この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
今年2月に日本共産党が国旗・国歌の法制化を積極的に容認する路線転換を――党内討論もいっさいなしに――行なったことに端を発した「日の丸・君が代」の法制化策動は、衆参で自自公が「日の丸・君が代」法案をごり押しし強行採決することによって、ついに成立してしまった。私たちはこうした事態に深い憂慮の念を持つとともに、そのきっかけを最初に提供したわが党指導部の軽率かつ犯罪的な誤りに対して改めて厳しい糾弾の声を上げるものである。
「日の丸・君が代」の法制化をめぐる問題と共産党の政策転換の誤りについては、すでにこれまでの『さざ波通信』において詳しく述べてきたので、ここでは繰り返さない。今回、取り上げたいのは、雑誌『論座』の今年8月号において、菅直人民主党党首がインタビューに登場し、今回の「日の丸・君が代」法制化騒動をめぐる共産党の立場について興味深い見解を示していることである。
菅直人は、インタビュアーの質問に答えて次のように答えている。
「今年2月末、卒業式での扱いをめぐって教育委員会と教師たちの板ばさみになった広島県の高校の校長が自殺するという残念な出来事も起きましたが、法制化については日本共産党の姿勢転換が大きかったと思います。これまで共産党は『日の丸・君が代』に反対していましたが、今年になってから法制化の論議には応ずると言い出した。
たぶん共産党の本音は、今までは『日の丸・君が代』に反対してきたが、このへんで方針転換したくなった。しかし、従来の反対をいきなり覆すわけにはいかないから、法制化をよりどころとしようとしたのではないですか。『反対』だけれど、決まったものに従うことはルール順守ですから、支持者へのメンツをたもつ。共産党の姿勢転換は、長年『日の丸・君が代』を国旗・国歌として位置づけたいと願っていた自民党にとっては渡りに船だったと思う」。
この菅直人の分析は一定正しいと言わなければならないだろう。菅直人自身は「日の丸・君が代」賛成だが、もともと革新側であった政治家が、社会の右傾化に合わせて右傾化を遂げた自らの経験からして、以上の分析には説得力がある。
これに対し、インタビュアーが「でもこの問題では、民主党と日本共産党は方向が同じだと言えませんか。どちらも、法制化には問題があるが、議論することは必要であり、法制化が決まったら認めるという姿勢ですから」と突っ込むと、菅直人は続けて次のように述べている。
「いいえ。共産党のほうがわれわれよりもある意味で意図的なんです。共産党はもともと天皇制を認めていなかった。自衛隊も認めず、日米安保も認めず、『日の丸・君が代』も認めていなかった。しかし、共産党は近年、これらをなし崩し的に認め始めています。自衛隊はすぐにはなくさない、日米安保もすぐには解消しない、天皇制も基本的に認める。とすると『日の丸・君が代』だけを反対する理由はなくなる。その体裁づくりとして、法制化を持ち出してきたわけです。
われわれ民主党はもともとから天皇制を認めてきたし、『日の丸・君が代』も否定してきたわけではない。あくまでも、政府が強引に法制化に固執するのであれば、その前提として国民的な議論を大いにやるべきだと主張してきた。しかし、共産党はもっと遠いところにあるものを転換するために、意図的に法制化を言い出したのじゃないですか」。
このように共産党指導部の昨今の右傾化路線は、菅直人のようなより右に位置する政党の党首から見ても明白になっている。現在の共産党指導部が、事実上、安保も自衛隊も容認するに至っているという見方は、5月8日付『朝日新聞』でも述べられていた。われわれは、『さざ波通信』第4号の雑録論文で、共産党指導部がこの記事に対して沈黙したことを厳しく批判した。しかし、結局、党指導部は沈黙を押しとおした。今回も沈黙したままで終わるだろう。党指導部は、党内においては路線転換していないと引き続き言いつつ(本号のメイン論文でも取り上げた、党創立77周年記念講演会の不破委員長の講演では、党の路線は綱領確定以来変わっていないとさえ断言されている)、一般世論に対しては、すでに安保も自衛隊も認めているとみなされることを望んでいる。
このような二枚舌、このような使い分けが、罰なしにすむわけがない。すでに、「日の丸・君が代」が法制化されるという重大な罰を受けた。世論に対して共産党が柔軟になったという印象を与えたいという中央指導部の思惑が、日本政治の反動化に重大な貢献を果たしたのである。日本のすべての良識ある人々は、この事実を忘れることはないだろう。