この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
では次に、帰国後に代表団メンバーで行なわれた座談会(マレーシア編)および座談会(シンガポール編)や朝日ニュースターの不破インタビューを少し詳しく見てみよう。これらの記録は、現在の党指導部の右傾化がどこまできているかを典型的に示す歴史的文書である。
まず、彼らは、一様に、政府高官が丁重に共産党代表団を迎えてくれたことに感嘆の声を上げるとともに、すっかり大名気分に浸っている。
「そうしたらマレーシアでは、経済の部門では、経済計画関係(首相府)の責任者がすぐでてくる。それからマハティール首相の直結の戦略国際問題研究所といういわば大戦略をたてるところがあるのですけれど、そこでは所長さんがでてきて対応してくれました。外務省では、おそらく外務省のお役人でいちばんの中心人物と思われる人がマレーシアの政策を説明して、夜は、副大臣という議員の方が、選挙区から飛んできて、歓迎の宴を開いてくれて、そこに日本の大使館へも招待があって出席してくるという、それぞれの分野のベストで対応してくれました」(不破インタビュー)。
「先方の対応も、たとえば首相府経済計画庁は計画をたてるだけでなく、予算の配分や調整についても権限をもっているという経済の要(かなめ)になるところで、その責任者が出てきてくれる。戦略国際問題研究所は、マハティール首相の提唱で設立された政府のシンクタンクで、今まで日本から超党派の国会議員訪問団がいったときにはそのなかの日本所長が会ったんですが、今回は全体の所長が出てきて対応する。外務省も外務大臣がアメリカにいっているもとで副大臣が夕食会に招待するという形で、各分野の第一級の人たちが対応してくれました」(浜野発言)。
「ラザクさんといって、日本でいえば外務省の総括審議官にあたると日本公使が説明していましたが、官僚のトップですね。彼が外務省でわれわれを迎えたときに、『日本共産党中央委員会幹部会委員長の、そして衆議院議員の不破哲三閣下を団長とする日本共産党代表団をマレーシア外務省を代表して歓迎します』とのべたんです。それを聞いたときに、力がすうっと抜けるような気がしたんです。新しい外交の第一歩ということを劇的に示すような言葉なんですね」(緒方発言)。
所長に大臣に副大臣に官僚のトップ…、何という俗物根性だろうか。さらには「閣下」と呼ばれて喜ぶとは! だが、彼らがこれほどまでに丁重に対応されたのはなぜだろうか? 共産党だからか? まさか! マレーシアもシンガポールも共産党を弾圧してきた国である。ではなぜか? その理由は簡単である。その代表団が、日本というアジア最大の経済大国、世界最大のアジア投資国、アジアに進出している巨大多国籍企業の祖国から来たからである。つまり、共産党といえども、帝国主義国の有力政党だからこそ、VIP扱いされたのである。まともな共産党員なら、これらの国々の「第一級の人たち」がわざわざ出てきたことに、ある種の羞恥を感じてもおかしくないはずである。だが、自らの帝国主義的地位に何らの負い目も持たないわが党代表団は、「第一級の人たち」の対応にただ目じりを下げるだけである。
そして、具体的な話になると、これまでの民族差別政策や労働者に対する容赦のない首切り政策は、美談と化し、あるいは、単なる国内問題として片づけられる。
「マレーシアは、『マレー系が6、中国系が3、インド系が1』という民族構成で、しかも少数である中国系が経済的には圧倒的な力を占めていて、そのもとで民族間のバランスをとった発展ということが難しい課題だったんです。69年に5・13事件という、華僑系を中心とした暴動が2週間も続くという事件もあって、民族融和ということに大変苦労してきたわけです。不破委員長は出かける前に各国・地域の問題を相当研究していて、外務副大臣主催の夕食会の席で、『そういう苦労を経てきたことがいま外交に生きているでしょう』といったんですよ。その言葉に副大臣もそうだけど、ぼくの隣にいたラザク氏がえらく感動して、『われわれのことをこれだけわかってくれる友人というのはすばらしい』とのべたんです」(緒方発言)。
「タトキン会長(シンガポール・日本友好議員連盟会長)は、その四つの法律を説明するときに、『これには日本共産党は反対されるでしょうけれども』といって、『雇用法』――労働者の首を切ることがかなり自由にできるような法律ですが――を遠慮がちに説明しました。そのときに、委員長が『日本共産党はシンガポールで活動している党ではありません。だから、あなたがたの国会が決めたことについてはとやかくいいませんよ』というと、ほっと打ち解けて、その後の話がすすむという感じでしたね」(浜野発言)。
労働者の自由首切り法を、「あなた方の国会が決めたこと」だから「とやかくいわない」とは、何という無責任な発言だろうか。シンガポール当局者でさえ言いはばかるような法律に対する何という寛容さ。この問題発言に対する緒方参院議員の賛辞にも驚かされる。
「委員長は、『内政不干渉』の原則を、そうやってわかりやすく説明したわけですよね。あとで、同席した議員が、ぼくに『委員長は大事なことをユーモアをまじえていわれた。なんと度量があるんだろう』というんです。非難されると思ったのに、そういう対応だったということで、この人たちとはつきあえると思ったようです」(緒方発言)。
「内政不干渉の原則」? いや、不破代表団は、これらの行為によって、マレーシアとシンガポールの内政に干渉したのである。なぜなら、これらの国々で労働者の権利のため、人民の民主主義のため闘っている人々に取り返しのつかない打撃を与えたからである。かつて共産党は、ソ連や中国の共産党幹部が日本に来て、日本政府に対する賛辞を振りまくことを、許しがたい内政干渉として厳しく批判した。同じことをいま不破指導部は東南アジアの人民に対して行なっているのである。
想像してみよう。もし日本で治安維持法のようなものが可決され、共産党が非合法化されたときに、他国の共産党の代表団がやってきて、日本政府の高官となごやかに会見し、政府をほめたたえ、国内の反動政策については「あなた方の国会が決めたことだからとやかく言わない」などとスマイルを浮かべながら言ったとしたら、どうだろう。このような行為が、日本の民主主義運動に大きな打撃を与えることになるのは、明らかではなかろうか?
代表団メンバーは、マハティール政権が、経済危機の際にIMFの干渉をはねのけて経済再建したことを褒めちぎる。だがこれは、基本的には、ブルジョア開発独裁国家の単なる政策的選択肢の一つにすぎない。IMFに頼って経済再建できるならそうしただろうし、あるいは、国民経済に対する政権の支配力確保を優先させたければ、IMF路線は拒否されるだろう。マハティール政権は後者の道を選んだにすぎない。いずれにせよ、マハティール政権は経済の自由化や多国籍企業の支配に反対ではない。労働者の中も最も弱い部分の犠牲の上に立って、経済再建が進められ、それは一定の成果をたしかに出している。だが、それがどうして共産党にとって評価するべき対象になるのか、われわれにはわからない。
相手国に対する賛辞も相当なものだが、自画自賛も負けていない。
「ぐっと相手のふところに入って一致点を広げていくという点では、まさに一級の外交官(笑い)というか、委員長が先頭にたって、外交を切り開いていくのを目の当たりにした思いですね」(浜野発言)。
「委員長の話はたんに共感をえたというのではなくて、相手を感動させたんですよ。こうして友好関係の道を切り開いたという感じですね」(緒方発言)。
「ジャウハル所長は、それまでも何度も何度もうなずきながら不破さんの話をきいていて、あ、わかり合えているな、と思っていたんですが、あの発言が飛び出したときには、すごい! と思って。あらためて、どんな立場の人とも対話が成り立つわが党の路線に確信をもちました」(大内田発言)。
相手がやっている反動的政策や思想を美化し、あるいは国内問題として不問にするならば、たしかに「どんな立場の人とも対話が成り立つ」であろう。だがそのような「路線」は普通、「無節操」とか「無原則」というのではなかろうか?
マレーシア編の座談会の最後の方で、西口国際局長は、こう発言している。
「あそこは『開発独裁国家』だというような報道があるんだけれど、もっと研究する必要があると痛感しました」。
マレーシアが開発独裁国家でないならば、いったいどこが開発独裁国家だというのか?
まさに唖然とさせられる発言のオンパレードだが、これらの発言に一貫して流れているのは、自国の帝国主義的地位に対する無関心さと、その裏腹の関係として、自らが帝国主義的に振舞っていることに対する極端な鈍感さである。党指導部の言う「アジア重視」「野党外交」とは、まさに野党レベルで帝国主義的傲慢さを再演することでしかなかったと言わざるをえない。
このような無原則的「野党外交」の背景にあるのは、「21世紀の政権党」をめざす不破指導部の無原則的な政権戦略である。今回の「外交」政策は、日和見主義的な「国内」政策の延長にすぎない。有事立法を認め改憲をもめざす民主党とさえ手を組んで政権につきたいと願っている不破指導部は、政権についた暁には、アジアのブルジョア独裁国家との友好を深めることで「独自性」を発揮したいと思っている。したがって、今回の東南アジア歴訪において、アジアの民衆との連帯ではなく、アジアの政権与党や政府そのものとの連帯ばかりが追求されたのは、けっして偶然ではないのである。
不破指導部は、今回の東南アジア歴訪によって、その右傾化と変質の過程をさらに大きく1歩進めた。われわれは、このような党指導部の態度に深い憂慮を感じないわけにはいかない。