この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
6月16日に前天皇裕仁の妻(「皇太后」)が死去したことに対し、驚くべきことに、共産党の不破委員長は次のような弔意を表明した。
私は、皇太后の死去にあたり、同じ社会と歴史を生きてきた一人の人間として、弔意を表するものです。
これはおそらく、皇族の死に際して共産党幹部が公式に弔意を表明した歴史上最初のものであると思われる。これは、この間の右傾化路線の一つの典型的な現われであり、天皇制への屈服のさらなる一歩である。今から12年前に裕仁が死んだとき、共産党は戦争犯罪を追及する大キャンペーンを展開し、また全国的にも弔意押しつけの策動と勇敢に闘った。各地で党員たちは、無党派および他党派の人々とも協力して、日の丸掲揚の策動と闘い、時にその闘いは実力闘争の様相さえ帯びた。もちろん、今回死去したのは、戦争犯罪の最高責任者そのものではないので(ただし戦争責任がないわけではない)、天皇の死の時とまったく同じ対応が求められるわけではない。しかし、それでも、共産党以外のすべての政党がうやうやしく厳かに弔意を表する中で、共産党だけがいかなる弔意も表さないという断固たる態度をとっていたとすれば、そして、「皇太后」の死を利用した「日の丸・君が代」の押しつけ策動や、天皇制美化の策動に対してきっぱりとした警告を発していたとすれば、それは、天皇制と国民との一体性という神話に風穴を開けることができただけでなく、共産党の歴史においても新たな誇るべき一頁を刻むことができたろう。だが、実際に不破指導部がやったことはそれと正反対のことだった。
今回の弔意の内容を見ると、天皇制への屈服がまだ「恐る恐る」のものであることがわかる。他の政党が、社民党を含めて、実にうやうやしい長文の弔意を表明している中で、不破委員長の弔意は、意味の曖昧なごく短いものにとどまっている。これは、何はともあれ弔意を出すことで、天皇制擁護勢力による攻撃を避けたいという政治的臆病さと大勢迎合の現われであるとともに、他の政党ほどはあからさまに天皇制に屈服することはできないという、ささやかな抵抗の現われでもあろう。だが、この「抵抗」が「ひざまずいたままの抵抗」であるのは、明らかである。
いったい「同じ社会と歴史を生きてきた一人の人間として」とはどういうことだろうか? 「皇太后」を含めて皇族たちが歩んできた歴史、彼らが属してきた社会と、共産党を含む一般人民が歩んできた歴史、彼らが属してきた社会とは、まったく異なる2つの歴史、2つの社会である。皇族が栄耀栄華をきわめていたときに、人民は飢えで苦しんできた。天皇が神格化され、侵略戦争を推進していたときに、一般人民は警察的専制のもとに置かれ、侵略戦争に駆り立てられていた。皇族が、乗馬や晩餐会に興じていたときに、人民は空襲に逃げ惑い、戦地で飢え死にしていた。皇族が軍部からのニセの戦果報告に有頂天になっているとき、共産党員は拷問され、獄中で呻吟していた。これが、現実の歴史、現実の社会である。にもかかわらず、「同じ社会と歴史を生きてきた一人の人間として」弔意を表するということは、この天皇と一般民衆との間にある根本的な差別、根本的な対立を抹消し、あたかも単一の国民の歴史、社会を皇族と一般民衆とが共有しているかのような幻想を振りまくことを意味する。
また、天皇制の歴史は、対外侵略や国内での外国人差別と不可分であった。「日本国民」という位相においてさえ同一の歴史を語ることはできないが、それ以上に、外国や外国人を含む人類史においては、「同一の歴史」について語ることはできない。
今回の弔意は、不破指導部による新たな裏切りの一打である。それは、保守票獲得の思惑と引き換えに、最も活動的な党員の士気をそぎ、護憲・革新層の政治的幻滅をもたらし、天皇制強化に貢献するものである。これによって、綱領が掲げる「君主制の廃止」は、また一歩遠のいた(しかもそれは何という大きな一歩であることか!)。不破指導部はこの間、綱領に掲げる諸目標から一歩一歩遠ざかるためにあらゆることをしてきたが、今回の弔意もまたその一つである。私たちは今回の弔意を厳しく糾弾するとともに、その撤回を要求するものである。
P・S 6月20日付『朝日新聞』朝刊は、さらに衝撃的な事実を報道した。その記事を以下に全文引用する。
参院議院運営委員会は19日の理事会で、皇太后さまへの弔詞文を、共産党を含む全会一致で決定した。共産党はこれまで皇族への弔詞文の議決に反対してきた。今回の対応について「今の憲法を守る限り天皇制と共存していく立場であり、象徴天皇制も国の機構だ。それを担う方が亡くなられたので、当然弔意を表す意味で賛成した」(志位和夫書記局長)としている。 共産党は昭和天皇が亡くなった際、「院議で弔詞を『奉呈』することは旧大日本帝国憲法を踏襲する慣例で、憲法の主権在民の原則に背く」として弔詞文の起草委員会設置に反対し、本会議での議決にも欠席した。この時の対応については「昭和天皇の場合は戦争責任の問題があった」(志位氏)としている。
これは、ドイツ社会民主党が第1次世界大戦のときに軍事公債に賛成したのと同類のあからさまな裏切りであり、天皇制への屈服である。志位書記局長の説明は支離滅裂であり、今回の裏切り行為を何ら正当化するものではない。まず第1に、共産党はこれまで昭和天皇のときだけでなく、すべての皇族の死に際して弔詞文の議決に反対してきた。反対の理由は、戦争責任があるからではなく、主権在民の原則に反するからである。弔詞は何ら憲法で定められた行為ではない。護憲を言いながら、憲法に反する弔詞に賛成するのはいったいどういうわけか? 第2に、裕仁の妻に、裕仁と同じ程度の戦争責任があるわけではないにしろ、戦争の最高責任者の妻として、その地位に応じた戦争責任が問われるべきである。一般の兵士ですら戦争責任を問われているというのに、戦争の最高責任者の妻にあたかも何の戦争責任もないかのように言うのは、国民をだますことである。
今回の行動は、あれこれのインタビューでの一部幹部の暴言という水準をはるかに越えた、党としての正式の行動である。この行動は、まさに不破指導部の「右傾化と堕落」に限界がないことを改めてはっきりと示した。私たちはこの裏切りを断固糾弾する。