この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
1999年3月12日付『週刊金曜日』の「政治」欄に、ジャーナリストの深津真澄氏が登場して、この間の日の丸・君が代法制化策動について書いている。まったく的外れな意見なので、この場を借りて批判しておきたい。
まず第一に、深津氏は、今回の法制化策動の一つの重要なきっかけとなった共産党の「国旗・国歌の法制化容認」論について、次のように述べている。
「野中氏が巧妙なのは、共産党が一般論として国旗・国歌の法制化論議に応じる態度を示したことに対して、一段階とばして『日の丸・君が代』の法制化を持ち出したことだ」。
これは奇妙な弁護論である。現在の力関係と、新ガイドライン立法化に見られるような現在の危険な政治情勢を考慮するならば、「国旗・国歌の法制化論議に応じる態度」が「一般論」ですまないのは明らかではないか。このことは、野中が法制化を実際に持ち出す以前から、われわれを含む多くの人々によって予想されていたことである。野中広務にとくに「巧妙な」点などありはしない。敵が巧妙だったのではなく、わが共産党指導部が政治的にあまりにも無能だったのである。
第二に、深津氏は、野中が「学校長に指導要領や職務命令だけで対応させることがいいのかどうか、根本的に検討されなくてはならない」と問題提起したことを「それなりに説得力がある」と持ち上げた上で、次のように述べている。
「戦後五〇年余りが経過して、世論の大勢も国旗と国歌の存在を事実として受け入れてきた中で、教育現場だけに論争の重荷を負わせるのは不条理というほかない」。
どうも言っている意味がよくわからない。素直に理解するならば、すでに世論の大勢が「日の丸・君が代」を国旗・国歌として認めているのに、教育現場では日教組などがそれに反対したから問題が紛糾したのだ、と主張しているように読める。いっそうのこと法律を作ることで、これ以上現場でもめないようにし現場の教員や校長を楽にしてやればよい、ということだろうか? そうとしか受け取れないような主張である。
いずれにせよ、深津氏が国旗・国歌の法制化に反対していないことだけはたしかである。このことは、続く次の一文からも明らかである。
「法制的根拠を設けるからには、政府は日の丸・君が代にとらわれず、国旗・国歌のあり方を白紙で論議するような場をつくるべきだ」。
この一文を読むかぎりでは、深津氏は、国旗・国歌の法制化はいいが、日の丸・君が代を国旗・国歌にするのは問題だという主張(共産党指導部の新見解)と同じであるように見える。しかし、実際はさにあらずである。氏は続けてこう述べている。
「実際問題として、日の丸に代わる新しい国旗を考え出すのは容易ではあるまい。白地に赤の円という単純明快な図案はデザイン的にもすぐれたものだし、明治以前から日本の船のマークとして通用してきた歴史もある。明治以後、日の丸が近隣諸国への侵略の象徴になった歴史はあるが、暗い記憶も含めその責任は国民全部で引き受けるべきだ」。
良識派ぶるインテリに典型的な日の丸擁護論である。右翼や保守派のごとく声高に日の丸の正当性を主張するわけではないが、いくつかのどうでもいい理由を持ち出して「日の丸」を正当化するのである。
ここで氏が挙げている「日の丸」正当化の論拠は三つである。一つは、その図案がデザイン的にすぐれていること、二つ目は、明治以前から船のマークとして通用してきたこと、三つ目は、「日の丸」が侵略の象徴だったとしても、その責任は国民全部が引き受けるべきだ、というものである。一つ一つ反論しよう。
「日の丸」がデザイン的にすぐれているというのは、奇妙なことだが、最も頑強な迷信の一つである。「日の丸」の暗い歴史をさしおいたとしても、「日の丸」ほどデザイン的に間抜けなものはない。いつだったか、日本のある有名なデザイナーが、オリンピックに向けて日の丸を使った選手用のユニフォームを考案したが、せっかくの斬新なデザインも「日の丸」のおかげで台無しになっていた。
しかし問題はもちろん、それ自体としての「日の丸」がデザイン的にすぐれているかどうかではない。問題は、デザイン的にすぐれているからといって、その旗の持つ政治的意味を無視して、それを受け入れることがはたしてできるのか、である。ナチのかぎ十字がデザイン的にすぐれているとしたら、ドイツは今なおその旗を採用するべきなのか? もちろん答えは否である。「日の丸はデザイン的にすぐれている」という主張は、どうでもよい外的な理由を持ち出して「日の丸」を政治的に正当化しようとする卑劣な詭弁にすぎない。
二つ目の理由もナンセンスである。明治以前、すなわち、日本がまだ封建制のもとにあり、いかなる近代的な自由も民主主義も存在していなかったときに用いられていたということが、どうして「日の丸」を正当化する理由になるのか? 古くから存在するものはすべて認めるべきだという価値観を深津氏が持っているのなら話は別だが。しかしその場合でも、「日の丸」以前に、船のマークとして用いられてきたものはいくらでもあるはずである。
三つ目の理由はもっと愚劣である。典型的な「一億総ざんげ論」であるというだけでない。本当に戦前の侵略の責任を全国民が負うべきだというのなら、その責任のとり方の一つは何よりも、侵略の象徴であった「日の丸」を永遠に放棄することである。もちろんそれだけで責任が負えるわけではないが、いずれにせよ、「日の丸」を受け入れることが、責任を負うことの正反対の行為であることは明らかではないか。もしこのような論法が可能なら、ドイツは、ナチの犯罪の責任を負うために、かぎ十字を国旗にするべきだということになるだろう! 深津氏がドイツに対してそのように主張するなら首尾一貫しているが、もちろん、深津氏がドイツに行ってそんなことを言おうものなら、嘲笑か、下手すれば、激しい糾弾によって迎えられるだろう。
しかし、「日の丸」の問題性は本当に戦前、侵略戦争の象徴になったことだけなのか? そのような五〇年以上も前の過去の「負の遺産」しか帯びていないものなのか? いや断じて否である。「日の丸」は戦後一貫して、戦後民主主義運動、護憲と革新の運動に敵対するための道具であったし、戦犯政治と日本の軍事大国化を推進する象徴でありその道具であった。それは民族差別の象徴であり、その道具でありつづけた。だからこそそれは教育現場に押しつけられてきたのである。それは、五〇年前に一度だけ汚れたのではなく、戦後一貫して、汚れ続けてきたのである。
したがって「過去の負の遺産」を引き受けるために「日の丸」を国旗に、などという主張は、反省しているように見せかけた醜悪な政治的開き直り以外の何ものでもない。
さて深津氏は、「日の丸」の正当性論を無理やりひねり出した後、「厄介なのは君が代である」と嘆いてみせる。そして、朝日新聞の「声」欄に掲載されたある自衛官の意見(「君が代の沈んだ曲を聞くとは気分がめいる」)を肯定的に持ち出して、次のように締めくくっている。
「この際、政府に警告しておきたい。国民が支持しない歌をしゃにむに国歌に仕立てても建国記念の日同様、立ち枯れになるだけだ」。
「警告」とはまた高飛車に出たものだが、その内容といえば驚くほど迎合的である。「君が代」が問題なのは、その歌詞の内容が天皇を称えているからではなく、「君が代」が沈んだ曲であり、自衛隊員のやる気を喚起することができないからなのだ! 何というナショナリスティックな言い分であることか! 新ガイドラインのもと、勇ましく戦場におもむかなければならない自衛隊員のやる気を起こすような勇猛果敢な国歌を、というわけだ。これが、「新しい国歌を」という一見良識派に見える主張の行きつく先である。
そういえば、わが党の穀田恵二氏も、以前われわれが批判した朝日の記事で、「君が代はやっぱりダサいよね」と言っていたが、これも基本的に同じ論理である。君が代は沈んだ曲であり、ダサいからだめだ、もっとかっこよく、愛国心が高揚するような勇壮な曲ならいいというわけだ!
もし現在の支配者がもっと賢明で、もっと「巧妙」ならば、このような声にただちに応じるだろう。そうだ、君が代はダサい、沈んだ気分になる、もっと勇壮な国歌にしよう、と。実際、都知事選に立候補した石原慎太郎は、新聞のインタビューの中で、深津氏や穀田氏と同じようなことを言っている。
「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ。個人的には。歌詞だってあれば一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいんじゃないか。好きな方、歌やいいんだよ」(3月13日付『毎日』)。
だが、これはあくまでも保守の非主流派の意見である。政府自民党は、そのような「普通の帝国主義」者としての才覚を発揮できない。彼らは愚かにも「君が代」にこだわりつづける。天皇や「君が代」が、日本が「普通の帝国主義国」になるうえで障害物となっているのに、彼らはそれを取り除くことができない。戦前との連続性を切断した上で成立したわけではない戦後保守政治は、「君が代」と天皇制を護持しつづけなければならない。これは彼らのジレンマである。
そしてこのジレンマこそが、不破委員長が「政府自民党は日の丸・君が代の法制化を嫌がっている」という判断の背景にあったものである。しかり、自民党は「日の丸・君が代」の法制化を嫌がっていた。しかし、彼らはついに突破口を見出した。社会党の「日の丸・君が代」容認に続いて、共産党すらが、国旗・国歌の法制化の容認を打ち出したことである。彼らの解決しがたいジレンマに解決の糸口を与えた、わが党指導部の罪は大きい!