この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
本号の雑録論文「質問に答えていない『知りたい聞きたい』」でも指摘したが、「日の丸・君が代」問題に関して共産党は最近、手続き上の民主主義にのみ拘泥して(それでいながら、党内での「手続き上の民主主義」は一顧だにされないのだが)、「日の丸・君が代」反対ないし「日の丸・君が代の法制化」反対の姿勢が後景に退いている。そのことを裏づけるもう一つの事実を指摘しておきたい。
4月28日に、第70回メーデーに向けた日本共産党のメーデー・スローガンが発表された。
それを見ると、その中の一つとして、共産党は「日の丸・君が代の押しつけ反対」とは言っているが、「日の丸・君が代の法制化反対」とは言っていない。この場合の「押しつけ」反対とはおそらく、教育現場への「押しつけ」反対という意味と、「国民的討論を経ずに法制化するな」という二つの意味を込めているのだろう。教育現場への「押しつけ」に反対するのはもちろんのことだが、後者の意味に関しては、「国民的討論」さえ経れば「日の丸・君が代」を国旗・国歌として法制化していいのか、という疑問が当然出てくる。
たとえば、共産党は、このメーデー・スローガンの第1番目として、「アメリカの戦争に参加するガイドライン法案(戦争法案)反対」を掲げている。もしこのスローガンが、「新ガイドライン法案の押しつけ反対」というスローガンだったとしたら、奇妙奇天烈だろう。新ガイドライン法案についてはずばり反対なのに、「日の丸・君が代」については「押しつけ」のみに反対するのは、まったくもって理屈に合わない。
さらに、このメーデー・スローガンでは、「日の丸・君が代の押しつけ反対」に続いて、「いまの日本にふさわしい国旗・国歌をめざし国民的討論を」と主張している。最初から国民的討論が「いまの日本にふさわしい国旗・国歌をめざす」ことに限定されている。これは、日本共産党流の「国民主権論」からしても奇妙な話だ。本当に民主主義的な国民的討論を欲するのなら、そのような限定をつけるのはおかしいし、また統一戦線の観点からしても問題である。国旗・国歌そのものに対する意見の相違を越えて、当面は「日の丸・君が代」の法制化策動の粉砕に全力を尽くさなければならないのだから、そのような限定をつけることは、反対運動の枠を狭めることになる。