不破政権論 半年目の総括(インタビュー)(下)

3、不破政権論の背景

  (b)社会的・経済的・政治的諸条件

 インタビュアー 共産党の構造的な主体的要素についての話が長くなりましたので、別の要素についてもお話しください。

 H・T すでに述べたように、共産党の内部には、かなり以前から「国民主義」も「機械的段階論」も内包されていましたが、それが今回のような露骨に右翼的な形態をとったことは、それ自体として独自の説明を必要とします。
 さまざまな社会的・経済的・政治的諸条件が複雑にからみあって、今回のような事態を招いているので、順を追って話していきましょう。
 まず、一つ目の客観的条件は、80年代半ば以降急速に進み始めた日本の本格的な帝国主義化です。日本の経済大国化と日本企業の多国籍化を背景として、および、ソ連・東欧の崩壊による社会主義意識の解体を背景として、国民諸階層内部の平和主義的規範は著しく後退しました。この平和主義意識に依拠した日本共産党の小国的な国民主義は維持することがますます難しくなりました。一方では、日本の経済大国化を容認し、他方で政治的・軍事的には小国主義と平和主義で行くという矛盾した対応は、この矛盾そのものによって解体しようとしています。この小国的・平和主義的な「国民主義」は、中上層市民に依拠した帝国主義的階層政治か、それとも国内の中下層および世界の被抑圧民衆に依拠した国際主義的反階層政治か、という選択肢の前に立たされています。
 しかしながら、共産党指導部は、旧来の「国民主義」をあくまでも維持しようとしています。そのため、右傾化した国民意識に合わせようと、この「国民主義」の内容を少しづつ体制側にずらしていっているのです。
 二つ目の客観的条件は、一つ目と不可分の関係にありますが、80~90年代における国民内部の階層分化の進展です。日本社会はすでに述べたように、階層を越えて広がっている平和主義の規範や、企業主義的統合の成立、自民党的な国民統合政策ゆえに、階層分化の度合いは欧米よりも著しく立ち遅れていました。しかしながら、ソ連・東欧の崩壊とともに強まった世界大の競争(メガコンペティション)の進行と、日本の帝国主義化を推進している日米の多国籍企業や日米支配層の要請とともに、このような統合政治は時代遅れとなりました。企業主義的統合はより階層的で競争主義的なものに改編されつつあり、自民党の国民統合政策もより露骨な新自由主義政策によってとってかわられようとしています。均質な国民像や同一の国民的利益なるものが、ますます虚構のものとなりつつあります。
 共産党は、事実上の政治的基盤としては国民内部の中下層に依拠しながらも、政治的規範としてはあいかわらず「国民主義」に固執しているため、その政策においてしばしば逸脱やぶれが生じるのです。民主党と連合して「よりましな政権」ができると夢想したりしたのは、その典型的な例です。
 三つ目の客観的な条件は、社会党の崩壊です。この問題は、従来、あまり論じられてこなかったので詳しく展開しておく必要があります。
 共産党が60~80年代を通して、原則的な革新野党としての姿勢をとることができたのは、ある意味で社会党という大きな政党が、自分の少し右に存在していたからです。60~80年代の政治状況を地形学的な比喩を使って表現しますと、社会党という巨大な山脈がまず、護憲・革新陣営の一番右はしに存在し、その左に共産党という比較的大きな山がそびえ立ち、そのさらに左に、新左翼諸党派やラディカル市民主義者のような、無数の小山ないし岩が存在していました。
 このような地形のもとで、体制側から吹いてくる右傾化の風をもろに受けたのは、一番右はしに位置する社会党だったわけです。社会党がいわば、右傾化の風を全身で受けることによって、その影にいた共産党や新左翼は左翼的でありつづけることができたのです。しかし、この社会党という山脈は崩壊しました。今や、戦後民主主義陣営の右端にいるのは共産党という山です。今や右傾化の風をもろに受けているのは共産党です。
 しかも、社会党という山脈が崩れたとき、右に崩れた部分は、護憲・革新陣営の境界を越えて、保守の陣営に民主党という山を形成し、左に崩れた部分は、一部は新社会党という小山を作りましたが、多くは共産党に流れこんで、共産党の山をぐんと大きくさせました。
 さらに重要なのは社会党の崩壊が、新自由主義政策が本格的に展開される以前だったという事実です。ヨーロッパ諸国を見てわかるように、保守政権による新自由主義政策に対する労働者人民の反発や抵抗は、まずもって社会民主主義政党の前進と政権奪回という形で現象します。もし日本で社会党の崩壊が起こっていなかったとしたら、あるいはもっと後で起こっていたとしたら、90年代中後半から日本でも顕著になってきた新自由主義政策に対する広範な反発は、何よりも社会党を押し上げる結果になったでしょう。しかし、社会党はそのような社会的圧力が起こる直前に崩壊を遂げました。この崩壊の原因は、それはそれで、独自の分析を必要とする事態ですが、いずれにせよ、新自由主義政策に対する反発が日本で起こったとき、その反発の受け皿となったのは、欧米型社会民主主義政党ではなく、共産党だったのです。
 こうして共産党は、一方では、右からの風をもろに受ける立場になっただけでなく、社会党から崩れた土砂と新自由主義への反発の圧力を受けて、その実力をはるかに超えた得票を得ることになったのです。60年代や70年代初頭におけるような、下からの大衆運動や急進的な学生運動が盛り上がる中での選挙での前進ではなく、むしろ、下からの運動が衰退し、解体していく中で、共産党は選挙での大躍進を遂げることになったのです。
 ここから、共産党のこの間の急速な右傾化を説明する第四の要因である、運動的・組織的実力の低下と選挙における力の増大という著しいギャップが生じました。このギャップから、人民の下からの運動よりも野党共闘やマスコミ対策が重視されたり、国旗・国歌の法制化を持ち出すことで国民的討論になるという発想が出てくるわけです。

 インタビュアー そういえば、私は2~3年ほど前に、上田耕一郎氏の講演を聞く機会がありましたが、その中で彼は、この間の共産党の前進が60~70年代の革新高揚期を上回るものだと胸を張っていました。私はそれを聞いて、共産党幹部の情勢ボケに驚きました。実際に、下で運動を担っているわれわれにとって、60~70年代どころの話ではなく、どんなに運動があちこちで低迷し、後退し、そして運動の担い手自身がどんどんいなくなっているかを実感していたからです。

 H・T 選挙での得票の伸びだけを見るから、上田耕一郎氏のような発言が出るんでしょう。60~70年代における共産党の躍進は、社会党という大きな革新政党があったもとで、なおかつ獲得した躍進であり、しかも大学においても地域においても職場においても、さまざまな大衆運動が大きな前進を遂げ、次々と若者が共産党に入っていった中での躍進だったわけです。今のように、社会党が崩壊して、革新の総得票数が激減する中で共産党の取り分が増えたのとは、わけが違うのです。
 第五に、新自由主義に対する反発で共産党に大量に投じられた票の質という問題です。新自由主義によって切り捨ての対象とされているのは、何よりも農村と都市自営業者であり、これらの層は保守の伝統的な基盤でした。これらの層はもちろん、大企業ホワイトカラーや上層エリートなどに比べれば平和主義的志向が強いのですが、この平和主義は、伝統的革新層におけるような高度な質――安保・自衛隊反対、「日の丸・君が代」断固反対――ではなく、安保も自衛隊も日の丸も容認した上で、あまり好戦的なものはいや、とか、自衛隊が海外に出て無茶なことをするのはいやだ、とか、日本が戦争に巻きこまれるのは困る、といった水準にあります。こうしたソフトな保守意識を根強く持った層が、この間の新自由主義政策のおかげで大量に共産党に票を投じることになりました。そのため共産党は、安保・自衛隊や「日の丸・君が代」問題に関してこれらの層にも反発を受けないような政策作りに腐心するようになりました。

 インタビュアー 伝統的な革新層は無視されているということですか?

 H・T 無視までは行きません。ある意味で、共産党指導部はどちらにも受け入れてもらいたいと思っています。だから、党としては安保廃棄(党員と伝統的革新層向け)だが暫定政権では容認(ソフトな保守層向け)とか、「日の丸・君が代」には反対だが(党員と伝統的革新層向け)、国旗・国歌の法制化は必要(ソフトな保守層向け)といった立場になるのです。

 インタビュアー この伝統的保守層にアプローチするのは危険だからやめるべきだということでしょうか?

 H・T いえ、違います。新自由主義の犠牲者となる諸階層の利益を守る先頭に日本共産党が立つことは、共産党の歴史的使命であり、より古典的な用語を使えば、日本プロレタリアートの歴史的使命です。問題は、この伝統的保守層に対する接近はあくまでも、彼らの切実な生活要求にもとづくべきであって、彼らの現状のままの意識に共産党の政策を合わせることによってではないということです。後者のようなやり方は、ただ共産党自身を弱め、それを支える伝統的革新層の力を掘り崩すことによって、このブロックそのものを不安定にするだけです。
 最後に第六の要因は、共産党の左に位置する諸党派のあまりの政治的弱さです。ヨーロッパにおいては、60~70年代の急進的学生運動を展開した新左翼は、その後、かなりの大衆的基盤を獲得することに成功し、一定の社会的承認を勝ち取っています。たとえば、フランスでは大統領選挙で、トロツキストの候補者がかなりの得票を獲得してマスコミの話題をさらうようなことが起きていますし、イタリアにおいてもドイツにおいてもスペインにおいても、新左翼は大衆的基盤を獲得しています。しかし、日本では、60~70年代に同じように急進的学生運動の大きな高まりを経験したにもかかわらず、それがその後労働者大衆の中で大衆的基盤を持って社会的に認知されるような事態にまったくなっていません。共産党に幻滅した一般の労働者人民が安心して頼れるような強固な政治的受け皿は存在しないのです。なぜ日本の新左翼は大衆的基盤を獲得することに失敗したのか、これもまた独自の分析を必要とする興味深い問題ですが、これについても別の機会に譲りましょう。
 いずれにしても、このような政治的状況においては、事実上、選挙では共産党以外に革新の受け皿はありませんので、左翼的心情を持った有権者は、たとえ共産党の今の姿勢に大きな疑問を感じ、反発を感じても、とりあえず共産党以外に投票する相手がいないということになります。あるいは、党員自身も、共産党の昨今の右傾化に反発を感じても、いま共産党がなくなればたいへんなことになると思って、ぐっと我慢しています。共産党は、このような事情を意識的にか無意識的に(おそらく無意識的にでしょうが)利用して、遠慮なく右にウイングを伸ばそうとしているのです。

 インタビュアー つまり、共産党自身が有していた構造的弱点が、以上のような客観的諸条件のもとではっきりと現象し、今回のような一連の事態につながっているということですね。

 H・T ええ、そういうことです。

←前のページ もくじ 次のページ→

このページの先頭へ