私の「左翼」概念は「マルクス主義」という概念とは、ほとんど無関係です。参考までに投稿済みのリンクを貼ります。
「左翼とイデオロギー」
ところで、唯物史観には灯台守さんは反対のようですが、私も同意見であって、私の投稿「群雄割拠の世界へ(1)」は唯物史観とは異なります。ただし、19・20世紀の世界は、階級闘争が歴史の主役を演じたのは明らかである。しかし、今日の世界でも、同じような観点で世界を観察すれば、時代錯誤となる。この点に関しては、昨年まで長々と書いたので、改めて書きません。
「マルクスは本棚え飾っておけばいいでしょう。あなたにとって”箔”は付きます。」貴方は、だいぶ私を誤解しているようです。私にはマルクスの本を飾る趣味はありません。私の書斎にはヘーゲル関係と自然科学関係の書物を中心に飾ってあります。マルクスの考えは、今日ではだいぶ古くなって通用しないものがかなり多い。しかし、彼の思想は19・20世紀において、世界を改造する上で、極めて大きな物理力を持っていたのは明らかである。その点では、今日においても研究に値する。
ところで、人間の思想と言うのは、何主義を自称するかによって決まるものではない。ヒットラーは国家社会主義を自称したから、社会主義者であったという訳ではない。金正日のように「マルクス主義」を自称したからと言って、マルクスを理解している訳ではない。20世紀においては、労働者階級を裏切った「マルクス主義者」は山ほどいるし、「反マルクス主義」を自称した社会主義者も山ほど現れた。人間の思想は、何主義を自称したかではなく、世界や社会の中で、いかなる行動・役割を働いたかによって決まる。
国家体制も同じである。社会主義国家を自称した国は山ほどあるが、ほとんど社会主義体制とは無縁であった。ボーダレス化する今日の世界において、一国での社会主義革命を夢見ても何も産まれない。マルクスとトロツキーは、社会主義体制は世界的なシステムであると考えた。更に、社会主義社会の中では国家は死滅に向かうと考えた。これこそが、彼らの思想の核心である。今日の人類世界にとって、最も重大なテーマでもあり続けている。今日の人類は、飢餓人口・環境破壊を抱えながら、何十回も自殺できる軍事力を持っている。なぜなのか?それはこの人類世界が、国家によって分断されているからである。マルクスもトロツキーも、博物館に入れていいほど、人類世界の知性は豊かになっていない。
なお、参考までに、次のリンクも貼ります。
「学習から討論へ」