雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

暴走する不破指導部―新著の解釈改憲発言について

 不破哲三氏と井上ひさし氏による対談本『新日本共産党宣言』(光文社)はすでに大きな話題になっているが、この対談本に対する全面的な批判は別の機会に譲り、ここでは、その中で不破委員長自ら語っている明白な「解釈改憲発言」について批判しておきたい。
 それは、第二章の「日本の主権をアメリカから取り戻す」の最終節「自衛隊の問題は国民の合意で順次解決していく」の最後のほうにある。その中で、不破氏は次のように述べている。

「その程度にはとどまらない大規模な攻撃を受けたときには、どうするか。
 これもよく出される問題です。私たちが築きあげていく二十一世紀のアジアでは、ほとんど考えられない事態ですが、国際社会のルールがおおもとからゆらぎ、そんな危険が現実のものとなってくるような異常な事態が、万が一にもすすみはじめたとしたら、そのときには、異常な事態に対応する特別の措置として、緊急に軍事力を持つなどの対応策をとることが必要になる場合も出てきます。憲法は『戦力』の保持を禁止しているが、異常な事態に対応する場合には、自衛のための軍事力を持つことも許されるというのが、多くの憲法学者のあいだで一致して認められている憲法解釈ですから、最も厳格に憲法を守ろうとする政府でも、世界情勢にそういう大変動が起こってくるときには、国民の支持のもとに、この権利を行使するでしょう」(148~149頁)。

 すさまじい解釈改憲発言である。この主張によるなら、憲法には、平時用の憲法と戦時用の憲法があることになろう。戦争の危険性がないときには軍事力の保持は禁止されるが、戦争の危険性が生じたときには軍事力を持つことが許されるというのだ。
 実におかしな話ではないか? 交戦権と戦力の保持を禁止した憲法9条はまさに、戦争の危険性がある場合に日本がどのように対処するべきかを決めたものである。戦争の危険性がないときだけ憲法9条を守るということは、要するに憲法9条を守らないということだ。
 不破氏は、もしかしたら、憲法9条を読んだことがないのかもしれない。念のため、以下に憲法9条の全文を引用しておく。読者のみなさんも、よく読んでほしい。

「第9条 ①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。

 このように、憲法9条は、国権の発動たる戦争を放棄し、交戦権を否定し、武力による威嚇も武力の行使もすべて禁止している。これらすべてを否定し禁止しているからこそ、軍隊の保持も禁止されるし、軍隊のみならず、その他いかなる戦力の保持も禁止されているのである。理の必然である。
 だが「交戦権」や「武力の行使」とは何か? それはまさに、実際に攻撃されるか、その「危険が現実のものとなってくる」とき(「国際紛争」!)にはじめて意味を持つ概念である。日本へのいかなる攻撃もなく、また、どの国も日本を攻撃しようとしていないのに、「交戦権」や「武力の行使」なるものが云々されるはずもない。ところが、不破氏によれば、大規模な攻撃がされるか、あるいはその「危険が現実のものとなってくる」場合には、自衛のための軍事力の保持は許されるというのである。だが、この「軍事力」は、完全に憲法違反である。さらに、この軍事力を用いれば、それは当然「武力の行使」であり、「交戦権」の行使であり、「国権の発動たる戦争」である。軍事力を相手に誇示するだけで、それは「武力による威嚇」である。いずれもすべて憲法違反である。
 したがって、不破氏の憲法解釈は、憲法9条を読んだことのない人間のたわごとである。憲法学者の大多数が認めている、などというのは、憲法学者の本を読んだことのない人間のたわごとである。
 さて、不破氏の言い分がまったくのたわごとであるのは明らかだが、もしかしたら、彼はあまりものごとを深く考えずにこんなことを口走ったのではなかろうか? 残念ながらそうではない。いくつか証拠がある。
 まず第一に、この本が出版される以前の3月14日付『しんぶん赤旗』(日曜版)の筆坂(党政策委員長)インタビューの中で、筆坂秀世氏は、「万が一、無法な国が日本を攻撃したら?」という質問に対し、すでに次のように断言している。

「そういう場合は、中立日本の侵害を許さない政府の確固とした姿勢と、それをささえる国民的団結を基礎に国の総力を挙げて反撃し、国の主権を守り、国民の生命と財産を守ります。その場合は、『臨時に戦力』を持ちます。『急迫不正の侵略』にたいして、そういう措置をとることは、正当防衛権に属するもので、憲法違反にはならない、というのが憲法学者の有力な見解です」。

 ここですでに「臨時に戦力」を持つことがうたわれている。しかも、またしても「憲法学者」のお墨付きをふりかざしている。
 しかし、この発言では、この「憲法学者」は多数だとは言われていない。たしかに、有力かどうかは別にして、このような奇妙な憲法解釈をする右派の憲法学者もいるにはいる。
 また、この筆坂インタビューの答えでは、「戦力の保持」が許されるのは、「大規模な攻撃を受けたとき」にかぎられている。それに対して、対談本における不破発言は、実際に「大規模な攻撃を受けたとき」だけでなく、「そんな危険が現実のものとなってくるような異常な事態」にまで広げられている。いったい「危険」や「異常な事態」なるものを誰が判断するのか? そのような「危険」があれば軍事力を保持することが合憲なら、現在、右翼や一部のマスコミが騒ぎ立てているように、朝鮮情勢をめぐってそのような「危険」や「異常な事態」があることを認めるなら、今も軍事力を持つことは合憲だということになろう。
 第二に、今回のこの対談本が、実に慎重に準備されたという事実である。民主書店の宣伝用ビラに記載されているこの対談本の宣伝文には次のように書かれている。

「二度にわたって長時間、たっぷりと語り合った膨大な原稿を整理し、何度も推敲を重ねた、はじめて発表する書き下ろし対論です」。

 つまり、今回の対談本は「何度も推敲を重ねた」うえでのものであって、偶然出てきたものではない。
 以上の点から、今回の解釈改憲発言が、上層指導部によって十分に準備されたものであることがわかる。しかし、だからといって、党内の民主主義的手続きが守られているわけではない。「国旗・国歌に関する新見解」と同じく、いかなる大会決定、いかなる中央委員会総会決定にももとづかないものである。
 共産党はかつては、革命の政府ができた場合、自衛隊を解散させた上で、「国民的討論にもとづく改憲」によって「革命軍」を持つという立場だった。その後80年代の終わり以降、大会決定を経たうえで、将来にわたって憲法9条を尊重するという立場に変わった。そして、急迫不正の侵略の場合は、警察力の行使による自衛、という立場だった(実は、この「警察力による自衛」論も、有力な憲法学者からは、違憲であると言われている。なぜなら、侵略軍に対抗できるような警察力とは、事実上「戦力」の一種であり、憲法9条は、「その他の戦力」も禁止しているからである)。どちらにしても、憲法9条のもとで戦力や軍事力を保持することができるという立場ではなかった。それが、いかなる党内討論も経ずに、いつのまにか右翼顔負けの「解釈改憲」の立場になっているのである。
 念のため、以下に第20回党大会の決議を引用しておく。不破委員長と筆坂政策委員長が、いかにわが党の大会決定を乱暴に踏みにじっているかが、誰の目にもはっきりとするだろう。

「わが国が独立・中立の道をすすみだしたさいの日本の安全保障は、中立日本の主権の侵害を許さない政府の確固とした姿勢と、それをささえる国民的団結を基礎に、急迫不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法九条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である。憲法九条に記されたあらゆる戦力の放棄は、綱領が明記しているようにわが党がめざす社会主義・共産主義の理想と合致したものである」(『前衛』1994年9月臨時増刊号、76~77頁)。

 この立場は、第21回党大会(いちばん最近の大会)でも完全に踏襲されている。第21回党大会決議では、この上の文章をわざわざ全文引用した上で、次のように述べている。

「わが党は、この道こそが憲法を忠実にまもる道であると確信している」(『21世紀 新しい日本への展望』、14頁)。

 このように、わが党の最高意志決定機関である党大会の立場は、まったく誤解の余地がないほど明白である。不破委員長は、自らの指導で決定したこの大会決定を、いかなる党内議論も、いかなる決定もなしに一方的に蹂躙している。委員長自ら、党大会決定を否定しているのである。これ以上ひどい、党内民主主義の蹂躙があるだろうか?
 不破指導部の暴走はまさにとどまるところを知らない。彼らは、いかなる党内民主主義も最初からまったく考慮に入れることなく、上層部の密室の話し合いだけで、次々と新しい右翼的立場を採用していっている。これこそ「異常な事態」だ!
 われわれは改めて、党員のみなさんに訴えたい。現在の指導部をこのまま放置するなら、彼らは確実に共産党を社会党と同じく崩壊させるだろう。党を大切に思うのなら、今こそ声を上げるべきである。今回の事態に対してはとりわけ、憲法問題にたずさわっている多くの党員研究者こそが真っ先に批判の声を上げなければならない。今や沈黙は犯罪である。

1999/3/25  (S・T)

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