H・T 先ほど紹介したA説(「限定放棄説」)は、この問題をめぐってさらに2つの立場に分かれています。「A説の1」は、たしかに第1項では自衛戦争は否定されていないが、第2項が陸海空軍およびその他の戦力を否定し、交戦権を無条件に否定しているから、結局、この第1項と第2項を総合すれば、自衛戦争も自衛のための戦力も放棄されているという見解をとります。論理構造はB説と異なりますが、結論はB説と同じです。ただし、この論理構造の違いは、後で述べるように重要な違いであり、結局、「A説の1」が9条護憲としてきわめて弱い立場であって、しばしば改憲派(解釈改憲派を含め)の論理に流されることになる構造的欠陥を有しています。
しかし、いずれにせよ、B説(「戦争の包括的放棄説」)と「A説の1」とを足すなら、これが学界の圧倒的多数説になります。つまり、第1項ですでに戦争が全面的に放棄されていると見るか、第1項と第2項とを合わせて戦争が全面的に放棄されていると見るか、という違いはありますが、9条が戦争と戦力の全面的放棄をうたっているという点に関しては、ほとんどの憲法学者が合意しています。
このことはどんな憲法学の本を開いてもらっても確認できますが、日本の憲法学の今日的到達点を集大成している『講座・憲法学』第2巻(1994年、日本評論社)の第4章「戦争放棄」から一つだけ引用しておきましょう。この部分を担当したのは、憲法学者としては最も著名で権威のある一人である樋口陽一氏です。
「こうして、九条一項の解釈がほぼ真っ二つに分かれるのにもかかわらず、二項解釈をあわせると、九条によって一切の戦争と一切の戦力が否定されたとするのが、学説の圧倒的大勢である」(111頁)。
さて、それに対して、「A説の2」というのは、9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言があることに着目し、憲法9条第2項もやはり、第1項を受けているのだから、第1項が自衛戦争を否定していない以上、ここで放棄されている戦力はあくまでも侵略戦争のための戦力にすぎない、したがって自衛のための戦力は否定されていない、という立場をとります。このウルトラ右派的見解は今も昔も学界の中では圧倒的少数派です。
インタビュアー 『註解日本国憲法』はどちらなのですか?
H・T 「A説の1」です。つまり、『註解日本国憲法』は、憲法9条第1項だけを見るなら自衛戦争は否定されていないが、第2項があらゆる戦力と交戦権を否認しているので、結局、憲法9条全体として見るなら、自衛戦争も放棄されているという立場をとっているのです。念のため引用しておきましょう。
「第一項で放棄されたのは侵略戦争だけであるが、残った自衛戦争も制裁戦争も、第二項後段の交戦権の否認、すなわち、戦争を行う権利の否認によって否定され、結局第九条全体としてすべての戦争が放棄されたことになる、というのが、第九条についての現在の多数説だということになる」(219~220頁)。
また、戦力不保持については、この『註解日本国憲法』は次のように述べています。
「戦力の不保持は全面的であり、自衛のための戦力といえども保持することは許されない」(224頁)。
インタビュアー なるほど、この右派的な著作でも憲法解釈としては、自衛戦争や自衛のための戦力は否定されていると見るのですね。
H・T そうです。憲法解釈としては、たとえ自衛のための戦争であってもそれは肯定されないし、そのための戦力も禁止されているという立場です。