「過去へのこだわり」さんや「樹々の緑」さんの投稿を読ませていただいて投稿し
ます。「過去へのこだわり」さん最近投稿され始めたようですが、何本かの投稿を読
ませていただきました。共通の認識もあり、内容的にも共感するところがたくさんあ
りました。
書かれた年代から推察すると、おそらく「過去へのこだわり」さんは私と同時代に
学生時代を過ごされたのではないかと思います。私もあなたとほぼ同時期に学生運動
や党活動をしておりましたから、書かれていることが手に取るようにわかるところが
あります。「やはり全国的に同じことをやっていたんだな」と思いました。私の先輩
たちの時代を含めれば、疲弊し挫折して志し半ばで大学を去っていった数人の学生党
員たちがいました。この時代のことはいまだ私の記憶の中では昨日のことのように鮮
明で、「樹々の緑」さんの投稿や「過去へのこだわり」さんへの投稿を読んで複雑な
感慨を覚え、時の過ぎ去る早さを痛感しています。
過去へのこだわりさんの投稿で広谷俊二さんの名前が出てきましたが、氏の名前を
知っている人はもうそんなにいないでしょう。私は顔も見たことがありませんが、氏
は1968年の大学闘争の時代の中央青年学生対策部長をやっており、「学生新聞紙上」
で檄を飛ばしていたことを覚えています。私にとってはなつかしい名前です。その後、
党勢拡大と選挙に明け暮れる宮本指導部を批判して除名処分にされた人です。私はこ
の人の批判は正当だったと思っています。
樹々の緑さんが「ずっと以前にこのサイトでも、いわゆる新日和見主義批判キャン
ペーンの犠牲となられた方々が、当時の党中央の理不尽な仕打ちに抗議しそれを告発
する趣旨の投稿をしていたように記憶していますが、…」(一般投稿欄・04/12/28)と
書いておられますが、かつては今ほど投稿が多くはなく、私はほとんどの投稿を読ん
でいるはずですが、「新日和見主義批判キャンペーンの犠牲となられた方々」からの
投稿があった記憶はありません。多少まとまった投稿としては私のもの「新日和見主
義問題によせて・党員用討論欄・00/8/28」がありますが、これをテーマとしたもの
はあまり多くはなかったように記憶しています。もし、私の投稿を指しておられるの
だとしたら、事実だけを述べますが、私は「新日和見主義批判キャンペーンの犠牲」
になってはいません。私は地方で基礎組織で活動していましたので中央レベルとはつ
ながりもなく、人脈的にも組織的にもまったく関係がありませんでした。ただし、こ
の事件のことは多少詳しくは知ってはいますが。
過去へのこだわりさんの「かつての党活動についての批判的視点」はおそらく私や
私の仲間だった学生党員たちと共有するところが多かったと思います。党機関からは、
党勢拡大と選挙の動員の指示は受けても、学園や職場の闘いについての指導はほとん
ど受けたことがありません。私は幸いなことにたった一人だけまともな指導をしてく
れた専従活動家に出会うことができましたが、いま考えると指導できる専従活動家が
いなかったのでしょう。
「過去へのこだわり」さんはそのお考えがあって離党されたのでしょうし、私は私
の考えがあって、抵抗しつつもいまだ党員として存在しています。いずれがよいとか
悪いとかという問題ではあり得ません。党外の社会主義者として積極的
に投稿されることを期待します。
すでにお読みになっているかもしれませんが、関連するテーマでの私の投稿があり
ます。よろしければご一読下さい。
●党員用討論欄 新日和見主義問題によせて(川上慎一) 00/8/28
●さざ波通信第32号 <投稿論文>八十歳を迎えた日本共産党・指導部の混迷(川上通信員)