インタビュアー ところで、先ほど、85~90年の多国籍化と、バブル崩壊以後の多国籍化とでは、異なった特徴が見られるとおっしゃいましたが、その点について簡単にお話ねがえますか。
H・T そうですね。まず最大の違いは、85~90年の多国籍化においては、最初の1~2年の円高不況を脱した後は国内の未曽有の好景気を受けて、それに煽られて、いけいけどんどんで進んだ多国籍化であるのに対し、94年移行の多国籍化は不況の真っ只中の多国籍化であるということです。前回のインタビューでも触れましたが、バブル景気下の多国籍化は、それまで多国籍化が著しく遅れていた分、かえってかなり無謀な海外進出が行なわれ、それがバブル崩壊後に急速な業績悪化として現象しました。
第2に、85~90年の多国籍化が、日本型企業社会のシステムの繁栄に立脚し、その成功に後押しされる形で進んだのに対し、バブル崩壊以後は逆に、多国籍化の中で既存の企業社会的構造が桎梏として感じられています。年功賃金も終身雇用も、バブル崩壊以前はこれこそ日本の繁栄の秘密と言われていたのが、今ではなかなか不況から脱することのできない元凶として指弾されています。この正反対の評価はある意味でどちらも正しく、どちらも一面的です。
すでに述べたように、日本の強蓄積の秘密の1つは豊富な若年労働力の存在とその相対的な低賃金でした。このおかげで、世界有数の経済大国になれたわけです。しかし、この分厚い年齢階層は時がたつにつれしだいに高齢化し、年功賃金のもと、賃金コストを引き上げます。
たとえば団塊世代に着目すると、1947年生まれの人は、急速な多国籍化が始まる1985年の時点では38歳。まだまだ働き盛りであり、長時間労働にも耐えられるだけでなく、賃金コストもそれほどではありません。大企業の年功賃金システムでは、だいたい50~55歳で賃金上昇の頂点を迎えます。企業にとって、仕事量に比して賃金コストが高くついていると感じ始めるのは、おそらく50前後になってからでしょう。バブル崩壊後の多国籍化の始まる94年には、47年生まれの人は47歳になっています。99年の現在では52歳です。こうして繁栄の条件であったものが、停滞の条件に反転し、今では年功賃金の見直し、中高年労働者のリストラがクローズアップされるようになったのです。
また団塊世代の高齢化は、高齢者福祉の問題をはじめとするその他多くの問題と結びついていますが、この点は別の機会に論じます。
第3に、以上の2つのことと深く関連していますが、85年以降の海外直接投資が欧米中心に行なわれたのに対して、バブル崩壊以後の多国籍化においては、進出先は、賃金コストが高く各種の規制が存在する欧米よりも、賃金コストが安く規制も緩やかなアジア中心にシフトしています。85~90年当時は、最初の円高不況を脱した後は好景気だったし、企業社会のシステムも円滑だったので、その自信に裏打ちされて(実際には過剰な自信だったのですが)、欧米に殴り込みをかけるという様相でしたが、94年以降は、不況と企業社会システムの動揺ゆえに、より堅実に、賃金コストの低いアジア中心になったということです。
第4に、バブル崩壊以後の多国籍化は、国内における新自由主義的な諸政策に対する強力な推進と結びついています。企業の多国籍化は一般に、市場の相互乗り入れを前提にしていますので、市場開放要求や規制撤廃の要求と必然的に結びつく傾向がありますが、バブル景気のときには、市場全体が拡大していく中で行なわれていたので、その新自由主義的要求は現在ほど強くありませんでした。しかしながら、市場が収縮する中で進んでいる現在の多国籍化においては、大企業の側にはバブル期のような余裕や寛容さは微塵もなく、あらゆる規制を撤廃して、中小零細を切り捨てても、もうけを上げようと血眼になっています。