右傾化と堕落に限界はないのか?――不破指導部の自衛隊活用論の犯罪性

7、すべての党員・支持者へ
 ――今こそ声を上げるべきとき

 すべての党員・支持者のみなさん、不破指導部の右傾化と堕落はいよいよ決定的な段階にさしかかってきている。一昨年の不破政権論の提唱以来、不破指導部がまったく新しい方向性へと足を踏み出したことを私たちは早くから警告してきたが、その警告の正しさが不幸なことに完全に明らかになった。これまでの不破路線に一定の不安を持ちつつも公然と反対意見を述べることを躊躇してきた党員および支持者のみなさんも、今回の不破発言には相当なショックを受けたはずである。今ここで声を上げないとしたら、いったいいつ上げるのか?
 今の共産党はますます、かつての社会党への道を歩んでいる。過去の大会決定をひもとけば、そこで出されている社会党批判の多くがすでに現在、わが党にあてはまることがただちに理解できる。たとえば、社会党が公明党と社公合意を結んだ直後の第15回大会の冒頭発言において、宮本委員長(当時)は、次のように述べて社会党の転落を厳しく断罪している。

第一、もっともかんじんな社公連合政権の基本政策では、国際情勢に変化がないかぎり日米軍事同盟は必要だとする公明党の従来の見地への屈服がはっきりとつらぬかれています。憲法違反、対米従属の軍隊である自衛隊についても、「当面、シビリアンコントロールを強化する」ということで、その存在を認める合意が導入されていることも隠しようがありません。当面の政権構想で自民党が最も重視する基本問題でこういう態度をとっている以上、わが国の保守、革新の2つの道の対決のなかで、社会党が現状容認の保守の側に重心を移したことは否定しようもありません。(『前衛臨時増刊 日本共産党第15回大会特集』、21~22頁)

 この時点の社会党が、綱領で安保廃棄、自衛隊解散の路線を堅持していたことを指摘しておこう。つまり宮本委員長は、社会党が安保条約と自衛隊の「当面存続」論をとったことをもって、「社会党が現状容認の保守の側に重心を移した」と断罪したのである。ちなみに、社公合意後の社会党大会でも、安保廃棄と自衛隊解散の基本路線そのものの堅持は確認された。それに対して、宮本委員長は、次のような容赦のない批判を加えている。

社会党大会の修正点として「基本路線は変更するものではない」とか「保革連合」に組みせずという文句がくわえられても、修正提案者たちの意図はともかく、反共親自民連合路線の社公合意そのものはまったく無傷で、満場一致承認されたことが、社会党がたどり着いた事態の深刻さを物語っているものです。(同、22頁)

 おそらく、次に開かれるわが党の党大会でも、満場一致でこの間の連合政権路線が承認されるだろう。修正さえなされないだろう。そしてそれは、共産党が「たどり着いた事態の深刻さ」をはるかにはっきりと物語るものになるであろう。
 さらに宮本委員長はあたかも、将来の不破政権論を念頭においているかのごとく、次のように批判している。

これが、「よりましな政府」どころか、「よりましでない政権構想」、あるいは「より悪い政権構想」であることは、論理的にまことに明りょうです。(同、22頁)

 このときの社公合意においては、将来の安保廃棄も自衛隊解散も否定されていなかった。あくまでも「当面存続論」であった。また合意の相手である公明党も、現在の民主党ほどはっきりとした安保・自衛隊肯定派ではなかった。このような政権構想でさえ「より悪い政権構想」ならば、現在、不破指導部が追求している政権構想はいったいどうなるのだろうか? 現在の政権論が「暫定」であるのに対し、社公合意が長期の政権構想だという言い訳は成り立たない。社公合意も80年代前半だけの暫定的なものだった。つまりせいぜい向こう5年程度の構想であった。一方、不破指導部が追求している暫定連合政権は、少なくとも公共事業の削減という実績を上げるためには、最低でも4~5年は存続しなければ意味がない。どちらも、念頭に置かれている期間は同じである。
 宮本委員長はさらに社会党に見切りをつけるような発言さえ行なっている。

今日、この転換にふみきった社会党について、なんらかのまともな期待を現在もつことは、日本の真の革新勢力の前進にとっても、国際的にも、不毛の混乱をもたらすだけです。……社会党はすでに右転落してしまったのです。現在、この冷厳な事実から出発して日本の革新の課題をあらためて展望することが必要になっています(「そうだ」の声)(同、26~27頁)

 私たちはもちろん、この時点で社会党に対しこのような「見切りをつける」宣告をしたことは行きすぎであり、時期尚早の死亡宣告であったと考えている。しかし、このときの社公合意がその後の社会党の完全な右転落への重大な一歩になったことは間違いのない事実である。そして、今また共産党も、この社公合意に匹敵する、いやそれを凌駕する「右転落」をしつつあると言えるのではないだろうか。
 この社公合意は結局実を結ばなかった。なぜなら、その後も野党の連合政権は実現しなかったからである。だが、それから13年後の1993年についに野党の連合政権が実現したとき、社会党は政権入りを果たし、かくして、護憲・革新政党として役割を最終的に放棄した。社公合意から革新政党としての崩壊まで13年がかかった。共産党の場合は、このまま推移するかぎり、そんなに長くはかからないだろう。なぜなら、社会党の場合には、左に共産党が存在し、それが社会党の右傾化に対する重大な歯止めになっていたからである。また、当時は、保守化が進んでいたとはいえ、それでもなお革新の陣地ははるかに強固だった。しかし、今では、社会党は崩壊し、共産党の左には国会に議席を持った政党は一つも存在せず、そして社会の右傾化は当時と比べものにならないほど進んでいる。このまま党員が今の路線を黙って容認しているかぎり、共産党の完全な右転落までに13年の半分、いや4分の1も必要としないだろう。あるいは、今回の総選挙で本当に野党連合政権が成立した場合には、13年どころか、1年以内に完全な右転落が実現するだろう。
 同じ第15回大会で不破書記局長(当時)は決議に関する報告を行なっているが、その中で不破氏は次のように述べている。

とくに社会党が、今回の社公合意で、安保条約と自衛隊の問題でその現状を肯定する当面存続論に合意したことは、社会党が「護憲・民主・中立」の旗をひきおろしたことと同じであります。80年代を迎え、日米軍事同盟の強化と日本軍国主義の復活がもっとも重大かつ危険な局面を迎えているときに、社会党が、ほかならぬ安保・自衛隊で体制擁護路線への右転換をおこなったことは、今回の社会党の選択の反革新的性格をもっとも鮮明にうきぼりにしたものです。(同、94頁)

 2000年を迎えた今日、当時と比べものにならないほど日米軍事同盟は強化され、当時と比べものにならないほど日本軍国主義と日本帝国主義の復活が重大で危険な局面を迎え、憲法改悪さえ日程に上っている。この重大なときに共産党が、他ならぬ安保・自衛隊の問題で体制擁護路線への右転換をしたことは、どれほど強調しても強調しすぎることのない歴史的悲劇である。
 党員と支持者のみなさん、あなたが方の発言と行動に、共産党の運命だけでなく、日本の護憲・革新運動全体の運命がかかっている。今こそ勇気を出して声を上げるときである。

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