不破政権論 半年目の総括(インタビュー)(下)

3、不破政権論の背景

  (d)党員自身の責任

 インタビュアー 指導者独自の責任というのは、以上の話でだいたいわかりました。しかし、問題は指導者だけでなく、そういう指導者を許してきたわれわれ党員の問題もあると思いますが…。

 H・T もちろん、そうです。責任を他者にのみ帰してよしとするのであれば、スターリニズムと同じです。われわれ一般党員は、党指導部への批判意識を持っていた場合でも、あれこれの理屈をつけて、指導部を公然と批判することを避けてきました。いわく、反共勢力に利用される、現在の情勢のもとで共産党しかないんだから共産党を不利にするようなことをしてはならない、批判したいがそんなことをすれば追い出されるだけだ、どうせ他の党員は耳を傾けてくれないから無駄だ、今は新ガイドライン反対などの運動に取り組むべきで党への批判など二の次だ、等々、等々です。
 いずれも、自らの政治的臆病さをごまかす詭弁にすぎません。たとえば、新ガイドラインの問題一つとっても、共産党のこの間の右傾化が、新ガイドライン反対運動に対しいかに大きな打撃を与えたことか。党内で最も思想的に堅固で、最も戦闘的な党員たちが、いかにこの間の指導部のでたらめさに苦々しい思いを抱き、出足を鈍らせていることか! 
 よく党を擁護しなければならない、と忠実な党員は言います。われわれも、「そうだ、党を擁護するべきだ」と言います。しかし、いったい、誰に対して、何を守るのでしょうか? 忠実な党員が言う「党」とは、実は一握りの党幹部のことなのです。それに対して、私が声を大にして言いたいのは、この一握りの幹部からこそ党を守るべきだ、ということです。
 党とは、指導者と称する一握りの人々のことではなく、末端で闘い活動している人々、日々赤旗を配り、ビラを配り、困難な職場で労働者の利益を守り、地道に大衆運動に取り組み、選挙で票を読み、全国津々浦々で拡声器を持って党への支持を広げている、36万の党員全体のことであり、その努力と活動の総体のことです。彼らこそが党であり、彼らこそが、日本の労働者人民の共通の財産なのです。
 にもかかわらず、現在の党指導部は、この末端で闘い活動している人々の上にあぐらをかき、彼らが必死になって守り抜いてきた党とその伝統をもてあそび、彼らに何一つ相談することなく裏切り的な新方針を次々に出し、日々、党を弱め、党への信頼を掘り崩しているのです。共産党の規約には、党の利益の上に個人の利益を置かないという項目がありますが、この規約を踏みにじり、党の利益の上に個人の利益(政権に入って大臣になりたい、マスコミに柔軟だと誉められたい、議会内でもっと大きな力を振るいたい、等々)を置いている人々こそ、現在の指導部なのです。彼らは自分のちっぽけな面子にこだわって、自らの誤りを認めようとせず、それを正当化するために、党をさらに大きな困難へと導いています。
 本当に党を愛し、党を大切に思うのなら、このような指導者を許していてはならないはずです。指導者が何を言っても、それを正当化し、それを反復し、それを忠実に繰り返している党員は、主観的には党を守っているつもりでも、実は、現在の指導部による党の弱体化に手を貸しているのです。

 インタビュアー 私も強くそう思います。私の支部にも頑固なスターリニストがいまして、今回のような「日の丸・君が代」問題に関しても、「最初は違和感を覚えたが、今は支持している。党員は中央についていくしかないんだ」と言っていました。

 H・T それは今なお中央に忠実な多くの党員の本音でしょう。これは、彼らの政治的無力さの表現なのです。支部を越えて集団的に討議する権利、集団的意見をまとめ、それを公然と表明する権利、自分たちの意見への支持を募って、党内で多数を獲得する運動をする権利、こういった当然の権利を徹頭徹尾奪われ、そうする能力も完全に奪われている一般の党員たちは、「世の中をよくしたい」という自らの希望を実現するためには、ひたすら中央についていくしかないと思っているのです。中央の善意をどこまでも信じて、それに従うことでしか、自分の初心は実現されえないのだと無意識のうちに感じているのです。だからこそ、『さざ波通信』のような存在が不可欠なのです。

 インタビュアー 同感です。しかし、党員といっても、さまざまな人たちがいて、毎日、仕事がたいへんで、その合間に何とか活動をしている本当に末端の党員と、高い社会的地位にあり比較的余裕のある知識人党員(大学教員、医者、弁護士、ジャーナリストなど)とをいっしょにできないと思います。

 H・T まさにその通りです。私は、現在の状況において、最も責任が重いのは、それなりに理論的訓練を積み、現在の指導部の問題性についてそれなりに理解しているのにもかかわらず、あいかわらず沈黙を守っている知識人党員だと思っています。とりわけ、最も働き盛りで、最も社会的影響力がある地位につき、最も政治的経験を積み、最も分厚い活動家層を形成している団塊世代の党員の責任は重大です。この世代が沈黙を続けるかぎり、いかなる党改革運動も挫折する運命にあるでしょう。団塊世代の党員は、自らの歴史的な責任(私はあえて「歴史的な責任」と言います)を自覚してほしいと思います。

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