雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

選挙制度改革に関する
日本共産党の提案を考える

 6月29日、わが党の穀田恵二国対委員長は、「選挙制度等に関する協議会」の実務者協議で日本共産党の衆院選挙制度についての改革案を提案した
 その基本的内容は、小選挙区制を廃止して定数500のブロック別の比例代表制にすることを柱に、供託金の大幅引き下げ、永住外国人の地方参政権付与、18歳選挙権、企業・団体献金の禁止、政党助成金の廃止などを提案している。ここでは、この提案に対するトータルな対案を出すというよりも、今後の討論の材料となるような論点をいくつか提出するにとどめたい。
 まず、衆院の定数についてだが、この提案において、日本の議員定数が多いというのは俗論であり、人口比の議員数で見れば、日本はヨーロッパ諸国などと比べて2分の1から2・5分の1であることが指摘されている。これは正しい指摘である。しかし、だとすれば、なぜ定数を増やすのではなく、500という現状維持の数で提案したのだろうか。しかも、500という定数自身、しだいに削られていった結果の数である。議員定数が少なければ少ないほど、少数政党にとっては不利であり、大政党にとって有利である。民意の多様な反映、少数意見の権利保護という観点からすれば、むしろ定数は大幅に増やすべきではないか?
 もちろん、現在の力関係からして、定数増の提案が通るはずもないし、財政再建のためには議員を減らすべきだという声が保守派やマスコミの宣伝によって広く世論に浸透している状況を考えれば、定数増の提案が人気を得ない可能性があるのもその通りであろう。あるいはまた、共産党自身が少数政党なので、定数の大幅増の提案は、共産党の議席数を増やすための党利党略であるとの批判も受けやすくなる可能性もある。おそらく、以上のことを考慮して、共産党は定数をそのままにした提案をしたのだろう。しかしながら、定数問題は、党利党略を越えた民主主義の問題であるので、定数を増やす選択肢を考慮してもよかったのではないか?
 次に、選挙制度そのものについて。まず、選出単位についてだが、たしか、かつて共産党は、全国一律比例代表制ないし都道府県別比例代表制を提起していたように記憶しているが、今回は、現在すでにブロック別の比例代表制が採用されていることをふまえて、ブロック別の比例代表制に統一することを提案している。しかし、ブロック別というのは非常に恣意的な区分である。都道府県別なら、都道府県というのは行政の単位でもあるので、その区分には一定の政治的根拠があるが、ブロックというのは完全に選挙用の恣意的な区分である。そのようなブロック別に議員を選出するいかなる根拠もない。ブロック別が導入されたのは、選出する単位を全国単位よりも小さくした方が大政党に有利であるという党利党略からきている。そのような党利党略的区分を踏襲したのは、どうしてだろうか?
 おそらく、制度いじりの対象範囲を小さくすることによって、問題の焦点を比例代表の是非に絞り込むためだったと思われる。とりあえず、現在のブロック別を踏襲すれば、各ブロックの定数を2倍から2・5倍にするだけで、共産党の提案している制度に移行することができる。そのような配慮はわかるのだが、それでもやはり、ブロック別を維持することによるデメリットを考えないわけにはいかない。
 選出が全国単位なら、最も理想的な形で、多様な民意を議席に反映させることができる。投票者の500分の1程度の支持しか集められない少数意見でも国会に議席を持つことができる。これは著しい多党化現象を生むだろうが、成熟した民主主義社会のためには、そのような多党化はけっしてマイナス要因ではないはずである。しかし、選出単位が広すぎることで、候補者の顔がまったく見えなくなる可能性があるし、また各都道府県の利害、とりわけ人口の少ない地域の利害がないがしろにされる可能性が高い。
 他方、都道府県別なら、少数意見の反映という点では全国単位よりもはるかに劣るが、都道府県という行政単位を基盤にしているので、各選出議員が地域代表的性格も持つことができる。もちろん、この地域代表的性格は、以前の中選挙区制においては、国家予算をその地域に持ってくる能力という点で自民党議員に有利に働いていたし、ばらまき公共事業の源泉にもなっていた。しかしながら、行政が都道府県単位で構成されている以上、その地域的利害を国政に反映させることそのものを否定するのは行きすぎだろう。また、各党候補者が都道府県別になることで、有権者にとって候補者の顔が見えやすくなるというメリットもある。
 このように全国単位と都道府県単位はそれぞれにメリットとデメリットを持つ。それに対してブロック別は、いずれの面においても中途半端である。
 次に、選出方法についてだが、民意切り捨ての小選挙区制を廃止することは当然であり、この点は議論の前提として確認しておきたい。では、それに代わる対案だが、多様な民意の正確な反映という議会制民主主義の原理からすれば、比例代表制は最も理想的な選挙制度である。また、政党がその名簿の上位に積極的に女性候補者や少数民族出身者を据えるならば、これらの人々の政治進出に大きく寄与することができる。しかし、拘束名簿式という現在の制度は、候補者の個性というものが有権者に見えにくいというデメリットを持つ。とりわけ、先ほど述べたように、選出単位が広くなると、そのデメリットはますます大きくなる。われわれ党員ですら、共産党の比例名簿の下のほうで当選した議員については、あまりよく知らないぐらいである。
 他方、中選挙区制の場合は、候補者個人が争う選挙という形をとるので、候補者の顔が有権者によく見える。しかし、中選挙区制にも多くのデメリットがある。まず定数が以前のような3~5の場合は、やはり大政党に有利で、少数意見が切り捨てられる傾向にある。
 また、中選挙区制で複数議席を狙う場合には、組織的な地域割りをしなければならなくなる。しかし、その地域割りは、ある意味で政党の側の恣意的な区分であり、有権者の選択権とは無縁である。またその地域割りがうまく機能しないと、総得票数で複数議席を獲得できる票を集めていても、議席には反映しない可能性があり、有権者のせっかくの票が死票になってしまう。死票を最小限にするのが議会制民主主義の基本原理にかかかわるとすれば、地域割りの出来不出来という外在的要因で、多くの有権者の票が死票になるのは、その基本原理に反することになる。
 以上の点をかんがみて、次のような選挙制度も考慮の一つに加えてもよいのではないか。つまり、衆院定数を600に増やした上で、それを300づつ全国単位と都道府県単位に分け、どちらも比例代表制にもとづいて選出する。こうすれば、全国単位の比例代表制において、少数意見も議席に反映させることができ(300分の1の得票で議席を持つことができる)、都道府県単位の比例代表選挙において、各都道府県の利害を反映させることができるとともに、候補者の顔も身近で見えやすくなる。
 しかし、この方式にもいくつかのデメリットがある。
 まず、参議院選挙の現行制度にかなり近くなってしまい、衆参の個性が出なくなる。もっとも、参院では、定数が少ないので、選挙区選挙は、ほとんどが1~2の小選挙区制ないし準小選挙区制になっており、大政党に著しく有利な制度になっている。いずれにせよ、衆院の選挙制度改革とともに、参院の選挙制度改革もあわせて検討する必要があるかもしれない。
 第2に、この方式は、選出単位に違いはあるとはいえ、党中央の提案と同じく、すべての議員を比例代表制で選ぶことになっており、それに伴う弊害がある。拘束名簿式比例代表制というのは、民意の正確な反映という点ではすぐれているが、党執行部の権力を著しく強めるという特徴を持っている。拘束名簿に載るか載らないか、あるいは上から何番目に載るか、ということはすべて執行部の裁量に任されているので、議員の個性や自立性というものが発揮される余地が極端に小さくなる。執行部の権限強化という点に関しては、小選挙区制と比例代表制とは、ある意味で共通しているのである。
 しかも、この両者を比べると、むしろ比例代表制の方が執行部の権力を強める性格を持つ。というのは、小選挙区制の場合、強い個人人気と強力な地盤があれば、所属政党から除名されても当選する可能性があるからである。したがって、この弊害を緩和するためには、個人候補者と政党との間に設けられているさまざまな差別を撤廃し、個人候補者が比例代表選挙でも諸政党と並んで争えるようにしなければならない(個人と政党との差別撤廃について、今回の共産党の提案は何も言っていない)。
 いずれにしても、定数および選出単位および選出方法については、今後、いっそうの討論(党内および党外の)を必要とする課題であるとわれわれは考える。したがって、われわれの提案も単なる1つの案であって、何ら確定的なものではない。
 供託金の引き下げや企業献金の禁止などのその他の提案については、われわれは基本的に同意する。ただし、在日外国人の選挙権に関しては、永住の場合は地方参政権のみならず、国政の参政権も付与されるべきだろう。これが、国民主権という憲法の基本原則と抵触するかどうかは、たしかに憲法学者の間でも議論があるし、それ自体大いに討論の対象とすべきである。しかし、たとえば、直接内閣を組織しない参議院選挙の選挙権なら、そのような問題は生じないはずである。また、地方参政権程度なら、永住といわず、たとえば3年ないし5年以上在住の外国人にも付与することが検討の対象になってもいい。
 以上、わが党が出した選挙制度改革案に関して、討論の材料とするための論点をいくつか提供した。これはあくまでも討論材料のための試案であって、われわれの確定的な意見ではない。その点をふまえて、今後の討論の糧にしていただきたい。

1999/7/8  (S・T)

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