雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

「日本共産党の考え」にさえ反する赤旗日曜版の父娘トーク

 3月7日付『しんぶん赤旗』日曜版の第7面に、今回の日の丸・君が代問題に関して、「日本共産党の考えは」と題して、「父娘トーク」が掲載されている。
 そのトークの中で次のようなやりとりが交わされている。

「洋子 それで、日本共産党は、国歌と国旗はどうあるべきだと考えているの?
 父 今回、新しく提起している点だね。一番の問題は、『君が代』『日の丸』を政府が国民的合意もないまま一方的に国歌・国旗と決めつけて、上から社会に押しつけている異常さをなんとかすることだ。最低限、法律によってその根拠をもたせること、つまり、法制化の措置をとることを主張している。これは世界の常識にもかなうことだ」。

 あれあれ、この父親の文章を素直に読めば、どうしたって、「日の丸・君が代」を国旗・国歌として法制化せよと読めてしまうではないか。「法律によってその根拠をもたせる」の、「その」とは、文脈上、「日の丸・君が代」を指すしかないだろう。
 たしか「日本共産党の考え」によれば、共産党は、何らかの国旗・国歌を法制化することには賛成だが、「日の丸・君が代」を国旗・国歌として法制化することには、その過程の中であくまでも反対するという立場のはずだった。ところが、この父親の説明にはこの肝心要のことが出てこない。
 念のため、『論座』3月号の回答に示されている共産党自身の正式な説明を以下に引用しておこう。

「国歌・国旗の問題を民主的な軌道にのせて解決するためには、国民的な合意のないまま、政府が一方的に上から社会に押しつけるという現状を打開し、法律によってその根拠を定める措置をとることが、最小限必要なことです」。

 よく見てほしい。ここでは、先の父親の言っていることとほぼ同じようなことを言っているように読めるが、よく読むと、「法律によってその根拠を定める」の「その」は、文脈上、「日の丸・君が代」のことではなく、あくまでも「国旗・国歌」一般のことである。これが共産党の正式な説明である。ところが、架空の父親は何を勘違いしたか、「日の丸・君が代」に関して「法律によってその根拠をもたせる」ことにすりかわってしまった。
 さすがにこの説明では、架空の娘(洋子)も納得できないようで、「ちゃんと法律で定めればいいと……」と、語尾を濁している。それに対して架空の父親は、一方的に法案を出して数で強行するのは駄目で、きちんとした国民的議論が必要だ、と「補足」している。しかし、この補足説明の中にもやはり、議論の中で「日の丸・君が代」の法制化には反対するという肝心のことが言われていない。
 この奇妙さは、このトークの全体の流れに目を転じればなお増幅する。最初、「どうして日本共産党は『君が代』『日の丸』を国歌・国旗として扱うことに反対なの」という娘の質問に答えて、架空の父親は二つの理由を挙げていた。一つは、日の丸・君が代が戦前の天皇支配や侵略戦争の象徴であったこと、二つ目は法的根拠がないことであった。この説明の後に、さっき引用した父娘のやりとりが続いているのだが、引用文から明らかなように、二つあった理由のうち、最初のより重要なほうが消失してしまい、国民的合意なしに押しつけることが「一番の問題」になってしまっている。この文脈の流れにそえば、たしかに、国民的合意さえあればよい、だから「日の丸・君が代」に法的根拠を持たせることが解決策だ、ということになってしまうだろう。
 公式の「日本共産党の考え」とさえ矛盾するこの父親の「すりかえ」説明の意味はいったい何だろうか? これは意図的な操作だろうか。それとも編集部のチェック漏れから生じた単純なケアレスミスだろうか?
 おそらくこれは、共産党の新見解に対する党員および国民の一般的な受けとめを無意識のうちに反映したものである。共産党指導部は、国旗・国歌の法制化には賛成だが、「日の丸・君が代」の法制化には反対だと説明しているが、この説明は非常にわかりにくく、事実上、国民的議論さえ経れば「日の丸・君が代の」法制化に共産党は賛成なのだと一般に受けとめられている。そして、この受けとめ方は党幹部や赤旗編集部にさえおそらくかなり無意識的に浸透している。だからこそ、このような「父娘トーク」ができてしまうのである。
 もちろん、この「父娘トーク」を執筆した記者に、「では共産党は『日の丸・君が代』の法制化に賛成なんですね」と再質問すれば、記者は「いえ、それは誤解です」と否定するだろう。そして、記者は、自分のその答えが「父娘トーク」と矛盾していることにすら気づかないだろう。
 共産党はしきりに、「党が日の丸・君が代を容認したというのは誤解だ」と言い訳しているが、そのような「誤解」のもとを『赤旗日曜版』自身が作り出しているのだから、何をか言わんやである。
 いずれにせよ、このような形で新見解が右寄りに解釈された上で原稿が書かれ、それが編集部内で批判も修正もされず、そのまま記事になってしまう実態は、共産党の深刻な現状を物語ってあまりあるだろう。

1999/3/8  (S・T)

←前のページ もくじ 次のページ→

このページの先頭へ