革新知事誕生への現実性にともない、革新候補の「現実主義」の問題も今回、あらたに浮上する選挙となった。大阪の府知事選挙としては、はじめて「民主府政」という用語に表現が統一された。従来、革新陣営が「民主府政」や「民主市政」と統一的に表現するときは、自民など保守政党・勢力を含めた支持や推薦をとりつけた、党外の候補者など例外的なケースに限定された表現であったが、今回のような明確な革新の候補に対し、あえて「革新府政」という言葉を避け、「民主府政」という言いかえがされたのは、はじめてのことである。
また、告示後のテレビ番組に出演した鯵坂氏は、オリンピック招致の容認や関空二期工事の凍結撤回などの重大問題での政策の変更を、構成団体に図ることなく、いわば一方的に表明した。これらは現在の日本共産党の「無原則的妥協」路線の大阪版であり、運動ではなく迎合による票獲得路線の地方版である。直接には、貴重な地元支援者である『釣りサンデー』会長らが主宰する「オリンピックいらない連」の運動を裏切り、関空工事に反対する地道な住民運動をすすめてきた諸団体を切り捨てると同時に、「明るい革新府政をつくる会」に結集するすべての構成団体・個人を裏切るものであった。
その後、現地に乗り込んだ志位書記局長や不破委員長が、関西空港二期工事が無駄な公共事業の最たるものだと批判することで一定の是正は行なわれたが(ただしオリンピック招致問題については語られなかった)、革新系候補者が一時的であれ関空二期工事を容認するような発言をしたことは、革新の大義を著しく傷つけるものであった。
さらに、自自公相乗りに便乗した民主党についても、「なぜ地方選挙では自自公に手を貸すのか」という「矛盾」を指摘し、厳しく批判することが必要であった。口をつむぎ、大衆運動を萎縮させるような「共闘」路線では、進歩的な方向で政治を本当に動かすことはけっしてできないだろう。
さらに、以上の点に加えて、情勢に機敏かつ的確に反応するすべを阻む障害物として、運動スタイルの官僚化については点検する必要があるだろう。選挙戦といえば、電話かけ、ビラまき、スポット宣伝など、マニュアル的な活動に収斂され、タテ線での「結集」ばかりが強調され、運動の地域性や、自発性、創意や工夫の余地が年々少なくなってきてはいないだろうか。これは、運動体の内部に若い構成員が減ってきていることも原因だろう。創価学会の選挙運動とあまり次元の変わらない、集票マシン的な選挙運動では、得られる支持も、頭打ちになってしまう。党員を疲弊させ、消耗させる選挙戦ではなく、あらゆる知恵や力を結集した生きた選挙戦にしていくことは、指導部だけでなくわれわれ末端の党員も含めた重要な課題といえるだろう。
この点では、『さざ波通信』にも投稿していただいたヒゲ戸田氏が報告している事実は象徴的である。鯵坂候補への支持を公然と打ち出している市民派議員が、選挙戦の手伝いを正式に申し入れているにもかかわらず、党や後援会の側から何ら正式なオファーがなく、せっかくの申し入れは生かされることなく終わった。このような対応にも、硬直した官僚主義の弊害が現れているのではないだろうか。一方では、ブルジョア右派政党である民主党に必要以上に妥協的な態度をとり、他方では左派系の市民派議員に対しては、支援を直接申し入れられてもまともに反応しないというのでは、無党派層との協力・共同といっても掛け声倒れになるだろう。