朝日の記事に対する赤旗の弁明は、自衛隊問題のみに絞られており、天皇問題についてはまったく何の言及もされていない。ということは、この問題に関する朝日記事には、とくに問題にすべき点はなかったということであろう。
不破委員長はこの中で、天皇が「お言葉」を述べる国会の開会式について、従来の欠席という態度をひるがえして、「暫定政権の協議事項」だと述べ、開会式を欠席してきたことについて、「天皇の存在を認めないからではない。開会式で天皇が言葉を述べるのは国事行為ではなく、戦前の遺制だ。こういう点で疑義がある」と述べている。自衛隊問題のみならず、天皇問題でもこの間の不破指導部の右傾化ははなはだしいが、国会開会式に対するこの新しい立場は、この間の右傾化の新たな段階を画するものである。
さらに、不破委員長は最近、事実上、天皇制を容認する発言さえしている。この傾向はすでに『新日本共産党宣言』でもはっきりと見られたし、このインタビュー自体にも「天皇の存在を認めないからではない」という文言が見られるが、最も明確な形で言われたのは、6月12日に行なわれた7党党首討論会においてである。その中で次のようなやりとりがなされた。6月13日付の赤旗記事から引用しておく。
討論のなかで、扇氏が、不破氏にたいし、憲法、天皇制についてつぎのように質問しました。「不破さんが護憲であるとさっきおっしゃいました。少なくとも憲法には象徴天皇と書いてあるわけで、天皇制の問題にたいして共産党は、どういう態度をおとりになるのかなと。このあいだ小渕前総理の合同葬のときに、天皇家のご参拝のときに、全員起立とおっしゃって、不破さんだけが席をお立ちになりませんでした。わたしはそのことにかんしても、憲法を守るといいながら、その天皇のことにたいしては、そういう態度をおとりになるというのは国民が大変不安になると思うんですね」。これにたいして、不破氏はつぎのように答えました。
不破 私たちが「憲法を守る」というときには、天皇にかんする条項を含めて、「憲法のすべての条項を守る」です。ですから、天皇の関係も、憲法上の地位、そしてそれによって国政にかかわらないということをきちんと守る限り、共存していくつもりです。
これもまた、これまでの大会決定を蹂躙する爆弾発言である。しかもこれを報道する赤旗の記事は、これを問題発言ととらえるどころか、よくぞ言ってくれたと言わんばかりの紹介の仕方をしている。
「私たちが憲法を守るというときには、天皇にかんする条項を含めて、すべての条項を守るということだ」――日本共産党の不破委員長は7党党首討論会で、保守党・扇党首から憲法問題について質問をうけ、こう明快に答えました。
不破委員長は憲法全体を守るときっぱりのべたあとで、天皇制との関係についても、「(天皇は)国政にかかわらないという憲法上の地位をきちんと守る限り共存していくつもり」とのべました
たしかに「明快」で「きっぱり」している。だが、それは「明快に」「きっぱり」と、これまでの共産党の立場を否定するものである。これまで共産党は一貫して、「憲法の平和的・民主的条項を守る」と言ってきたであって、けっして、天皇条項を守るとは言ってこなかった。当たり前の話である。綱領に「君主制を廃止し」とあるのだから、もし憲法の天皇条項を守るつもりなら、綱領を改正しなければならなくなる。たとえば、第12回党大会の決定(上田報告)では次のようにはっきりと天皇条項が否定されている。
当時[憲法制定のころ]、より徹底した民主主義的憲法をめざして奮闘したわが党が、現行憲法の平和的民主的条項を積極的に評価するとともに、反動的な天皇条項をのこし、反戦平和と主権擁護、民主主義の点で不徹底な面をもつ現行憲法を無上のものとして絶対視する態度をとっていないのは、当然のことです。
主権在民を真に徹底する立場から「君主制を廃止し、反動的国家機構を根本的に変革して人民共和国をつくり、名実ともに国会を国の最高機関とする人民の民主主義国家体制を確立する」ことを綱領に明記している党として、わが党が天皇条項を支持できないのはあきらかです。
この立場はその後も一貫して貫かれており、憲法擁護の対象はあくまでも、平和的・民主的条項に限られていた。たとえば、第20回党大会決議には次のように書かれている。
恒久平和主義、国民主権と国家主権、基本的人権、議会制民主主義、地方自治などの憲法の平和的・民主的原則は、数千万人もの血の犠牲をふまえた第2次世界大戦の歴史的教訓を基礎においたものである。これを「時代遅れ」とするのは、人類史の発展の行程を無視した暴論である。それは、戦後半世紀をへてもなお、こんごとも継承・発展させるべき、人類にとっての普遍的価値にたったものである。
同じ大会の不破報告でも、次のように言われている。
わが党以外のすべての政党が、さまざまな形での改憲策動の波のなかにまきこまれ、あるいはそれを積極的に推進しているもとで、憲法の平和的・民主的原則の擁護・徹底の旗を高だかとかかげる党は、日本共産党だけとなっています。
第21回党大会においても同様である。その決議の第2章には次のように書いてある。
憲法にきざまれた5つの進歩的原則――国民主権と国家主権、恒久平和主義、基本的人権、議会制民主主義、地方自治は、21世紀の日本の指針として、将来にわたって擁護、発展させるべき、先駆的なものである。改憲勢力は、「憲法は古くなった」というが、憲法の進歩的原則にそむく政治をすすめてきた自民党政治こそ、今日の時代に対応できない古い枠組みになっているのである。日本共産党は、憲法改悪と軍国主義の全面復活のくわだてを阻止し、憲法の平和的・民主的原則の完全実施をめざす、広大な国民的共同戦線をつくりあげるために全力をつくす。
この立場はごく最近の文献を見ても一貫している。たとえば、今年5月3日の憲法記念日に発表された志位書記局長の談話において、次のように述べられている。
日本共産党は、憲法5原則――国民主権と国家主権、恒久平和主義、基本的人権、議会制民主主義、地方自治を、将来にわたって擁護し、その完全実施をはかることを、いっかんして主張してきた。
この道は、わが党が21世紀にめざす民主日本への改革の道と、重なり合うものである。国民の暮らしを守るルールをつくる、公共事業中心の逆立ちした税金の使い方をあらためる、軍事優先から平和優先に外交をきりかえる、安保をなくして真に独立した日本をつくる――わが党が提唱しているこれらの改革の方向は、“憲法5原則を生かした国づくり”といいかえることができる。
このように、共産党は一貫して、「憲法の平和的・民主的原則」、より具体的には「国民主権と国家主権、恒久平和主義、基本的人権、議会制民主主義、地方自治」の「憲法5原則」の擁護を主張してきたのであって、天皇条項の擁護についてはこれまでただの一度も言ったことはなかった。したがって、6月12日の党首討論会における不破委員長の発言は、党のこれまでの基本路線を根本的に覆すものである。
この間、不破委員長や赤旗記事は、「未来永劫、こういう制度が続くとは思っていない」とか、「いずれ将来において、その是非が国民によって問われるときが来る」などといった議論をして、こうした路線転換を取り繕うとしている。たとえば、ここで取り上げた7党首討論会でも、不破委員長は次のように述べている。
やはり、21世紀の日本の将来を考えたときに、日本がこういう状態のままで永久にあるというふうには考えていません。
また、総選挙の政見放送の中で、志位書記局長は次のように述べている。
私たちは、この制度も未来永劫つづくとは考えていません。未来の展望としては、やはり、この制度の是非も問題になる時期がくるだろうというのは、ごく常識的な考え方ではないでしょうか。
しかし、天皇擁護論者とて、「未来永劫」ないし「永久に」この制度が続くと思っているかどうかは疑わしい。そもそも、「未来永劫」ないし「永久に」続くような社会制度がこの世に存在するということ自体、ありえない話である。たとえば、議会制民主主義を支持する人でも、「その制度が未来永劫続くと思うか」と聞かれれば、「未来永劫続く」などとは断言できないだろう。そんなことはわからないし、答えようもない。
「未来永劫つづくかどうか」などという形而上学的問題が問われているのではなく、日本の進歩的・民主主義発展を追求する政党が、この制度の最終的な廃止に向けて努力するのか否かである。そして共産党の綱領は、共産党自身が、このような制度の廃止に向けて努力することをうたっているのである。実際に廃止できるかどうかは、基本的には力関係によっているので、綱領はその実現を民主主義革命政府の任務としている。しかし、民主主義革命政府の任務であるということは当然、そうした課題の実現に向けて日常的に努力することを意味する。党指導部は常日頃から、「一歩一歩目標に近づく」と言っているのではなかったか? それとも、ただ漫然と天皇制と「共存」しているだけで、天皇制廃止の世論が自然に高まり、突如として天皇制廃止の条件が成熟するとでも言うのだろうか? いや、そんなことはありえない。
共産党指導部が天皇制との「共存」を言えば言うほど、世論の中の天皇制肯定の意見はますます強まり、ますます確固たるものになるだろう。共産党でさえああ言っているのだから、天皇制はいいものに違いない――こう世論は思うだろう。まさに現在の党指導部の態度こそが、天皇制をかぎりなく「永久」のものにする後押しをしているのである。
かくして不破指導部は、一方では、憲法の民主的・平和的条項と真っ向から矛盾する天皇条項を擁護する立場を打ち出し、他方では、憲法の民主的・平和的条項の要である憲法9条に関して、自衛隊の活用を認めるという決定的な「後むきの跳躍」を果たした。天皇条項を認めて、9条を蹂躙する、これが現在の不破指導部の「護憲論」である。この「護憲」なるものが、改憲勢力への事実上の屈服でなくて何だというのか?