憲法9条と日本共産党(インタビュー)

日本の将来と憲法9条をめぐる党内討論を

 インタビュアー 今回の不破委員長の憲法解釈の問題点はわかりましたが、その問題にとどまらず、党内ないし左翼全体の中で、憲法9条問題についてもっときっちりとした議論が必要になってきますね。共産党自身、第20回党大会で、憲法9条の将来にわたる擁護という方針を打ち出したときも、十分な党内討論を経てそうしたというよりも、なし崩し的にそういう方針になったという印象がありますし、その後、今回のようにまったくの解釈改憲がなされるときも、やはり幹部の思惑でのみなされ、党内討論がまったくなおざりにされています。

 H・T まったくその通りです。新ガイドライン法案の衆院強行採決や、不審船事件における戦後初の海上警備行動の発動、さらにはユーゴへのNATO空爆など、戦争と平和をめぐる問題、軍事力による平和の是非をめぐる問題は現在、日本と世界の将来を左右する最も重要な問題の一つになっています。こういう時にこそ、憲法9条の問題をもっと根本から考え議論する必要があります。

 インタビュアー 新左翼なども、政治利用主義的に政府自民党のあれこれの政策や行動を違憲だと告発することはあっても、9条の問題を深く突っ込んで論じてこなかったし、どちらかというと、護憲運動ナンセンスなどというスタンスが何か急進的で革命的であるかのような錯覚もありましたし、現在もあります。私は以前、ある新左翼系の学者が、「国際紛争を武力で解決しない」という条項はイタリアの憲法にもあるから、日本国憲法など先駆的でも何でもない、という発言をしていたのを読んで、びっくりしたことがあります。

 H・T 本人は自分が急進的なつもりでそう言っているんでしょうけれど、実際には、まったく右派的な憲法解釈をしていることに気づいていないのです。

 インタビュアー まったくです。ここで、憲法9条の持つある種の普遍的意義について簡単にでも論点を提示してもらえないでしょうか。

 H・T そうですね。ごく限定的な形でいくつかの論点を提示してみたいと思います。
 戦後における憲法9条の導入そのものは、まったくマルクス主義者でも左翼でもない人々、むしろそれに敵対的な人々によって行なわれたにもかかわらず、それが果たした歴史的役割はきわめて大きなものでした。これは歴史の皮肉です。支配層は、自ら導入した憲法9条によって、逆に自らの手を縛られ、「普通の帝国主義国」になるうえできわめて大きなハンデを負ってきました。同じ敗戦国ドイツが現在、ユーゴへの空爆に参加し、セルビア人を虐殺している光景を見るなら、憲法9条の政治的規制力を軽視することは誤りです。イタリアを除く欧米諸国のほとんどの世論調査で今回のユーゴ空爆を支持する意見が多数派であるのに対し、日本ではユーゴ空爆支持は少数派です。また、新ガイドライン法案が衆院で強行採決されましたが、この憲法違反の周辺事態法においてさえ、政府は「武力の行使」を形式的に否定せざるをえなかったことも、憲法の規制力の現われです。
 このような歴史的役割のみならず、憲法9条が内包する思想ないし精神にも非常に普遍的なものがあります。まず何よりも、それが自衛戦争と攻撃戦争とを区別せず、どちらをも否定している事実です。
 第2インターナショナルの主要な政党がいずれも第1次世界大戦の勃発とともに祖国防衛主義者となり、崩壊を遂げましたが、戦争勃発以前から、第2インターナショナルの主要な指導者は自衛戦争を肯定していました。第2インターナショナルの最高指導者の一人であるベーベルが、ドイツが攻撃された時には自分も鉄砲を担いで祖国を防衛すると宣言したのは有名な話です。その時はまだ革命的であったカウツキーは、正当にも、社会主義者が防衛戦争と攻撃戦争との区別に立脚して政策を立てるのは危険であり、誤りであると反論しました。そして実際に第1次世界大戦が勃発したときに、第2インターナショナルの分裂の分岐点となったのはまさにこの祖国防衛をめぐってでした。
 また、第2次大戦後、欧米諸国を中心に形成された帝国主義的国際秩序においては、国連憲章において一方で国際紛争の武力による解決を禁止しながら(第1条および2条)、他方では自衛戦争と自衛のための軍隊を肯定し(第51条)、結局、ベトナム戦争を始め自衛の名による侵略戦争が繰り返されてきました。
 以上のことを考えると、自衛戦争と攻撃戦争を区別せず両者を否定する憲法9条、そしてもっと言えば、「国家の自衛権」そのものを否定している憲法9条は、ブルジョア憲法や帝国主義的国際秩序の枠を越えた普遍的で革命的な内容を有していると言えます。

 インタビュアー 以上は、日本が帝国主義陣営にある場合の9条の意義ですね。しかし、日本で革命が起こり、日本が帝国主義陣営から離脱し、構造的な社会変革に足を踏みだした場合、憲法9条はどうなるのか、という問題が残ります。

 H・T たしかにそうです。まさにこの問題をめぐってこそ、憲法学者も交えて、徹底した党内討論をやる必要があると思います。その際、将来にわたっても憲法9条を生かす道を具体的に考察することは、一つの重要な選択肢になりうるし、なるべきだと私は思います。伝統的マルクス主義にそのままのっとって、革命後は革命軍だということで問題を片づけてしまうのではなく、革命日本においても憲法9条を具体的に生かす道を模索することは、きわめて重要なことだと思います。
 たとえば、革命日本に対する軍事干渉の脅威に対しては、何よりも国際的な世論と連帯運動に依拠するということが、具体的な選択肢として議論の俎上にのぼるべきでしょう。それはある意味で、新しい形での国際主義の発露になると思います。
 いずれにせよ、この問題はきわめて複雑で一筋縄ではいかない問題ですから、十分に民主主義的な党内討論が必要になるでしょうし、党外の護憲・革新派の人々とも大いに議論を交わす必要があるでしょう。そしてその議論は、党幹部のその時々の政治的思惑によって支配されるべきではなく、もっと長期的で腹の座った議論としてやるべきでしょう。

 インタビュアー 憲法9条の国際性についてはどうでしょう。護憲学者の一部には、ベトナム戦争当時における民族解放軍にも否定的な見方がありますが。

 H・T 帝国主義国の住人である者が、実際に帝国主義国の侵略を受けている国の解放勢力に対してそのような態度をとるのは不遜であり、それ自体がある意味で帝国主義的であると思います。それは強者の論理です。私はそのような立場ではありません。
 憲法9条の普遍的意味を考える際、具体的な歴史的・時代的状況や、各国が置かれているさまざまな具体的状況を十分に考慮する必要があります。とくにこの点では、抑圧者の側にある国々と抑圧される側の国々とを根本的に区別して考える必要があります。憲法9条の理念は何よりも、現在、帝国主義の陣営に属している国々、政治的・経済的大国の位置にある国々に対してこそ要求するべきです。これらの大国は、軍事力によらずとも戦争を回避するさまざまな手段を有しているというだけでなく、これらの国々こそが率先して世界的な戦争の脅威を作りだし、これらの国々の武装解除こそが世界平和に何よりも貢献するからです。したがって、「すべての経済大国に憲法9条を」というスローガンこそが、今日の世界においては、リアリティと説得力を持ったものになりうると思います。もちろん、だからといって、第三世界諸国が単純に「軍事の論理」にのっとっていいというわけではありませんが。

 インタビュアー なるほど、わかりました。この問題をめぐってぜひ読者のみなさんの意見を寄せていただきたいと思います。

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