不破政権論 半年目の総括(インタビュー)(下)

3、不破政権論の背景

  (a)共産党の主体的要素
   機械的段階論

 インタビュアー 共産党の構造的な主体的要素としては「国民主義」以外に何かありますか。

 H・T もう一つの重要な要素は、機械的な段階論です。

 インタビュアー それは改良主義というのとは違うんでしょうか?

 H・T これも、先の「国民主義」の場合と同じで、既存の言葉だけでは表現しきれない共産党の独自性を認識する上で、私はあえて「改良主義」という言葉は使わずに、「機械的な段階論」と言うことにしています。「機械的な段階論」もある意味で改良主義なのですが、それは独特の改良主義なのです。
 改良主義というのは、資本主義の枠内での改良の積み重ねだけで満足する思想ないし運動を指しますが、共産党の場合は、小刻みな段階というものが設定されており、その段階の中には社会主義と共産主義まで含まれているのです。これは大きな違いです。

 インタビュアー 社会主義や共産主義といっても単に綱領にそう書いているだけで、実質は改良主義と何ら変わらないという批判もありうるし、実際に左からそう批判されていますが?

 H・T そのような批判は、たしかに半分以上あたっています。しかし、それだけでは問題は片づかないのです。もし本当に単なる改良主義なら、綱領をさっさと変えて、社会主義や共産主義もなくして、名前も変更すればいいわけです。イタリアの左翼民主党のように、あるいは、日本の社会党のように。なぜそれをしないんでしょう?

 インタビュアー 共産党の看板を持っていたほうが、左翼的な部分をだませるからだ、という反論が出てきそうですね。

 H・T 問題はまさにそこにあります。かつてのように、社会主義・共産主義の急進的運動が盛んな時代には、共産党の看板はたしかに重要でしたし、それの持つイデオロギー的力は大きかったのはたしかです。しかし、今や時代が完全に変わり、社会主義や共産主義を標榜する党派は凋落し、世論調査でも、社会主義に魅力を感じる人が果てしなくゼロに近くなっているにもかかわらず、そのような看板を維持するいったいどういう意味があるというのでしょうか。実際、マスコミや、保守的な支持者は、共産党の名前を変えればもっと支持が集まるのに、とおせっかいな助言を与えていますよね。このような状況下でなおも、社会主義・共産主義を綱領に残し、共産党の名前を変えないのはどうしてでしょうか。

 インタビュアー 多くの党員がまだ社会主義なり革命なりをそれなりに信じているからじゃないですか。

 H・T まさにそうなのです。共産党の本質は、幹部の思惑だけで決定されるわけではありません。36万もの党員全体、とりわけその中の中心的活動家(カードル)の意識、志向などによって規定されているのです。幹部はその意識に自らを順応させなければなりません。不破委員長が本当に主観的にも社会主義をめざしているのかどうか、それは不明です。もしかしたら、めざしてさえいないのかもしれません。昨今の一連の動きを見ていたら、そのような疑惑を持って当然です。しかし、いずれにしても、党員の間でなおも強力に存在している社会主義・共産主義の規範意識こそが、共産党の最終的な変質を防いでいるし、共産党を共産党たらしめている要素でもあるのです。
 こうした中で、指導部がそのような意識に順応しつつ、持ち出してきたのが「機械的な段階論」なのです。社会主義・共産主義という目標を否定するのではなく、その間に実に多くの段階を設け、そして、その段階と段階との間の距離を広げることで、改良主義と社会主義とを和解させようとしているわけです。
 このような段階論的アプローチに対し、「即社会主義革命だ、日和見日共粉砕!」を抽象的に叫ぶだけでは、いかなる説得力も持ちえません。現在の共産党指導部の「機械的段階論」は、社会主義に対する支持がほとんどないという日本の今の現状をそれなりにリアルに認識した上で、そうした現状と、社会主義を標榜する綱領とを何とか和解させようとする一つの試みでもあるからです。
 機械的段階論の「説得力」は、そのほうが現実的であるように見える、という外観に依拠しています。目標を低くすればするほど、支持の幅が広がって、それだけ現実性を帯びる、というある意味で非常に一般的な常識に、無批判に依拠しているわけです。この常識はたしかに、多くの場合に妥当しますが、階級政治という複雑な実践領域においては、しばしば足をすくわれる原因となります。われわれが不破政権論を批判したポイントも、単にそれは日和見だからだめだというような抽象的な反対論にもとづいていたのではなく、それが現実的であるように見えて、他のいかなるものよりも非現実であり、かつ、党と人民の利益に直接反するということでした。
 たとえば、安保反対の政権よりも、安保容認だが改悪反対の政権の方が現実性があるように見えます。しかし、これは前回のインタビューで詳しく述べたように、まったくの幻想なのです。現在の国内外の状況においては、安保容認の論理は必然的に新ガイドライン受け入れの論理につながっていきます。安保を容認しながら安保改悪に断固反対するというような中間的立場をとっているのは、共産党より小さい社会民主党だけです。この例を見てもわかるように、目標の引き下げは必ずしもその実現可能性の増大を意味しないのです。
 もちろん、だからといって、目標は高ければ高いほどいい、というのも逆の機械論です。ここで必要なのは、どんな情勢にもあてはまる万能の処方箋ではなく、レーニンが口を酸っぱくして言っているように、具体的事実の具体的分析なのです。

 インタビュアー まとめますと、共産党の体質を形作っている構造的な主体的要素として、「国民主義」と「機械的段階論」があり、この両者が、今回の一連の動きの背景の一つとしてあるということでしょうか。

 H・T 実はもう一つ、「近代主義」という病があるのですが、これは、日本共産党のみならず、日本の他の左翼にも共通して見られた弱点であり、「日の丸・君が代問題・再論」の方で詳しく述べる予定ですので、ここでは省略します。他にも、なお解明すべき問題はまだまだあるでしょうが、それは今後の研究と検討の課題にしたいと思います。

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