この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
『月刊現代』10月号に、金子満広副委員長の二男である「金子広美」氏による手記(「さらば日本共産党、そして親父へ」)が掲載された。われわれは『さざ波通信』上でこの「手記」を厳しく批判することを決めていたが、その前に『しんぶん赤旗』(9月14日付)に、「手記」の背後にある事実関係を暴露する記事が掲載された。記事は、この「手記」について、「父親が党の幹部であることを唯一の看板にして、マスコミに日本共産党攻撃を売り込もうなどというのは、卑劣のきわみというべき」と断罪している。われわれもその評価は正当であると考える。
しかし、記事では「そこで党批判として書かれていることは、すべて他人の借り物の議論ばかり」とし、「手記」の政治的問題点(日本共産党攻撃)については具体的に触れていない。それゆえ、ここでは「広美」氏の政治的主張を批判的に検討しておきたい。
「広美」氏は、「手記」のはじめの部分で、自ら問題のあった党員であることを認めながら、「いわば共産党の『不良息子』だからこそ理解できた党の矛盾点や末端党員(特に若い世代)の苦悩を踏まえて」総選挙の敗因と党が変わるべき部分を指摘したいとしている。
どれもこれも総選挙の敗因としては表面的なものばかりである。このうち、今回の総選挙の問題として言うことができるのは、3番目くらいであろう。だが、今回の総選挙で大きく票を減らしたのが比例区であったことを想起するならば、これが敗因だとはとても言えまい。
次に「広美」氏は、党の活性化や躍進をさまたげるものとして官僚主義の弊害を指摘する。また彼は、「党名や綱領を変えない限り連立を組む気はない」という鳩山由紀夫の発言を「党以外の支持者や大衆の期待」だとして、今の党にとって「変更があり得ない」ことを否定的にみている。これを官僚主義の弊害の表われだというのである。これもまったく皮相的な見方であろう。鳩山らが共産党の党名や綱領を問題にするとき、それは日本の体制側にとって痛くも痒くもない政党への変身を迫るものなのだということがまるでわかっていない。
このように「広美」氏の総選挙敗因分析は、まったくお話にならない代物であり、彼の親が党の幹部であること以外に、この「手記」の商品価値はない。「反共売文家に転落」したという金子満広氏の指摘はまったく正しい。しかしそんな彼でも、現在の共産党を肯定的に評価しているところがある。非常に示唆的なので引用する。
党中央は最近になってようやく、自衛隊問題、日米安保問題、天皇制の問題などについて若干だが舵を右に切った(もっとも党中央は右旋回したなどとは思っていないが)。しかし現実に即した路線への転換は、若い世代が数年前から主張していたことである。それを古い世代が押さえつけていた側面が確かにあった。
このように、政治をまったく皮相的にしかみることのできない「反共売文家に転落」した元党員によって評価されているのが、自衛隊や安保、天皇制の問題についての党指導部による最近の「右旋回」なのである。このことは、現在の党指導部によって進められている路線が、いったいどのような層によって支えられているのかを如実に示すものである。
また、彼が肯定的に評価する党中央の「右旋回」は、彼の言う党内の若い世代によって推進されたものでもなければ、民主的討議によってすすめられたものでもない。それは、指導部の独走によって進められているものであり、要するに彼自身が問題だとしている官僚主義によってすすめられた「右旋回」なのである。彼は、現在の党指導部による右転換を歓迎する多くの論者と同じく、その右転換に加えて、あと官僚主義や党内民主主義の問題での転換さえすればよいと考えているのだが、その両者が密接に結びついていることがみえないか、あるいはみようとしない。
こうしてみると、「広美」氏の立場は、党中央の「右旋回」に対して外野席から拍手を送り、次は官僚主義をなんとかすればいいんだよ、と独り言を言っている傍観者にすぎないことがわかる。けっして日本の変革のために党の組織路線や政治路線を主体的に変えていこうとする立場ではなく、離党の原因が、まったく個人的な事情によるものであったことをこの「手記」が裏付ける結果になっている。
最後に、「広美」氏は、その「手記」の中で、党が「身びいきで独善的」だという例として、民主団体の経営者の労働条件に問題があっても口を挟まないことをあげている。その上で、「ならば、企業の賃金体系や労働条件にも文句をつけるべきではないのではないか」と言う。この点についてはどう考えるべきか?
まず、民主団体であろうと民間企業であろうと、下からの大衆的な運動や闘争を行ないうる条件があるならば、そうするのが筋である。つまり、この場合は、民主団体の構成員や労組員に訴えるなり、場合によっては公的機関に訴えるなりして、大衆的な闘争でもって解決を図るべきである。
しかし、それらの運動や闘争の有無に関わらず、『しんぶん赤旗』や議会で取り上げ、追及することによって世論を喚起することも場合によってはありうるし、そうしなければならない場合もあろう。
今回の場合は、それが妥当であるがどうかを検討する以前の問題として、「広美」氏が言っているような状況が本当にあったのかどうかが問題となろう。『しんぶん赤旗』の記事では、「広美」氏による「中傷」だと断じている。われわれにはそれを信じる根拠はないが、そうではないにしても、暴露された事実から推測すれば「広美」氏の個人的怨恨による誇張であるかもしれない。
もし、本当にひどい実態があったにもかかわらず、民主経営だからという理由で、共産党(員)がそれを意識的に見逃していたのだとしたら当然批判されてしかるべきだろう。