インタビュアー では、ずいぶん長い説明がありましたが、以上の点をふまえて、最初の質問に戻りたいのですが。つまり、新ガイドライン法の成立によって、日本の帝国主義的復活が一定完了したのか、完了したとしたら、それによって成立した日本帝国主義というのは、自立的なものなのか、対米従属的なものなのか、という質問です。
H・T まず最初の問題ですが、すでに述べた帝国主義の3つの側面について一つ一つ見ていきましょう。まず、帝国主義の経済的側面ですが、高度経済成長を経て、日本は経済大国になり、70年代終わりから80年代初頭にかけて輸出大国となって、85年以降は海外直接投資の面でも大国の仲間入りをしました。そして94年以降は、アジア中心の多国籍化が急速に進展したことで、先進国の独占企業が第三世界の民衆を搾取・収奪するといった本来の帝国主義的海外進出の様相を強めています。つまり、この面での帝国主義的内実を基本的に備えるようになりました。
次に政治的側面ですが、まず国内面で言うと、小選挙区制という階層的で権威主義的な選挙制度の導入と、日本の帝国主義化に対する最大の障害物であった社会党の崩壊、国会の議席配分が、共産党と社民党をのぞく9割以上が帝国主義化に賛成の政党によって占められたことによって、かなりの程度、この面でも内実をともないつつあります。また、現在、成立を画策されている盗聴法案、「日の丸・君が代」法案も、帝国主義的な国内体制構築の一環として考えることができます。
他方、外交面で言うと、長年にわたる対米従属的な外交姿勢ゆえに、日本は独自に帝国主義的な外交政治を行なうよりも、アメリカの帝国主義的外交政治をことごとく支持し、それを支えるという形で、その帝国主義的外交政治をやっています。これは後で述べる自立か、従属か、という問題にかかわります。
最後に軍事面ですが、この点での帝国主義化がいちばん弱かったわけですが、今回の新ガイドライン法の成立、3月の不審船事件にからんでの戦後発の海上警備行動の発動によって、この面での遅れを急速に取り戻しつつあります。とりわけ、新ガイドライン法の成立は、日本がアメリカの後方地域支援をやるという形で本格的に戦争をする国に脱皮させるものであり、戦後史における重大な画期と呼べるものです。
以上を総合すると、帝国主義の3つの側面全体にわたって、現在の日本が一通り帝国主義国としての内実を備えつつあることは明らかであり、日本を帝国主義国として規定することは十分可能だと思います。
インタビュアー では、この復活を遂げた日本帝国主義について、それは自立的な帝国主義なのか、対米従属的な帝国主義なのか、という問題についてはどうでしょう。
H・T これは古くて新しい問題ですが、日本共産党の綱領が確定された時期には、日本が経済、政治、軍事のあらゆる面にわたってアメリカに従属していたのは明らかで、日本をアメリカに従属した独占資本主義国と規定したのは、根拠があったと思います。また、当時は沖縄もまだ返還されておらず、当時沖縄がアメリカの植民地的な地位に置かれていたことも間違いのないところです。それゆえ、党綱領において、「アメリカに半ば占領された」というような過激な表現にもなっていたわけです。しかし、現在においてはもう少し丁寧に再検討する必要があるでしょう。
帝国主義を3つの側面から考察する必要があるように、従属についても同じように3つの側面から考えてみましょう。まず経済的な面ですが、日本が戦後、経済復興を果たすにあたって、アメリカの技術や資本を全面的に受け入れ、それに大きく依存していました。しかしながら、日本は60年代に企業社会的な独自の蓄積構造を成立させ、高度経済成長を経て、圧倒的な経済大国となるにともない、アメリカに対する経済的従属は、経済的な相互依存の関係に変わりました。したがって、経済面から日本の従属性を言うのは無理があります。
インタビュアー しかし、昨今のアメリカ金融資本の席巻とアジアの金融危機は、改めてアメリカ資本主義の底力を見せつけるとともに、経済面でもまだ日本の従属性がなくなっていないことを示しているという意見もありますが。
H・T たしかに、アメリカ金融資本の新しい展開とそれが日本の現状規定に対して持つ意味については、今後多面的な研究を必要とする分野でしょうね。しかしながら、綱領確定時における経済的従属というイメージからすれば、現在がそれとかなり隔たっており、相互依存の関係に近くなっていることは否定しがたいと思います。それに、現在のアメリカ金融資本の支配力のかなりの部分は、やはりアメリカ帝国主義の政治力に頼っている部分が大きいと思います。日本の銀行に対するいわゆるBIS規制にしても、アメリカの政治力がものを言いました。
さてそれに対して、政治・軍事についてはどうでしょう。すでに述べたように、戦後における日本の帝国主義的復活は非常に不均等な形で進みました。「憲法の体制」とそれを補完していた「安保の体制」によって、経済的帝国主義化に比しての政治的・軍事的帝国主義化の相対的な立ち遅れが、一貫した戦後日本の特徴でした。したがって、政治・軍事の面での対米従属は、経済面での相互依存への急速な移行とは対照的に、今日でも続いているとみなすことができます。
この点で比較対象として興味深いのは、革命前のロシア帝国です。帝政ロシアは経済的には欧米資本主義に、とりわけフランス金融資本に深く従属していました。生産手段の3分の2が国外からの輸入に頼っていたこと一つとっても、その従属度は戦後日本の比ではありません。にもかかわらず、その巨大な領土(多数の植民地を含む)と軍事力、ツァーリを頂点とした確固たる中央集権体制のおかげで、政治的・軍事的には十分に自立した帝国主義国として存在していました。経済と政治・軍事との関係は究極的には照応するとはいえ、個々の歴史的期間においては鋭い不均等を維持しうるのであり、それが各国の重要な特殊性を構成するのです。
さらに、この面でもう一つ押さえておく必要があるのは、すでに述べた戦後改革の特殊性です。戦後改革は、制度や法制面では、戦前とのラディカルな断絶を特徴としながら、戦後秩序の人的担い手の面では--天皇自身を含め--戦前との強い連続性を保持していました。強力なレジスタンス運動があったイタリアや、社会民主党をはじめとする亡命指導部がちゃんと機能していたドイツの場合と異なり、日本においては、共産党以外のすべての政党と政治家が戦争協力し、天皇制に屈服するという異常な事態が見られました。そのため、戦後秩序を担った者たちは、露骨に戦犯であった場合はもちろんのこと、基本的にすべてすねに傷を持つ者ばかりでした。このような連中が、追放されることなく(あるいは、一度追放されてものちに解除されて)戦後秩序を担えたのは、ひとえにアメリカ帝国主義のおかげです。
イタリアもドイツも、その戦後復興過程においてはアメリカに依存しましたが、その政治的支配層は、ファシズムと手を切った戦後秩序を担うだけの資格と正統性を有しているという自信を持ち、この自信と正統性とが、これらの国が政治的に自立して機能するうえで重要な役割を果たしました。
そのような自信と正統性を持たない日本の支配層は、9条憲法と安保を、正統性の代行物としたのです。とりわけ、それは近隣諸国に対してそうでした。軍隊を持たないことをうたった「憲法の体制」と、たえざるアメリカの監視と掣肘を受けることを制度化した「安保の体制」とが、近隣諸国に対し、日本が戦前のような暴走をしない政治的保障、一種の政治的エクスキューズとして機能したのです。
インタビュアー しかし、すでに詳しく述べられましたが、日本がこの数年間に急速に政治・軍事面での帝国主義的復活を遂げたことについてはどうなんでしょう。
H・T 問題は、その復活の仕方です。実は、ソ連東欧が崩壊し、「冷戦が終結した」という社会的雰囲気が強かった時期、日本の防衛構想の中に一時、相対的に自立的な方向性が打ち出されたことがありました。
インタビュアー それは、いつ、どういう文書においてですか?
H・T それは、94年2月に細川内閣のもとで発足した首相諮問機関の「防衛問題懇談会」が、同年8月に村山内閣のもとで出した報告書、「日本の安全保障と防衛力のあり方」です。その中で報告書は、日本の安全保障政策について、「日本は、これまでのどちらかといえば受動的な安全保障上の役割から脱して、今後は、能動的な秩序形成者として行動すべき」だとし、その上で、3つの能動的な安全保障政策を提示しています。引用しますと、「第一は世界的ならびに地域的な規模での多角的な安全保障協力の促進、第二は日米安全保障関係の機能充実、第三は一段と強化された情報能力、機敏な危機対処能力を基礎とする信頼性の高い効率的な防衛力の保持である」。
第一に掲げられている「多角的な安全保障協力」の主たる中身は国連協力であり、報告書は、冷戦終結をにらんで「平和国家日本は、だれのためよりも、まず自国の国益の見地から、この歴史的な機会を積極的に利用しなくてはならない」とうたっています。
この報告書で示された自立的姿勢はまだまったく初歩的なものですが、この方向性が積み重ねられるなら、日本がより自立した帝国主義国家に脱皮するかもしれないという危機感をアメリカ側は抱きました。とりわけ、日米安保の役割が「第二」の位置に置かれていることは、安保の軽視につながるとアメリカ当局は考えました。そこで、アメリカの国防省の高官がその年の11月にあいついで来日し、巻返しをはかります。こうして、日米安保の役割を日本の安全保障の中心に置きなおした「防衛計画の大綱」(95年)や「日米安保共同宣言」(96年)が宣言されることになるのです。これが、その後の新ガイドライン(97年)、そして今回の周辺事態法へとつながっていきます。
この流れを見てもわかるように、冷戦終結以後の帝国主義的復活の独特な過程は、日本の自立帝国主義化とは明らかに異質なものでした。今回の新ガイドライン法にしても、どこまでも主導権はアメリカにあり、日本はその後方地域支援をやることに限定されています。この限定は、一方では憲法的制約の現れですが、他方では対米従属の現れでもあります。
もちろん、「従属」といっても、第三世界型の従属ではないし、したがって、民族独立なるものが戦略的課題になることもありません。この点は、共産党の綱領問題との絡みで、後で詳しく述べます。
インタビュアー すると、日本は帝国主義的復活を果たしたが、それは対米従属的な形で果たされた、ということですか?
H・T そうですね。そう言ってよいと思います。したがって、日本に成立している帝国主義を「従属帝国主義」と呼んでいいと思います。「従属」の側面を強調すると日本帝国主義との闘いがおろそかになることを危惧する人がいますが、日本が帝国主義国であるということをきちんと規定しているのですから、その点は杞憂だと私は考えます。もちろん、何度も言うように、この「従属」は第三世界型ではないし、経済的には完全に相互依存ですから、「半従属」という言い方をしてもいいかと思います。
インタビュアー つまり、「半従属的な帝国主義」であると。
H・T そうですね、そう表現しても問題はないと思います。
インタビュアー そうすると、日本の現状規定としては「従属帝国主義」ないし「半従属的な帝国主義」ということでいいんでしょうか?
H・T いえ、それではまだ不十分です。というのは、日本が帝国主義国としての内実を完全にそなえ切るまでにはなお多くの制約条件が残っているからです。その最大のものは、憲法そのものです。この憲法が改訂されないかぎり、これからもなお日本の帝国主義化に対する制約は存在し続けます。ドイツもイタリアも今回のユーゴ空爆で戦闘に参加しましたが、日本では憲法があるかぎり、国外での軍事力行使というハードルは恐ろしく高いのです。
ですから、支配層にとっては、最終的には憲法改悪までいかないとだめなのです。現在国会で、「憲法調査会設置法案」が審議され、近々、強行採決されようとしていますが、支配層は最終的にはかならず憲法改悪を直接の目標としてくるでしょう。もちろん、オプションとしては、平和基本法のような立法改憲もありえますが、いずれにせよ解釈改憲の積み重ねだけではいずれ限界にぶつかります。
また、この憲法的制約ゆえにいまだに国内法上の本格的な有事立法やスパイ防止法が成立していないことも、帝国主義国家として機能する上での重要な制約要因になっています。
さらにまた、戦後民主主義勢力も、共産党を筆頭になお健在ですし、比例代表制が残っているかぎり、この勢力が国会に一定の議席を維持し続けるでしょう。これも大きな制約となります。支配層はしたがって、比例代表部分をしだいに削減し、最終的には単純小選挙区制をめざすでしょう。現在、自由党が持ち出している比例定数削減案は、まさにこの方向性に沿ったものです。
ですから、現状規定としては、「制約された従属帝国主義」という言い方がいちばん正確であると思います。