不破政権論 半年目の総括(インタビュー)(上)

2、不破政権論の何が問題なのか

  (d)野党共闘と政権参加
   野党共闘の問題

 インタビュアー 党員の間では、意見の相違を越えて野党共闘を進めるのは当然である、したがって、その延長上として、意見の相違を越えていっしょに政権に入るのも当然ではないか、という意見も非常に根強いようですが、これについてはどう考えたらいいのでしょうか? 

 H・T この問題については、一般的なレベルでの野党共闘についてどう考えるべきか、という問題と、他の野党といっしょに政権に入ることの是非、という2つの問題に分けて考える必要があります。
 まず最初の一般的なレベルでの野党共闘についてですが、もちろん、必要に応じて個別的な課題で野党共闘を進めることに何ら異存はありません。ただし、その場合でも、共闘相手に対する批判的姿勢と政治的警戒心を一瞬たりとも怠らないこと、自分の手は常に自由にしておくこと、党員大衆の知らないところで取引したり政治的約束をしたりしないこと、共闘はあくまでも個別の課題にもとづいて個別に行なうこと、などが前提として必要です。そして、それをふまえているならば、たとえ根本的に意見の違う相手とも共闘は可能です。

 インタビュアー そうすると、共産党が現在積極的に野党共闘を進めようとしていることにはとくに問題はないということでしょうか。

 H・T いえ違います。大いに問題があります。現在の共産党の立場や発言を見ているかぎり、必要に応じて個別的課題での野党共闘という限定を越えて、何はともあれ野党共闘が前進するのは善であるという雰囲気があります。このような無原則的な野党共闘の論理が、今回のような政権構想にも結びついています。

 インタビュアー 野党共闘が前進することそれ自体は必ずしも善ではない、ということでしょうか。

 H・T もちろんです。たとえば、護憲・革新勢力の共闘が前進することは、それ自体として進歩的意味を持っています。しかしながら、「野党」というのは何でしょうか。それは単に、現在たまたま政権与党ではないというだけの意味です。そこには、何らかの階級的意味も、政治的意味もありません。野党には、与党自民党より帝国主義的であったり、自民党より新自由主義的であったりする政党はいくらでも存在します。それぞれの野党の階級的・政治的性格を不問にして、野党間の共闘が進むことは善であるという考えは、まったくのナンセンスです。
 たとえば、3中総の志位報告に次のような一節があります。

「わが党は、こうした逆流にたいしては、野党協力を大局的に前進させ、発展させるという立場から、事実と道理にもとづいて、率直な批判と論争をおこなうものであります」。

 この文言はまったく理解しがたいものです。どのような階級的・政治的性格を持った野党なのか、いったいいかなる階級的・政治的目的のための協力なのか、この肝心要のことを抜きに、「野党協力を大局的に前進させ、発展させるという立場」が云々されています。このような論理は、93年政変の時に、共産党内の右派知識人やリベラル気取りのニュースキャスターなどが、政権交代そのものが善であるかのように語ったのとある種共通したものがあります。

 インタビュアー 不破インタビューでは、細川政権は、自民党政治の基本を継承する政権だったから駄目だったんだという説明がされていますね。

 H・T それもまったく誤った意見です。細川政権の真の問題点は、自民党政治を継承した部分にあるというよりも(もちろん、それも問題ですが)、むしろそれを変えた部分にこそあったのです。すなわち、中選挙区制を廃止して小選挙区制を導入したこと、そして、伝統的な農民保護政策を転換して米の輸入自由化を断行したことです。
 それはともあれ、もう1つ、野党共闘に関する共産党の立場で問題なのは、現在の情勢下において、この「野党協力」が発展する客観的条件がかつてなく存在するという認識が見られることです。たとえば、3中総の志位報告では次のように言われています。

 「このような野党共闘をめぐっては、前にむかう流れとともに、いろいろな複雑な流れもあります。しかし、自民党政治の政治的破たんの深刻さ、国民との矛盾の深さからみれば、野党間の協力がさまざまな紆余曲折をへながら前進していく客観的条件はあります」。

 自民党政治が大きな矛盾の中にあること、このことは誰も否定しません。問題は、この事実から直接、野党間の協力が前進していく客観的条件なるものが演繹されていることです。実際には、自民党の矛盾を打破する方向性は実際には2つあり、それぞれの方向性は互いに正反対なのです。
 1つは、旧来の経済主義的平和主義の路線を最終的に清算して、能動的な帝国主義の路線をとること、あるいは、旧来の農民・自営業者保護の利益政治を解体して、大企業と都市上層の利害に合致した、弱肉強食の階層政治を実現する方向性です。これは、最もはっきりとした形では自由党の路線に体現され、後者の利益政治解体に関しては民主党によっても体現されています。
 それに対して、もう1つは、経済主義的平和主義をより普遍的で反帝国主義的な平和主義に転換すること、あるいは、無駄な公共事業と一体になった農民・自営業者保護から、より普遍的で民主主義的な新しい福祉国家の一部として農民と自営業者の暮らしと営業を守るという方向性です。これが基本的には共産党のめざしている方向性です。
 この2つの方向性は、一見して明らかなように正反対であり、したがって、自民党政治の矛盾が深まれば深まるほど、野党共闘の可能性は広がるのではなく、逆に縮小していきます。労基法改悪をめぐって、共産党と他の野党とが完全に分裂したのはその端的な例ですし、自由党がさっさと自民党と連合して与党に返り咲いたのは、もう1つの顕著な例です。

 インタビュアー しかし、もし共産党が今のまま野党共闘を優先させる発想をもちつづけたとしたら、この相対立する政策的方向性も鈍るんじゃないでしょうか。

 H・T そうです、その通りです。共産党の指導部が、他の野党とのこの政策的方向性の対立を自覚しておらず、野党共闘をできるだけ前進させようとするならば、共産党の側が自分の本来の政策を緩和したり、棚上げしたりしかねません。そして、不破政権構想はその最もはっきりとした実例です。さらに、新ガイドライン反対の闘争をめぐってすら、この野党共闘の論理が否定的影響を及ぼしかねません。

 インタビュアー それはどういうことでしょうか?

 H・T 3中総の志位報告に次のような一節があります。

 「ガイドライン問題でも、国会無視の発動に反対するという点では、野党協力の客観的条件はあります」。

 これは要するに、米軍と協力して自衛隊が行動する場合には国会での承認(事前承認、あるいは、緊急の場合は事後承認)が必要だという条項を周辺事態法案に入れるべきか否か(自民党の案は国会への事後報告のみ)、という問題のことを言っています。たしかに、このレベルでは、社民党も民主党も公明党も一定、足並みをそろえる可能性がありますし、自由党ですら今のところ「国会の事後承認が必要だ」と言っています。
 しかし、国会の事前承認があろうとなかろうと、自衛隊が米軍の作戦にしたがって後方支援を行なうこと自体が違憲であり、帝国主義的行為なのですから、他の野党の反対姿勢というのはきわめて脆弱なものです。自衛隊の違憲行為を国会が事前に承認したり、事後に承認したりするのは、憲法にもとづいて存在している国会の自己否定です。
 このようなレベルでの反対は、反対論としてきわめて弱く、せいぜい「事前承認がベターだが、それが無理なら事後承認でよい」ということで与野党間の決着がはかられる可能性はきわめて大きいと思います。にもかかわらず、共産党が、他の野党の反対姿勢を過大評価し、野党協力を優先させるならば、共産党自身が「国会の事前承認があればよい」という立場にまで後退する危険性があります。

 インタビュアー 現在は、共産党は、新ガイドライン法案は修正の余地はなく廃案しかないという立場ですね。

 H・T 当然です。しかし、暫定連合政権の可能性が非常にあると思われていた時期には、少し違ったニュアンスで語られていたことについて看過すべきではありませんし、現在でも「国会の事前承認」論はきっちり批判されていません。

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