憲法9条と日本共産党(インタビュー)

不破新解釈の政治的背景と政治的意味

 インタビュアー 次に今回の不破新解釈の政治的意味についてお尋ねしたいんですが。まず、こういう解釈が今ごろになって出てきた背景ないし思惑ですね。

 H・T それについては二つの解釈が考えられます。一つ目の解釈は、何らかの政権に入るうえでの大きな障害を除去したいという思惑です。しかし、この思惑はある意味で中途半端です。共産党のように、常備軍は撤廃だが、臨時の戦力ならよいという特異な立場をとっている政党は他にはありませんから、このような中途半端な右傾化によって政権が近づくというのは幻想です。したがって、共産党は、いっそうの右傾化をして常備軍を肯定するか、憲法9条の原則に立ち戻るかの選択をいずれ迫られることになるでしょう。
 それに対し、もう一つの解釈は、自衛隊解散への国民的合意をとりつけるために、臨時の戦力という概念を持ち出すことで国民に安心感を与えたいという思惑です。

 インタビュアー それはまたずいぶん好意的な解釈ですね。

 H・T あくまでも好意的に解釈したなら、ということです。しかしながら、このような思惑もやはり幻想でしょう。なぜなら、「軍事力による平和」という観念そのものが肯定されるかぎり、侵略されてから慌てて臨時の戦力を持つよりは、最初から準備を整えておいたほうがよい、という議論の方がはるかに説得力があるからです。したがって、ここでも共産党は、いっそう右傾化して、日常的な戦力を肯定するか、憲法9条の原則に立ち返るかの選択をいずれ迫られることになるでしょう。

 インタビュアー それでは次に、この新解釈のもつ政治的意味についてお尋ねします。以前、共産党は、民主主義革命後に憲法を改正して人民の軍隊、あるいは民主的軍隊を持つという立場でした。その後、憲法9条をより重視する立場にしだいに移っていって、第20回党大会での正式な決定として、将来にわたっての憲法9条の擁護という立場になりました。それが今回、大会でのいかなる正式な決定も経ずに、新しい憲法解釈にもとづいて新しい軍隊政策が打ち出されたわけですが、これは単に逆戻りしたということでしょうか?

 H・T いえ、そうではありません。これは断じて逆戻りではありません。以前の人民革命軍ないし民主的軍隊論においては、独立・民主・平和の政権ができており、安保条約が廃棄され、アメリカ帝国主義と日本独占資本による支配が打ち破られているという、政治的大前提のもとでの軍隊ないし戦力肯定論でした。この政治的基準は決定的であり、それがなければ、単なる帝国主義への屈服でしかありません。したがって、そこで肯定されている自衛戦争は、あくまでも反帝反独占の民主主義革命政権を反革命的侵略から自衛するという文脈で語られていました。しかし、今回の新解釈はそのような階級的ないし政治的基準にもとづいているのではなく、日本が攻撃を受けたなら、臨時の戦力を持って自衛戦争をすることは憲法上許されるというものです。ですから、これは今の自民党政府のもとでも許されるということになります。

 インタビュアー 今回の新解釈も直接的には、共産党を中心とする政権ができたときの防衛・外交政策の一貫として出されていますよね。

 H・T たしかに直接的にはそうですが、不破新解釈の内容を見るなら、そこには安保廃棄やアメリカ帝国主義と日本独占資本の支配の転覆といった政治的基準はいっさい入っておらず、日本が攻撃された場合、ないし「その危険が現実のものとなってくる異常な事態」という条件しか入っていません。この基準さえクリアしていれば、日本は自民党政府のもとでも、戦力を保持できるし、戦争ができるということになるのです。このことは、そもそも『註解日本国憲法』を自説の根拠にしていることからも明らかですし、新ガイドラインの法案をめぐって常任幹部会が4月21日に出した声明の中にある次のような文言からもはっきりしています。

「日本にたいする武力攻撃が発生したときにだけ、自衛権を行使して反撃できるというのが、憲法と国際法の原則である」。

 これを見ればわかるように、常任幹部会は、日本国憲法と国際法とをいっしょくたにして論じており、どちらも、日本が武力攻撃された場合には自衛権を行使して反撃してよいという意味だと説明しています。この「反撃」というのが「軍事的反撃」を含むものであるのは、文脈上明らかです。
 すでに何度も述べましたように、憲法第9条の立場と、国際法(代表的なものは国連憲章ですが)の立場とは根本的に異なります。国際法が自衛戦争と自衛のための軍隊を肯定しているのに対し、憲法9条は自衛のための戦争も自衛のための戦力も否定しているのです。もし、国際法と憲法9条とを同水準で語ることができるのなら、そもそも戦後の9条護憲運動など無意味になるし、歴代自民党政府もつじつまを合わせるうえであんな苦労を味わう必要はなかったことになります。

 インタビュアー たしかに、この常任幹部会声明はむちゃくちゃですね。どさくさにまぎれてとんでもない解釈改憲をしてますね。

 H・T そうです。しかしそれはけっして偶然ではありません。実は、例の『新日本共産党宣言』の別の部分には、まったく同じことが、より露骨な言い方で出てきます。その部分を引用しておきましょう。

「北朝鮮であれ他のどこの国であれ、日本に一方的に攻撃をしかける国があれば、日本が、そのとき可能なあらゆる手段を尽くしてこれに反撃し、日本の主権と安全を断固として守り抜く。これは、日本の国民として、当然の立場です」(283頁)。

 「そのとき可能なあらゆる手段を尽くして」という文言の意味が、憲法9条のもとで「可能なあらゆる手段」という意味なら、従来の憲法解釈どおりですが、しかし、この文章にはそのような限定がいっさいないところから見て、当然、この「あらゆる手段」のうちには「軍事的手段」も入るということであり、これは完全に憲法違反です。憲法9条はいかなる場合であれ、自衛戦争と自衛のための戦力を禁止しています。「反撃」であれ「抵抗」であれ「交渉」であれ、すべて軍事的手段以外の手段しか用いてはならないのです。
 しかも、この文章を素直に読めば、その時、自民党政府のもとであっても、自衛隊が存在し、安保条約が存在するもとであっても、その自衛隊なり、米軍なりを用いて「反撃」することが、「日本の国民として、当然の立場」だと言う意味にとれます。これは、日本国憲法をイタリア憲法か国連憲章の水準に完全に引き下げるものです。

 インタビュアー 不破委員長はそこまで言っているんですか。ひどいもんですね。

 H・T それと同時に、現在の情勢下においては、とりわけこうした新解釈の持つ政治的意味は有害だと思います。新ガイドラインの立法化に見られるように日本の本格的な軍事的帝国主義化が追求され、不審船事件での危機煽りや北朝鮮脅威論に見られるように、軍事的自衛論や危機管理論が喧伝されている状況下で、積極的に、憲法9条のもとでの自衛戦争や自衛戦力を肯定することは、その主観的意図や思惑が何であれ許しがたいことです。

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