この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
5月31日付『朝日新聞』によると、民主党の鳩山幹事長代理は、5月30日に東大の5月祭で講演を行なった際、約3ヶ月前に東京都内で共産党の志位書記局長と2人で会談したことを明らかにし、そのときの会談の感想として、「志位氏の発想は決して共産主義でも何でもない。共産党が共産主義のカラを脱ぎ捨てて脱皮した時に我々と同じような世界が開かれるのではないか。脱皮を期待したい」と述べた。
しかし、同じ30日に、民主党の菅代表はテレビ朝日の番組で「自自公連携がはっきりしてくれば、社民やさきがけ、無所属の人などといろいろな協力関係を考えていきたい」と述べ、「非自自公・非共産」での共闘方針を表明しており、民主党の政権構想のなかには、一貫して共産党は含まれていないということがわかる。
しかしながら、多くのマスコミが翌日に取り上げたように、鳩山発言には、共産党が今後、党名や綱領を変更してさらに右傾化をすすめるならば将来の共闘はありえるという熱い「ラブコール」が含まれている。
こうした「ラブコール」は、「普通の国」(普通に国旗・国歌があり、普通に軍隊があり、普通に世界経済を支配する日本)を求める世論・マスコミをある程度代表したものである。そしてこの「ラブコール」に感激して我を失いそうなのが、残念ながら現在の共産党指導部というべきだろう。
鳩山氏が明らかにした「会談」内容を見るなら、そのような懸念・疑念を覚えるには十分である。
まず第一に、鳩山・志位両氏、つまり各政党最高幹部クラスが一対一で会談を持つということは、極めて重要な政治的な接触であるにもかかわらず、共産党内ではその内容がまったく発表されていないことである。これは、国民から隠れた不透明な政党間取引をつねづね批判をしてきた共産党としては、許しがたいことではないか?
第二に、鳩山氏との会談のなかで、はたして志位氏が党の原則的立場を守っていたのかという疑問である。相手に「共産主義でも何でもない」と言われるような内容とはいったい何か?
民主集中制にもとづく団結を正しい意味で党が守っていくためには、党幹部の主要な政治活動は公にされるべきであるし、その内容は公表されるべきである。
共産党指導部が「よりまし」として描く政権は、現状をみるなら、なにより共産党が批判勢力としての現在の地位を完全に失うことよって成り立つものである。すなわちそれは「よりまし」とはなりえない政権であって、むしろ、長年築いてきた運動を挫折させ、日本の翼賛体制を名実ともに完成させるという点では、「より悪い」選択肢となるだろう。
いま共産党が応えていくべき、あるいはこちらから送るべき「ラブコール」とは、たとえば護憲の立場から共産党候補を推薦してくれる新社会党であったり、地道に草の根からの活動をつづけている多くの市民運動等であるべきだろう。旧社会党が崩壊し、国会内で唯一まともな革新政党となった共産党が共闘のパートナーを正しく選ぶことはたいへん重要であり、そういった意味からも、現在の共産党指導部が誰にどのように「ラブコール」を送っているかという点について、一般党員は特に厳しい目を向けておく必要があるだろう。