憲法9条と日本共産党(インタビュー)

改憲と安保肯定の著作に依拠する――不破委員長

 インタビュアー 先ほど冒頭で、この著作が改憲を肯定し、安保による米軍駐留も合憲としているとおっしゃいましたが、具体的にその個所を指摘していただけますか。

 H・T すでに述べたように、この『註解日本国憲法』は、「A説の1」をとっています。つまり、9条第1項は単に侵略戦争を否定しただけだ、という苦しい解釈をした上で、第2項がすべての戦力と交戦権を否認しているので、自衛のための戦力を保持できないという立場に立っています。そこで、この著作は、9条2項を改正して、自衛のための軍隊を持てるようにすることに対して、次のようにはっきりと肯定しています。

「軍備をもつことや、自衛や制裁の戦争を行うことは、第一項の否定する侵略戦争を行うのとは異なり、国際法上決して違法な行為ではない。むしろ自衛戦争を行うことは、正当防衛的な国家の基本権であり、制裁戦争に参加することは平和維持のための国際的義務であるということができる。そして、そのために軍備をもつことも、今日の情勢の下では独立国としてどうしても必要なことだ、という見解も成り立ちうる。いわば第一項は平和主義の本質をなすのに対して、第二項はそれを実現するための予防的措置とみることができよう。従って、第二項を改正することは、自然法ともいうべき法の基本原理に反するものではないのである。さらに、形式的にみても、第一項には『永久に』放棄するという言葉が使われているが、第二項にはそれがない。これらのことからすれば、第二項はこの憲法の改正手続きによって改正することができる、と解するのが妥当である」(252頁)。

 インタビュアー なるほど、この「形式」論はひどいですね。第1項に「永久に」はあるが、第2項にはないから、第2項は改正できる、というのは。

 H・T まったくその通りです。「A説の1」をあえてとる人は、結局、その奥底に、自衛戦争や軍隊に対する肯定的な心情が隠されているのです。この引用で第2項が単なる「予防的措置」だと言われているのは象徴的です。あくまでも日本国憲法は自衛戦争、制裁戦争を放棄していないんだ、ただ、第9条第2項の縛りがあるだけで、それは日本国憲法の平和主義の原則には含まれない、というわけです。
 かなり原則的な護憲派の学者でも、B説と「A説の1」との違いは決定的なものではないという言い方をする人が見られますが、これは誤りだと思いますね。両者の違いはある意味で決定的です。A説(戦争の限定放棄説、あるいは自衛戦争肯定説)をとる人々は、結局、あれこれの形で解釈改憲論に流されていきます。
 たとえば、典型的なのは、山口二郎や和田春樹や山口定などの平和基本法論者です。彼らも、9条1項で禁止されているのは侵略戦争だけだという解釈をとっており、そこから国家の防衛のための必要最小限の軍事力は合憲だという解釈をひねり出しています(『世界』93年4月号)。

 インタビュアー もう一つ、安保・駐留米軍合憲説についてはどうでしょう。

 H・T 安保条約にもとづく米軍の駐留に関しては、これは憲法9条の禁止する戦力にあたるとみなすか、あるいは少なくとも憲法の平和主義の精神に合致しないとみなすのが、護憲派の憲法学者の基本的立場です。
 ちなみに、この駐留米軍の合憲性に関する判例としては、1959年の有名な砂川事件判決があります。この時の地裁判決(いわゆる伊達判決)は、駐留米軍も憲法9条に違反するという画期的な司法判断を下して、護憲運動に大きなインパクトを与えました。困った政府は、中間を飛び越して最高裁に上告し、そこで地裁判決とは正反対の合憲判断が下されます。
 実は、『註解日本国憲法』も、憲法9条第2項が禁止する「戦力」というのは、単に日本国家の指揮下にある「戦力」だけを指すのではなく、およそ、日本国家の主権の及ぶ範囲内ではいかなる戦力も持たないという意味だ、とまともな解釈をしています。いちおう引用しておきましょう。

「他国の戦力でも日本の国家権力の及ぶ範囲内におくことは禁止していると考えられる」(231頁)。
「この規定は、一体としての日本国民が戦力を保持しないということであり、これは言葉の上からいって、いやしくも日本の国家権力の及ぶ範囲内に戦力を保持しない、という意味に解すべきである。このことは前文などからも認められる」(232頁)。

 インタビュアー この引用文からすれば、当然、日本に駐留している米軍も違憲になるはずですよね。

 H・T まったくそうです。しかし、この著作は、安保条約にもとづく米軍だけは例外だという詭弁を弄します。つまり、9条は国際連合軍による安全保障を前提にしたものであり、米軍は国際連合軍に準じる平和的軍隊であるから、それが日本国に駐留していても違憲ではないというのです(239~240頁)。論理的に支離滅裂です。

 インタビュアー 本当ですね。米軍は平和のための軍隊だから戦力にあらずというのは、政府が言うような「自衛力は戦力にあらず」と同じで、「白馬は馬にあらず」式の詭弁ですね。

 H・T そうです。ですから、護憲派の憲法学者はみな、『註解日本国憲法』のような立場を否定しています。一例を挙げましょう。野中俊彦氏と浦部法穂氏(どちらも著名な護憲派の憲法学者です)との対論にもとづく憲法解説書に次のようなやり取りが含まれています。

「野中 ……ところで、当時の議論のなかには、九条は国際連合による安全保障の方式を認めているから、いわば準国連軍としての米軍駐留は認められる……という考え方もありましたが…。
 浦部 そういう説もありました。しかし駐留米軍が東西対立の一報の陣営に属し、緊張を高める存在であることは否定しようがありません。中立的な国連軍に準じると言うのは無理でしょう」(『憲法の解釈』 I-総論、三省堂、158~159頁)。

 インタビュアー ここで言われている「当時の議論」というのが、『註解日本国憲法』の解釈なわけですね。

 H・T 明らかにそれも含んでいます。このように、不破委員長が依拠した著作というのは、戦後の平和運動や護憲運動を何ら反映していない大昔の著作であるというだけでなく、改憲や駐留米軍を積極的に肯定するような著作だということです。

 インタビュアー それと、さっき、この著作は14人で書かれているとおっしゃいましたよね。

 H・T ええそうです。

 インタビュアー 憲法学者というのは総勢で何人いるのか知りませんが、少なくとも市井の研究者や故人を含めれば数百人はいるはずですよね。

 H・T おそらくそれぐらいにはなるでしょう。

 インタビュアー すると、不破委員長は数百人中たった14人の著作で持って、「多くの憲法学者が一致して認めている」と強弁したことになりますね。

 H・T そうです。同じ論理を用いるなら、憲法9条2項の改憲も「多くの憲法学者が一致して認めている」と言えてしまうし、米軍駐留合憲論も「多くの憲法学者が一致して認めている」とも言えてしまうでしょうね。その他にもこの著作にはいろいろと右派的見解がちりばめられていますが、それもすべて「多くの憲法学者が一致して認めている」ことになってしまうでしょう。

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