まず冒頭部分で、鈴木氏は、共産党がその政権参画戦術において、党の政策と政権の政策とを使い分けていることを以下のように批判している。
「確かに、この党の柔軟路線は党勢拡大に結びついている。しかし、路線や政策について、党と政権とで”使い分け”をしようというのは、この党のお家芸ともいえるご都合主義でなくて何であろう」(200頁)。
この一文からしてすでに、筆者の議論の不公正さが示されている。これは典型的に「ためにする批判」である(鈴木氏自身、共産党が自民党に対して「ためにする批判」をしていると繰り返しているのだが)。
まず第1に、路線や政策について党と政権とで一定の「使い分け」をせざるをえないのは避けがたいことである。共産党単独政権か、あるいは共産党が圧倒的に多数派である政権でもないかぎり、党の政策はそのまま政権の政策にはなりえない。あるいは、たとえ単独政権でも、党の政策を受け入れるだけ世論が熟していなければ、党の政策と政権の政策の間に一定のズレが生じるのは当然である。これはまったく非難するに値しない。問題は、その「使い分け」の質と内容と程度にある。
昨年の不破政権論が許しがたい誤りであるのは、「党の政策と政権の政策が違う」からではなく、安保・自衛隊といった党の政策の根幹にかかわる問題で重大かつ一方的な譲歩と後退が見られたこと、またその「暫定連合政権」なるものが「よりましな政権」として機能しうるものではないこと、等々の理由からである。
第2に、そのような「使い分け」を共産党の「お家芸」としていることである。別の箇所では「この党独特の『ご都合主義』であり、ダブルスタンダードの乱用」という言い方もしている。「使い分け」や「ダブルスタンダード」は共産党の「お家芸」であり、「共産党独特」なものなのだそうだ。だが、社会党が政権についたとき、自らの党の根本政策を裏切って、安保・自衛隊・天皇制を容認したのは、ほんの数年前のことである。いったい、これが「使い分け」や「ダブルスタンダード」でなくて何なのか? しかも、この「使い分け」のひどさは、共産党の比ではない。むしろ、社会党が政権に入ったときに用いた無原則な「使い分け」や「ダブルスタンダード」に、それを厳しく批判していた共産党も部分的に追随しはじめたことこそが問題なのである。
また、自民党は党是として「改憲」を結党以来掲げ続けながら、政権党としての数十年間、その政策を棚上げしつづけたのは何なのか? しかも、自民党は一貫して単独政権である。
こうしたことすべてを無視して、「使い分け」や「ダブルスタンダード」を共産党独特のものと言うのは、まったく公正さを欠いた批判の仕方ではないか。