この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
6月5日付『しんぶん赤旗』に新学習指導要綱を批判した「主張」が掲載されている。来年度から前倒しで実施される予定の「新学習指導要綱」は、小学校の音楽での「君が代」の取り扱いを「いずれの学年においても指導する」としており、低学年からの指導徹底を求めている。従来は「児童の発達段階に則して」としていたのがから、この文言変更が、いっそう「日の丸・君が代」の押しつけ強化することを意図したものであり、厳しい批判が必要なのは言うまでもない。
しかしながら、この赤旗「主張」は、教育現場への押しつけを批判するのみで、「日の丸・君が代」の問題性については一言も述べていない。とくに違和感を覚えるのは次のくだりである。
「広島の痛ましい事件とそれを受けた官房長官発言、さらには国旗・国歌問題について国民的な討論を呼びかけた日本共産党の提唱を契機に、『日の丸・君が代』をどう考えるか、今の日本で国旗・国歌はどうあるべきか、をめぐって自由で明るい議論が各方面ではじまっています」。
官房長官の発言とは、「学校長に学習指導要綱、職務命令だけで対応させるのが果たしていいのか」というもので、この発言はもちろん、これまでの「日の丸・君が代」押しつけを反省したものではなく、国旗・国歌の法制化を持ち出すための前振りにすぎない。にもかかわらず、赤旗「主張」は、この発言も含めて、「自由で明るい討論がはじまる」きっかけになったといって肯定的に評価しているのである。
しかもなぜ「明るい討論」という言い方をするのか。このような深刻な問題で「明るい討論」をすることができるのは、戦前の侵略や戦後における在日外国人差別に鈍感な能天気な一部の日本人だけだろう。
赤旗「主張」がしきりに取り上げている新聞の投書などを見ても、戦前、「日の丸・君が代」のもと生死をさまようようなひどい経験をしたお年寄りの意見や、現在の新ガイドライン法の強行と結びつけて「新しい戦前」を危惧する深刻な声も多数寄せられている。もちろん、なかには、「さくらさくら」がいいとか、みんなで楽しく歌える国歌を、などという脳天気な意見も掲載されているが、共産党としていったいどちらの投書を重視すべきなのか?
もちろん、この「主張」欄の筆者は、不破委員長が使っている言葉づかいをそのまま無批判に用いただけなのだろうが、それにしてもこの期に及んでなおこのような無責任な書き方ができるとは驚きである。