インタビュアー 不破解釈の問題性についてはよくわかりました。ところで、朝日ニュースターのインタビューには、この問題をめぐって他にもいろいろと興味深いことを言っていますね。たとえば、憲法9条は常備軍を否定しているんだというような意見です。
H・T 私もこの部分を読んで、なるほどそういう仕掛けか、と思いました。というのは、第20回党大会決定では、ほぼ無条件に、将来にわたっての憲法9条の擁護が言われていましたが、第21回党大会決定の第2章を見ますと、第20回党大会の決定の当該部分を引用し、それを肯定しながらも、続く部分で、「わが国が恒常的戦力によらないで平和と安全を確保する」とか「わが国が恒常的戦力によらないで安全保障をはかることが可能な時代に、私たちは生きている」という記述になっているのです。私は最初これを読んだとき、どうしてあえて「恒常的戦力」という言い方をするのかな、と思っていたんですが、これがいわば、今回の解釈改憲の布石になっていたのだということが、今になってわかりました。
インタビュアー つまり、今回のように、常備軍、すなわち「恒常的戦力」はだめだが、臨時の戦力ないし軍事力なら合憲だという解釈をひねり出すための準備だったというわけですね。
H・T そうです。もちろん、指導部がこのことをどれだけ意識的に準備していたのかわかりませんが、今から見れば、21回党大会決定での、ことさらに恒常的戦力を強調する追加説明はけっして偶然ではなかったという気がします。
インタビュアー 憲法学界としては、この常備軍問題というのはどうなんでしょう。
H・T 憲法学界の常識としてはもちろん、憲法9条の否定する「戦力」が常備軍だけを指すという立場ではありません。文言を素直に読めば絶対にそういう解釈は出てきませんからね。ここで言う「戦力」は、基本的に、外敵に対して自国を防衛したり反撃したりすることを可能にするような組織的な実力部隊、ないしはそれに転用可能なものすべてを意味します。憲法がわざわざ「陸海空軍」(典型的な常備軍)に加えて、「その他の戦力」もいっさい禁じているのは、偶然ではありません。
そもそも、憲法9条はすべての戦争を放棄し、いっさいの「交戦権」を否定しているわけですから、「戦力」を「恒常的戦力」と「臨時の戦力」とに区別して、一方を否定し他方を肯定するというような論理は、出てきようもないのです。「臨時の戦力は戦力にあらず」というのは、まさに「白馬は馬にあらず」という詭弁の最たるものです。
インタビュアー ところで、常備軍だけを否定するという論理構成を持った憲法というのはどこかに存在しますか?
H・T あります。たとえばコスタリカ憲法がそうです。1949年のコスタリカ憲法は第12条第1項で「常備軍」を否定する一方で、同条第3項で防衛目的の軍隊を肯定しています(水島朝穂『武力なき平和』、岩波書店、223頁。より詳しくは、澤野義一『非武装中立と平和保障』、青木書店)。ほとんどすべての国の憲法は自衛戦争を肯定し、自衛のための軍隊を肯定していますから、常備軍とその他の戦力とを分けて前者を禁止するコスタリカ憲法は、それなりに平和主義的な立場と言えます。しかし、いずれにしても、日本国憲法は日本国憲法であって、コスタリカ憲法ではありません。日本国憲法第9条は、およそ世界にただ一つの条項であって、いっさいの戦争といっさいの戦力を否定している最も徹底した平和主義を体現しています。