
という言葉を引用し、
> つまり民族的な土俵に降り立ち、国ごとに市民社会の構造はどうなっているか、 その特徴はなんであるかを見なければなりません。(グラムシのヘゲモニー論・P1 99~200)
と述べています。
私は、このような、グラムシの、「国家=政治社会プラス市民社会、すなわち、強 制の鎧をつけたヘゲモニー」という捉え方に、上記の如く加藤氏が述べておられます ように、これまでの、「レーニン的」な「国家=階級支配の道具」という捉え方と異 なった観点として共鳴しておりました。
確かに、70年代のチリ・アジェンデ政権のクーデターによる崩壊の経験を忘れて
はいけませんし、アメリカ帝国主義の野蛮さは、イラク戦争を見ても、明らかです。
しかしながら、イタリアでは、トリアッティが法務大臣、イングラオが、下院議会
の議長にまでなったという事実を見るならば、共産党の躍進を始めとするユーロコ
ミュニズムの中での経験を、日本においても参考にすることは、当然であったし、党
中央こそが、積極的な研究・学習支援の指導力を発揮すべきであったと思います。
インドでは、これまでも、共産党が与党となって来ましたし、今回の選挙でも統一
戦線派が勝利しました。
インドの憲法上の正式国名は「主権をもつ社会主義の宗教的に中立な民主共和国」(Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic)となっているそうです。
ベネズエラでは、チャベス連合政権の成立(98年)後、二度にわたるクーデター の危機がありましたが、7回の選挙と国民投票を勝ち抜いた「愛国同盟」(13党の 連合)が、国民の支持と団結によって、その危機を乗り越えました。
統一戦線として多数者革命路線を追及するということは、そうした反革命・クーデ
ターを許さない程の国民的支持を得る、ということであり、そうであるならば、少な
くとも、党内外から「嫌われる」原因として指摘されている「民主」集中制などの組
織形態を改める事は、当然の前提です。
もちろん、単なる「感情」の問題として言っている訳ではなく、「独裁的体質」に
繋がるものだからです。
ところが、この党の、「指導者」たちのやった事と言えば、まったく逆の事でし
た。
今、国会では、「松下政経塾」出身の議員たちが相当数、「活躍」しています。
「松下政経塾」が開講したのは、まさに、党が、田口氏たち「ネオ・マル」を弾圧
していた頃でした。「支配階級」の側は、着々とその準備を進めているのに、「従属
階級」のイニシアチヴを執るべき宮本・不破中央は、若い「知識人」たちの、その根
を絶とうとしていたのです。
先の総選挙の際、「松下政経塾」議員批判を「赤旗」紙上でやっておりましたが、
この党中央の、「知的・道徳的ヘゲモニー」は、一体、どこにあるのか、不破中央
は、この20数年間やってきたことを、恥ずかしいと思わないのか!!という想いで
す。
***
イタリアでは、トリアッティやイングラオらの努力もあって、党内民主主義、異論
の公表などが早くから認められ、長く統一を保ってきた事が、一つの躍進の原動力
だったと思います。
彼らも、「マニフェスト派」などを、除名処分にしてきたりもしましたが、その誤
りを認め、また、復党する者もおりました。
しかし、私は、素人意見ですが、小選挙区制(75%)導入に賛成した事は(93
年)、大きな誤りではなかったかと思っています。それまでは、完全比例代表制でし
た。
二大政党制を無理やり作る小選挙区制は、少数派の民意を切り捨てますが、切り捨
てられた少数派の国民が、これまでと同様の投票行動をとるとは限りません。
また、党が分裂するような事態になれば、小選挙区制で得られるメリットは何もあ
りません。これは、イタリアだけではなく、日本の社会党(社民党)を見ても明らか
であり、このようなやり方は、禍根を残すものだったと思います。
昨年の日本の総選挙での投票率は、僅か59.7%にまで、低下してしまいまし
た。
この点、後氏は、
> 選挙制度の問題は民主主義のタイプを変えるものであっても、民主主義そのもの を危うくするものでないということでこういう転換をしたのです。(民主主義と両立する左翼・01年・宮地氏HP参照)
と肯定的に話され、日本の小選挙区制導入の時も、支持する発言をされておりました
が、このような認識では、日本共産党の代議員制度である「大選挙区・完全連記制」
という制度も、「単なる選挙制度の問題で、民主主義を危うくするものではない」と
いうふうに、党中央の言い分を容認することにもなってしまいかねず、その真意は判
りませんが、首肯しかねるものでした。
アメリカでもイギリスでも、小選挙区制・二大政党制に対する批判が強まっていま
す。
国の選挙制度に対する根本的な変更に対して戦略的判断ミスがあったとすれば、戦
術では修正できないでしょう。
「大選挙区・完全連記制」については、この欄で、サザンクロスさんが「党内選挙 制度について再論」(01/7/23)などの一連のご投稿で、大変詳しく、説明されてお ります。
確かに、96年、中道左派連合「オリーヴの木」が勝利し、プローディ政権が成立 しましたが、共産主義再建党は閣外協力を拒否し、内閣総辞職。98年、ダレーマ左 翼民主党(イタリア共産党の後身)書記長が、後を継いだかたちで首相となるという ところまで至りましたが、共産主義再建党は分裂し、01年総選挙で、右派連合「自 由の家」が勝利。ご存知のように、「フォルツァ・イタリア」率いるメディア王ベル ルスコーニが首相となっています。
あれだけ、「統一と団結」を訴えていたイングラオ自身も、左翼民主党を離党(9
3年)し、現在は、「左翼民主党内左派および共産党再建党を中心にした左翼諸勢力
全体の後見役という立場からの発言を続けている」そうです。
イタリアは、良きにつけ悪しきにつけ、いろんな面で、参考になる国でしょう。
グラムシに敬意を抱きつつ、私は、また、イングラオの、
> しかし、現在では、このような困難な闘争を私は新しい信念をもって見ていま す。人間解放のこの歩みを進めるためには、工場(その世紀末における恐るべき変 化)と同時に工場の向こう側を見つめる必要がありま す。しかも、マルクスから、そしてその後とりわけグラムシから学んだような政治的 ―文化的領域だけでなく、労働者の一日の全体を見る必要があるのです。 (前掲書P291・00年〔太字は原文、傍点〕)
という言葉が、忘れられません。
***
勘太郎さんへ
もし、お目に留まりましたら、お読み頂ければと存じます。 人文学徒さんへの返事を書かねばと思いつつも、さまざまな事情で、書き上げるこ とが出来ず、それに伴い、勘太郎さんへのご返事も、「機会があれば教えていただき たいと思います。」という言葉に、甘えてしまいまして、今日に至りました。
しかしながら、私自身も、人様に教えて上げられますほどの考えを持っている訳でもなく、様々な方の解説を通して、私なりに、理解しようと努めているに過ぎません。上記の人文学徒さんへのご返事の内容も、そうした一貫です。
実を申しますと、これまで、何度か書きかけたのですが、私は、一応、末端ではあ りますが、中央に批判的な党員ですので、どうしても、党内問題に関わることに触れ てしまう事になり、途中で、書けなくなってしまいました。つまり、私個人が特定さ れる危険性が高い、ということです。この辺りは、ご推察頂ければ、有難いと存じま す。
私は、田口富久治先生の政治学から、マルクス主義に出会いましたので、「田口・不破論争」における党組織論を中心とした先進国革命論に関心を持っていました。その最大の関わりは、上に述べた、国家論の問題です。
また、社共の統一戦線が出来なかった大きな問題として、たがいのセクト主義、特
に、共産党の「一国一前衛党論」やその「前衛」体質が、原水禁運動の分裂などに、
根深い傷を残していると思います。しかしながら、遠巻きにではありますが、WPN
の3・20反戦、平和集会などを、「赤旗」にも掲載するなどの「改善」の兆しも見
えます。
グラムシに関しては、加藤哲郎先生の解説は、私には少々難しいところが多く、五十嵐 仁先生の呟記(2002年7月前半) や「感想とコメント」あたりのお話が、大変、参考になりました。
また、私が述べました、
> 天皇家の一員である聖徳太子が語ったとされる、「和をもって尊しとなす」という教え
という所で、「とされる」と述べましたように、十七条憲法やその言葉自体が、聖徳 太子の言葉であったのか、あるいは、後日、他の者が聖徳太子が語ったように作った 言葉だったのか、という話があることは存じておりましたが、聖徳太子がそもそも、 「架空の人物」であったという説があるということは、あいにく、存じませんでし た。
大山誠一・中部大教授を始めとする方々が、説かれているようですが、私には、今 のところ何とも申し上げようがありませんので、学者・研究者の方々の結論を待ちた いと思います。
それから、勘太郎さんがお使いになられた「温度差」という言葉を、最近、あちこ ちで聞くようになりました。昔は、「理科」の授業以外で聞くことは、ほとんど、な かったように思います。マスコミやネットで広まった言葉かもしれませんが、今で も、私の友人達の口から聞いたことはありませんし、私自身も、あまり好きな言葉で はない、ということをお伝えしておきたいと思います。
***
さつきさんへ
こんにちは。
さつきさんのご投稿は、昨年から読ませて頂いておりましたが、私が、始めの頃、
―連帯の気持ちを込めて―という投稿で、一言、触れさせて頂きました辺りから、ご
投稿が見られなくなり、どうかされたかなと案じておりました。
この間の一連のご投稿で、お元気そうにしておられるご様子に、勝手ながら、安心
しております。
また、以前にも増して、理路整然とお話をされる姿勢に、理数系に弱い私として
は、敬服するばかりです。(と言っても他も強くはありませんが…。)
さつきさんの書かれました、長壁さんへのご投稿(6/12)に、私自身も同じ想い
で、私なりに、心配しています。
赤根さんは、私と違い、丁寧に、何度も、語りかけておられました。
私は、直接、声をかけましたのは、一度だけで、「敢え無く…」でしたが、語りか
け方は違っても、長壁さんの感性ならば、きっと分かってくれると、思っておりま
す。
川上さんも、澄空さんも、獏さんも、たれりんさんも、赤根さんも、人文学徒さん
も、もちろん、さつきさんも…、みんな、あなたのことを、想っているのですよ、と
いうことが。
私は、それまで、「待つ」ことにしました。
文字で伝えることは、難しく、ほんとうに、 「言葉は、心を超えない」のだなぁ… と、思い知らされることばかりです。
でも、「さざ波」には、やはり、魅力のある、素敵な方が多いと、私は思っていま す。
何日か前から、この投稿文を書き始めておりましたところ、私のことが触れられて
おりましたので、末尾で申し訳ありませんが、一緒に、書かせて頂きました。
DUに関しては、何の応援もできませんが、気持ちだけは、サポーターのつもりで
す。
「みんな、自分のできることをやればいい。疲れたら休み、また、歩き出せばい
い」と思っています。
改めて、皆様に、
―連帯の気持ちを込めて―
愚等虫。
***
訂正とお詫び。
「イラク戦争」欄、―私たちの望むものは―(04/4/20)の中で、「発電所復興に
必要な設備を製造しておらず」と記しました部分は、「発電所」ではなく「セメント
工場」でした。訂正してお詫び致します。
最後まで、お読み下さいました皆様、本当に、有難うございました。