インタビュアー ここで不破委員長の憲法解釈の話に戻したいんですが、不破委員長によれば、急迫不正の侵略が実際にあった場合には、あるいは、「そんな危険が現実のものとなってくるような異常な事態」においては、憲法9条下でも臨時に戦力を持つことができると主張しています。この点について『註解日本国憲法』はどう述べているのでしょう。
H・T 『註解日本国憲法』は、「A説の1」をとっているわけですから、本来なら、侵略に対する反撃であっても、軍事力や戦力は否定されてしかるべきなのですが、この著作は、驚くべきことに、侵略を受けた場合には9条下でも戦力の保持は認められるという右翼的解釈をとっています。引用しましょう。
「次に、さらに進んで、不法の侵入者があった場合に、国家が、これに抵抗するために軍隊を募集し、その他戦力をもつことが許されるかが問題となる。戦力は本来は自衛のためにも保持を許されないが、この場合には、国民の損害をできるだけ少なくとどめるために、国家としてはむしろ全力をあげて抵抗することが認められてよいはずであり、その見地から、このような侵略の事後における戦力の保持は憲法の禁止するところではないと解すべきである」(244~245頁)。
驚くべき没論理です。これまで、この著作は、延々と、さまざまな解釈が憲法の文言とどう一致するか、あるいは、しないかを事細かに検討しておきながら、ここに来ると、突如として、文言解釈の作業をいっさい放棄し、いかなる根拠も持ち出すことなくあっさりと、「侵略の事後における戦力の保持は憲法の禁止するところではない」と言いきっているのです。
この解釈は、「A説の1」をも否定するものです。なぜなら「自衛」なるものが実際に問題になるのは、侵略ないし攻撃を受けたとき以外にはないからです。「自衛のための戦力の保持は許されない」と一方で言いながら、実際に自衛する段になると「戦力の保持は許される」というのは、憲法解釈としてはまったく首尾一貫していません。
そして、実はこのような解釈は、政府の統一見解と軌を一にしています。政府自身も、だいたいこの時期に「自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」という立場を正式に表明しています。
しかし、すでに説明したように、国連憲章もイタリア憲法も、自衛戦争を肯定し自衛のための戦力保持を認めています。ところが、日本国憲法にはそのような規定がまったく存在しません。したがって、侵略を受けた際の戦力保持が認められるためには、当然、そのことを規定した文言が憲法のどこかになければならないのです。それがない以上、臨時であっても戦力の保持を認めないのが、憲法解釈としては正当であり、それが多数説です。
日本共産党自身、9条護憲の立場に立っていたときは、急迫不正の侵略に対しては、軍事力によらずに警察力による排除や群民蜂起やストライキなどの手段のみを想定していました。学界においても、このような手段のみが認められるというのが多数説です。
実際、この『註解日本国憲法』も、このような憲法解釈についてはさすがに、学界の多数説だとは書いていません。
インタビュアー すると、不破委員長が、政府自民党の憲法解釈とほぼ同じ立場のこの著作に依拠したのは間違いないとしても、少なくとも、それが学界の多数説だというのは根拠がないわけですね。
H・T そうです。さらにつけ加えれば、この『註解日本国憲法』はあくまでも実際の侵略攻撃がなされている場合だけを想定しており、不破委員長のように、「そんな危険が現実のものとなってくるような異常な事態」という曖昧な場合を想定しておりません。その意味で、不破解釈は、この『註解日本国憲法』の立場をさらに拡大解釈していると言えるでしょう。