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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

不破哲三「新・日本共産党綱領を読む」批判(1)

2013/10/23 石崎徹 60代 定年退職者

 以下の文章を「さざ波通信」で公開していただきたく、投稿します。なお、冒 頭の文は自ブログ「石崎徹の小説」で公開したときに付けた経過説明です。
 もともと、下手な小説を発表しておりましたが、ふとしたきっかけから、日本 共産党について何本か書いたものの、自分で納得できなかったので、3年前の文 書を蒸し返すことになりました。
 至らないところが多いと思いますが、ご批判を受けたいと思います。
 長文なので、今回目次を点けました。関心のあるところだけでも読んでいただ ければと思います。

               ☆

 2008年の末からの2年間、ぼくは毎月のように県党に文書を手渡してきたが、 いま読み返すとあまりにも散漫にさまざまなことを書きすぎていて、読者に供す べきものではない。最後に少しだけましと思えるものを書いているので、それを 公表して終わりとする。
 この文書の中心は現代中国分析となっているが、経済の分析などはすでに時代 に合わなくなっている。中国経済はぼくの思っていた以上の変化を遂げた。
 全体は不破哲三著「新・日本共産党綱領を読む」新日本出版社2004年への批判 である。この種の文書は原著からの引用を明らかにしつつ書くのが本来である が、それをはしょっているので、原著を読んでない読者にはわかりにくいだろ う。その点は申し訳なく思う。
 また、内容に明らかなとおり、ぼくはマルクス主義関係の文献も、現代史関係 もほとんど読んでいない。しかし一市民としてこれだけの疑問があるということ を言いたかった。
 批判は歓迎します。

   不破哲三「新・日本共産党綱領を読む」  2010年7月

 1年半にわたって、日本共産党綱領を読む中で生じた疑問を文章化してきた が、回答らしい回答を与えられずにきた。このたび、不破氏の著作を読む中で、 解決した疑問もあれば、未解決のままに終わったものもある。
 ここに、それらをまとめて提示してみたい。
 いま、取り掛かるにあたって、かなり大変な作業になりそうだな、という予感 がある。問題が多岐にわたっているうえに、ぼくの知識が限られているからだ。 ぼくはマルクス関連の書物もあまり読んでいないし、世界と日本の近現代史も勉 強していない。国際共産主義運動に関してはまったく無知である。
 また、綱領を理解するうえでの基本的文書とされている「7中総提案報告」も 「23大会報告結語」も今回読む時間がとれなかったし、不破氏がところどころで あげている、氏自身の手になる参考文献(膨大な量)も、読んでいない。(たぶ ん今後も読めないだろう。こういうことにかかずらっていると、ぼくはいつまで 経っても文学に戻れないのだ。あす死ぬかもしれないのに)。
ただ、そういった事情が、逆にぼくの強みになりうるのではないかとも考えてい る。というのは、ぼくは一般大衆のものの見方を、ある意味代表できるのではな いかと、思うからである。
 ぼくらの接する現実と不破氏の論考との矛盾、また不破氏の論考自体に見られ る矛盾について、これから書いていこうと思う。

 目次

1、解決した疑問
2、綱領はなぜ戦前の歴史から始まるのか
3、占領政策
4、「上からの民主主義」
5、「発達した資本主義国の中では最低レベル」
6、世界史
7、ソ連の位置づけ
8、二つの体制
9、世界史のその他の項目
10、コミンテルンその他
11、ソ連社会の研究
12、「巨大に発達した生産力」
13、中国
14、中国論
15、中国の何が問題か
16、「中国がどういう方向に向かっている国か。この国の指導部はどういう性格 の指導部か。この国の体制はどんな性格、特徴を持っているか」
17、レーニン「国家と革命」をめぐる問題
18、民主集中制について
19、「それぞれの分野で、もっとも切実な、そして最も広範な人々を結集できる 要求がどこにあるかを調査・研究すること、実践面でも、そういう運動の前進に 協力し、また先頭に立つことが、私たちの政策活動の重要な内容となってきます」

 本文

1、解決した疑問

①「綱領は内部文書ではない」「世間の人々はそれによって党を判断する」エン ゲルス「ゴータ綱領批判」
 いちばん最初に不破氏はこの言葉を掲げる。ぼくにとっては力強い援軍であっ た。というのは、綱領があまりにも世間の関心とずれていると思われたので、も しかしたら、これは内部文書で、党外の人間には関係ないのかと思わざるを得な かったからである。
 したがって、綱領が、世間の関心に応え得ているかどうか、というぼくの疑問 を全面的に展開する根拠を、ぼくは不破氏によって保障されたわけである。

②「社会主義をめざす国々」という規定を適用できるのは、「現実に社会主義へ の方向性を持っていると明確に判断できるときだけ」であり、「その国の指導部 の見解を鵜呑みにしない」
 これも、不破氏による心強い援軍であった。その理由は今後の論考の中で明ら かになるだろう。

③「それぞれの分野で、もっとも切実な、そして最も広範な人々を結集できる要 求がどこにあるかを調査・研究すること、実践面でも、そういう運動の前進に協 力し、また先頭に立つことが、私たちの政策活動の重要な内容となってきます」 これもまさにぼくの言いたいことであったが、実際の党活動がそうなっていると は思えない。これは最後に、最も重要なポイントとなるであろう。

④「ソ連の誤った経験は、21世紀に社会主義・共産主義の事業を成功させるため にも、詳細な研究を必要とする」
 まったくそのとおり。それでこそ、ぼくも論じ甲斐がある。ただぼくはソ連を まったく研究していないので、詳細には論じられないが、それでもいくばくか言 いたいことはあるし、いま喫緊のテーマとしては、中国を可能な限り詳細に論じ たいのだ。
 以上が解決した疑問のおもなものである。ほかにもあると思うが、論じていく 中で、おいおい触れることにしよう。
 それでは本文に入る。

2、綱領はなぜ戦前の歴史から始まるのか

 これはぼくが最初に提出した疑問であった。これについて不破氏は2点あげて 答えている。①「戦前の歴史が、日本共産党の活動にとって原点」である。②それ を知らないと「いまの問題を明確に深く理解できない」
 これはどうも共産党特有のこだわりであるようだが、一般人が知りたいのは共 産党の過去ではない。いまの問題をどう捉え、どうするつもりなのか、というこ とである。党の歴史は党史に書けばいい。綱領が、まず、一般人があまり関心を もてない、党のいわば個人史から始まるのでは、手前味噌という感じで、それだ けで読む気が失せるだろう。
 できる限り短い文章の中に、どう要領よく、正確に、分かりやすく、しかも人 の心を捉えて、読む気にさせるものとしてまとめあげるか、ぼくもいますぐ例示 することは不可能だが、やはり最初にいま、世界と日本で問題になっているのが なんであるか、ということを書くべきだし、そこにいたった原因としての近現代 史を要領よくまとめることが必要であろう。
 この近現代史で、気になっているのが、日本史が最初にあって、世界史は後の ほうにならねば出てこないということである。確かにごく一般の日本人にとって は世界史は縁遠いテーマかもしれないが、少なくとも政党の綱領を読んでみよう とする人間にとっては、まずその党が世界をどう見ているのかということは気に なるはずである。
 その日本史を見るとほとんど戦争史である(特に不破氏の解説は。綱領の記述 もそれに近い)。明治維新以後の日本の政治、経済、社会の変化、特にその進歩 的側面は無視されて、ただ矛盾点のみに触れている。一般に資本主義の発展は人 類の進歩であるという観点がない。
 不破氏の解説は戦争の原因を天皇制のみに求めている。戦争の解説全体を通し て伝わってくるのは、戦争をイデオロギーのみで捉えようとする姿勢である。
 確かに戦争は常にイデオロギーの仮面をかぶっている。戦争遂行者たち自身が みずからのイデオロギーを信じているという側面がある。だが、戦争がイデオロ ギーによって起こるということはほとんどありえないことだ。戦争はいつの時点 でも、経済的欲求なのであって、たとえば領土的野心などというイデオロギー は、表面的なものに過ぎない。それが経済的に利益がなければ、このイデオロ ギーは現実の前に潰えさる。日本の資本が欲しかったのは、中国の石炭と鉄鉱石 なのだ。そしてそのほかの経済利権だ。拉致した何万もの中国人労働者の奴隷労 働によって、日本はただ同然で石炭と鉄鉱石とを手に入れ、これによって急速に 近代化していった。日本は敗戦によって焼け野原となるが、近代的工業化が日本 人に施した教育は残った。これが戦後の日本にとって決定的だったし、それは中 国人の犠牲によって始めて可能となったものだったのである。
 もちろん、綱領にこんなことを具体的に書いていたのでは、長くなりすぎるだ ろう。だが、不破氏の解説には、戦争をイデオロギーでしか捉えていない弱点が 明らかにある。そしてこれが現代日本社会の分析、日本の位置づけという後のほ うのテーマに直結してくる。

3、占領政策

 占領政策についてはぼくの知らない事実がかなりあった。その点は勉強になった。
 だが、アメリカがその統治の初めに、なぜ一連の民主主義的改革を行ったのか という点に関して、不破氏の触れなかった重要な問題があると思う。
 アメリカは西ヨーロッパのほぼ全域も占領したが、アジアでも、アメリカが占 領したのは日本だけではない。フィリピンや、太平洋の島々がそうであるし、朝 鮮南部には、李承晩を据えた。中国国境でパルチザン闘争をしていた金日成でも なく、上海で臨時政府を作って活動していたグループでもなく、ハワイで遊んで いた、ほとんど韓国と縁のない人物をつれてきて、傀儡政権をでっち上げた。そ の施政は過酷な軍事独裁政権であった。フィリピンは、ほとんどアメリカの植民 地として復活し、広大な土地をアメリカ農業資本に奪われ、バナナ農園化してい くとともに、やがてマルコスの独裁下におかれる。台湾では蒋介石が現地住民を 虐殺する。オランダから独立したスカルノ政権が倒れた後の、インドネシアのス ハルト政権にしてもそうだし、フランス敗北後のベトナム南部にしてもそうである。
 要するに、アメリカ占領下、もしくは影響下におかれたアジアの国々は、例外 なく軍事独裁政権となり、ひとり日本にのみ一定の民主主義が保障されたのであ る。何故か。
 もちろん不破氏の述べた要素も大きい。天皇制軍国主義の芽をつぶすことを急 務とした占領軍とすれば、まず日本を民主化することが重要だと思えただろう。 だが、現在のイラクを見ても分かるように、民主主義の土壌のないところでは民 主主義は育たないのである。ブッシュは、戦後日本でやったように民主主義をイ ラクに、そして全アラブに根付かせるのだと言ったそうだが、独裁は押し付けら れても、民主主義は押し付けられない。なぜなら押し付けたその時点で、それは もはや民主主義ではなくなってしまうからである。
 アメリカの占領政策にはたてつけないという条件下、そして、じきに占領政策 自体が反動化し、民主主義抑圧の方向に向かってしまうという条件下で、それで も、日本の民主主義が花開いたのは、その条件が日本社会にすでにあったからで ある。それはもちろん、日本共産党が存在したということもそのひとつだ。これ は日本共産党が誇っていいことだ。だが、それだけではなく、日本がすでにアジ ア的社会を抜け出して、一定の中間層をも含み、また大衆社会全体の状況も、す でにかなり近代的なものになっていたということ、天皇制軍国主義の下で抑圧さ れていたが、その重石が取れれば、一挙に民主主義が開花する条件が存在したと いうことなのである。
 この近代化を可能にしたのは、皮肉なことではあるが、日本が植民地を持ち、 ここから資源と労働力とを収奪したからである。ぼくはそのことを肯定しようと いうのではない。だが、事実は見ておかねばならないはずだ。
 近代化は物質的豊かさによって始まる。だがそれがすべて焼けてしまったから といって、人間は原始時代に戻るわけではない。物質的近代化が成し遂げた知 的、精神的、社会的近代文明は焼け残る。それが戦後日本だったのだ。
 民主主義は決して与えることはできない。したがって、右翼の主張する、与え られた民主主義という表現は正しくない。

4、「上からの民主主義」

 ここで、不破氏は、フランスの戦前の統一戦線政府と、その下でなった、労働 時間の短縮とバカンスの制度に触れ、これは政府が上からなしたのではなく、労 働者が自ら闘いとったのである、と述べている。後のほうで不破氏はもう一度こ の問題に触れるが、いかに民主的な政府ができても、政府は社会に何かを強制す ることはできない、政府が提供するのは公正な機会、弾圧されないことの権利、 といった政治的ことがらだけであって、労働問題も含めて、社会を変えていくの は、国民一人一人が結集した運動の力なのだ、といった意味のことを言っている。
 これはこの限りでは、わが意を得たりである。つまり、解決した疑問の③に挙 げた項目であって、最後に論じることになるだろうテーマである。
 ただし、これに関連して、不破氏は、日本で8時間労働制が成立しても、結局 現場では12時間働いている。これは日本の場合上からの民主主義であって、労働 者が自ら闘いとったものではないからだ、と言っている。これに一理あるとして も、ここで「上からの民主主義」と断定してしまうのは疑問である。この言葉を 不破氏が何回か繰り返しているのを見ても、これは不用意に出た言葉というもの ではない。そういう認識が不破氏にあるわけである。だがこれでは右翼の言って いることと同じになってしまうではないか。「上からの民主主義」「与えられた 民主主義」「押し付けられた民主主義」「押し付けられた日本国憲法」「押し付 けられた憲法九条」。
 そうではないということを不破氏はずっと言っていたはずなのである。だがこ こにきて、いままで言っていたことを180度ひっくり返すようなことを何故言う のか。日本の戦後民主主義が何故成立したか、という根本問題での認識に弱いと ころがあるように思える。

5、「発達した資本主義国の中では最低レベル」

 この言葉を不破氏は何回か繰り返す。たしかにOECD諸国での比較が先ごろ 朝日新聞に載ったが、それを見るまでもなく、日本の一般市民の経済的、社会的 レベルは、OECD諸国の中ではどれも最低レベルである。
 だがこれは言葉のマジックである。たかが20国か30国しかないOECD、発達 した資本主義国の中で最低レベルだとしても、世界190国の中では20位か30位な のである。
 上位20国だけを取り上げて20位だという。でも190国の中でもやはり20位なの だ。自分より上のものとだけ比べれば自分が最低になるのは当たり前のことだろ う。この表現は何も意味しない。発達した資本主義国、OECDメンバーとは実 はほとんどがヨーロッパ文明の上に築かれた国々だ。それ以外の地域からこのレ ベルに到達したのは、ほとんど日本1国だけである。(韓国、台湾、シンガポー ルなどが追いついてきてはいるが)。
 190人でマラソンして20位だったA君は20人の中ではどん尻だと嘆くべきなの か、それとも190人の中で20位なのを喜ぶべきなのか。
 これは単に嘆くか喜ぶかという問題ではない。現在の日本の経済的地位をどう 評価するかという問題なのである。それは現在の日本の社会をどう見るかという 問題につながってくる。日本の民主主義を世界の中でどう位置付けるかという問 題でもある。
 ここにあるのは、実は世界の国々をいくつかに分類してみせる不破氏の粗雑な 態度の表れなのである。そしてそれが実は日本共産党綱領の記述に反映している。
 共産党のやり方に特徴的なのはレッテル貼りである。いわく、発達した資本主 義国、その支配下にある国々、資本主義を離脱した国、離脱していたのだが戻り つつある国。子供の言葉遊びじゃあるまいし、こんな粗雑な分類はやめて欲し い。一国一国をもっと丁寧に見ていく必要があるだろう。
 たとえば、帝国主義の定義だ。まず、「独占資本主義に特有の帝国主義的侵略 性」とは何なのか。これはうっかり書いたのか。「特有の」とはほかの体制には 見られないという意味ではないのか。だが「帝国主義的侵略性」はローマ時代か らあったのである。ソ連の侵略性とは何だったのか。
 次に、現代では帝国主義はアメリカ1国であり、たとえばフランスはそうでは ないとか書いている。こういういい加減な分析はやめて欲しい。フランスはいま でも、コンゴなどで軍隊を維持している。この軍隊はときには人権問題で多少進 歩的な役割も演じるが、基本的にフランスの利権を守るための軍隊である。だか ら、フランスは帝国主義なのだ、と言いたいわけではない。こういうレッテルを 貼ったり貼らなかったりすること自体が意味がないと言っているのだ。ある国が ときには帝国主義的に行動し、違う場合には別の行動をする。中国だって最近は かなり帝国主義的行動が目立つではないか。ドビルパンがどう言ったとかいうこ とをうれしそうに書いているが、フランスがイラク戦争に反対したのは、アメリ カがイラクと対立している隙をぬって、ロシアとフランスとがイラクの石油利権 を掌握していたからでもあるのだ。
 世界の国々を勝手に分類して、人口分布を示してみせる。こういうやり方を見 ると、あいも変わらずおかしなことをやるなあという感じである。かつて日本共 産党がソ連は社会主義であると信じていた時代に、社会主義の下で暮らす人口は 世界の何割とか宣伝していたことがあった。ぼくは党員であったときもなかった ときもずっと党員として扱われていたので、友人がこの率でぼくを責めた。こん なに人口率が高いのに社会主義はぱっとしないじゃないか、というわけだ。「馬 鹿を言うな」とぼくは言った。「そんなことは共産党が勝手に言っているだけ で、その人口はほとんどが中国の貧困人口なんだ。そんな数字には何の意味もない」

つづき