雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

<雑録―1>外交と自衛隊問題をめぐるさらなる混迷――不破・小沢対談批判

 8月27日に行なわれたサンデー・プロジェクトの不破委員長と小沢一郎自由党党首による対談は、この間の外交・自衛隊問題をめぐる共産党指導部の混迷と右傾化を改めて確認するものとなった。

  自主外交をめぐる2つの道
 まず対談の冒頭で、日本の外交姿勢をめぐるやり取りが行なわれている。自衛隊問題をめぐる歯切れの悪さとは対照的に、不破委員長はこの問題では非常に饒舌であり、日本帝国主義の代弁者である小沢と意気投合している。

 不破 私は、中身の問題なんだけれども、政治も行政も、自民党のもとで戦後同じ弱点を持っていると思う。ひとつは、外交はアメリカまかせ、内政は、財界、大企業の知恵まかせなんです。
 いまの日本の状況を見ますと、二十一世紀というのは外交の時代だと思います、世界政治は。ところが、アメリカまかせの外交をやっているから、どの問題を取っても日本独自の姿勢、独立した自主的な外交姿勢がない。

 田原 具体的にうかがいたい。どこがアメリカまかせですか。

 不破 例えば、いろんな国際紛争が起きてごらんなさい。自主的な見解がないですよ。アメリカがどっかの国に軍隊を出す。聞かれますと、日本政府の談話は、「理由はわからないけれども、理解できる」とかならず答える。

 田原 例えば、コソボの問題でも、湾岸戦争でも。

 不破 だから、大事なことが起きたときに、日本に相談にくる国はないんですよ。湾岸戦争のときには、(アメリカの)ブッシュ大統領が日本にくることになっていた。それを湾岸戦争になったからキャンセルした。

 田原 来なかった。

 不破 来なかったんですよ。

 田原 そうなんですか。小沢さん。

 小沢 いまのお話は、賛成なんですが、外交とか、国際政治とか、すべてアメリカを中心とした国におんぶしているということは事実だと思います。湾岸戦争のとき、戦争がはじまる前夜に政府首脳の会議のなかで「必ず戦争になるから、日本をどうするか意思決定をしておかなければ」という話をしたんですが、そのとき政府は「絶対戦争にはならない」といいつづけたんですよ。朝の八時半に戦争が始まるのに。

 田原 まったく情報が入っていないんだ。

 不破 あのとき、(首相は)海部さんでした。湾岸戦争の対策本部を官邸につくって、情報を集中するっていったんです。終わってから、情報が集まったかって聞いたら、「どこの国からも情報が来ない」っていうんですよ。

 小沢 それは本当なんですよ。絶対に最高の決定は教えない。

 不破 だから、世界政治で存在感がないんですよ。

 さらにこの後も同様に議論がしばらく続く。しかし、こうした議論はきわめて危険である。小沢氏がここで回顧している湾岸戦争のときの政府の無為無策ぶりは、まさに小沢が『日本改造計画』(講談社)の中で、自衛隊の海外派遣を正当化し、日本の帝国主義化(「普通の国」!)に向けた国民の意識改革をかちとるために持ち出しているものである。それにもかかわらず、不破委員長は、こうした議論の危険性にいっさい言及せず、ただ日本外交の自主性のなさという一点だけで、小沢との「統一戦線」(!)を組んでいる。
 日本が対米従属を抜け出し、自主外交を持つということは、それだけではけっして進歩的な事柄ではない。その「自主外交」が、アジアの盟主としての日本帝国主義の利益と結びついている場合には、そのような「自主外交」は、進歩的どころか反動的でさえある。したがって、社会主義政党の党首ならば当然、日本の自主外交が問題にされる場合には、その自主性がいかなる性質の、誰のための、いかなる目的を持ったものなのかを常に問題にしなければならない。すなわち、「自主外交」をめぐる2つの道が常に問題提起され、帝国主義的「自主外交」がきっぱりと拒否されなければならない。あらゆる機会において、日本の帝国主義的外交の危険性を訴えてはじめて、言葉の本来の意味での「啓蒙」が行なわれるのである。

  国連軍への参加
 対談は、北方領土問題や、中国・台湾問題を経て、国連軍への日本の参加問題が話題になっている。その中で次のようなやり取りが行なわれている。

 田原 それは当然だが、国連の安保理でやりましょうとなったときに、日本は参加するのか。

 不破 それは起きるわけがありませんよ。コソボみたいに、安保理常任理事国の関係のないところでも、ああいうアメリカの不法は通らないんですよ。われわれはそういう点で、内政問題だという立場を貫く。

 小沢 ぼくらは、ベトナム(戦争)にはアメリカに何といわれようが参加しません。湾岸(戦争)は国連で決めたので行きます。はっきりしています。

 不破 湾岸は、イラク非難はわれわれは賛成しました。しかし武力行使を急ぎすぎたという批判をしました。

 田原 いよいよ行くという段になって、日本は参加する。

 不破 日本は国連の軍事活動に参加しない、というのがわれわれの立場です。

 田原 なぜ参加しないんですか。

 不破 日本は国際紛争を軍事的なやり方で解決するということを否定する憲法をもっているわけですから。

 田原 いや「国権の発動」としての戦争はしないんですよ。

 不破 「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇または武力の行使」というのは二つの主語なんです。これは「国際紛争を解決する手段としては放棄する」なんです。

 田原 国連軍には参加しない。

 不破 国連がやろうが何しようが、日本の憲法では「武力による威嚇または武力の行使」ということは排除されています。

 このやり取りにおいて、不破氏が、国連軍に参加しない唯一の理由として持ち出しているのは、日本における憲法9条の規定だけである。国連軍に参加することそのものの是非はまったく論じていない。もちろん、憲法9条の規定にもとづくなら、国連軍であろうと地球防衛軍であろうと、日本は参加できない。しかし、これだけが理由なら、国連軍に参加するために憲法を変えるべきだという議論に対抗できない。
 国連、とりわけ安保理事会がけっして超階級的な平和の組織などではなく、全体としてはいくつかの超大国(主に帝国主義国)の共同の利益を守るために存在していること、それが実際に武力行使を決定した場合に、そのような決定がなされなかった場合よりも多くの血が流されたこと(とりわけ湾岸戦争!)、他国の軍隊が(しかも、その派遣国はしばしば、別の地域では同じような侵略行為をしてきたか、あるいはそれを容認している!)紛争当事国に武力介入しても、問題解決になるどころか、いっそう深刻な問題をもたらしていること、等々を具体的に語ることで、国連の錦の御旗があったとしても、その軍隊に参加することは許されないことを言う必要があった。そして、憲法9条こそが、そうした認識を普遍的なものとして明文化したものであり、したがってそれを擁護して、国連軍に参加しないことが重要なのだと語るべきであった。
 しかし、そもそも日本共産党は、湾岸戦争において、武力行使そのものを否定するのではなく、ただ「早すぎた戦争」としてのみ批判するというスタンスをとった。もし湾岸戦争において武力行使が正しいのなら、なぜそれに日本だけが参加しないで済むのかという問題がただちに提起されることになるだろう。その理由が憲法だけなら、正しい行為に参加できなくしている憲法は変えるべきだ、ということになるだろう。

  自衛隊による祖国防衛
 不破委員長が、選挙前の朝日インタビューで、連合政府(野党連合政府も民主連合政府も)のもと、自衛隊が存在する間は、侵略に対しては自衛隊で対応するのは当然であると発言し、大きな問題となった。この問題については、われわれはすでに、『さざ波通信』第13号の論文「右傾化と堕落に限界はないのか?――不破指導部の自衛隊活用論の犯罪」の中で詳細に批判しておいた。今回の不破・小沢対談においても、曖昧な形とはいえ、やはり有事の際の自衛隊活用論は否定されていない。

 小沢 不破さんがそうだとはいいませんが、そういう議論で憲法を解釈していると、日本の防衛は日本の軍備でやるべきだという議論に発展していくんですよ。どうやって日本を守るのか。

 田原 どうするんですか。

 不破 われわれも自衛の権利は認めています。

 田原 自衛隊は認めるわけですね。

 不破 この憲法のもとではわれわれは自衛隊は認めない。

 田原 もし敵が攻めてきたらどうします。

 不破 そのときは自衛の行動をとります。

 田原 自衛隊がなかったらだれがとりますか。

 不破 必要なありとあらゆる手段を使います。

 田原 どうやって。

 不破 といっても、そのときに、われわれは一遍に自衛隊を解散するつもりはありませんから。そういう状態のないことを見極めながらすすみますから。いまの世界は戦国時代みたいな“切り取り勝手”な時代ではないんですよ。

 そもそも「もし敵が攻めてきたらどうします」という質問自体がナンセンスであり、そのことをまず問題にすべきなのである。日本が帝国主義の一員であるかぎり、日本が軍隊を持たないことで他国によって侵略される危険性よりも、日本が軍隊を持つことで他国を侵略する、あるいは、侵略の片棒を担ぐ可能性のほうが、はるかに高いこと、このことこそが決定的な問題なのである。
 たとえて言えば、凶悪な犯罪歴(2000万人以上の虐殺!)をもった犯罪者が、過去の犯罪に対する真剣な反省もまだしておらず、それどころか、同じような大量虐殺者(アメリカ!)と今なお徒党を組んでいるときに、この犯罪者が、武器を持たないことで誰かに襲撃される危険性があるからといって、この犯罪者に武器を持たせるべきである、ということになるだろうか? 日本が万が一敵に攻め込まれたら、などという理由で日本の武装を正当化するのは、まさに暴力団のメンバーが、他の暴力団メンバーによって襲撃される危険性があるから、彼らに武器の携行を認めるべきだと言うようなものである。普通の常識を持った人間ならば、こう言うだろう。あなたが暴力団員だから襲撃される危険性があるのです。そもそも暴力団を脱退し、本当に更正するなら、誰もあなたを襲いませんよ、と。
 もちろん、暴力団員でなくても、時には犯罪の被害者になるかもしれない。だが、そのようなわずかな可能性を理由に、すべての人は武器を毎日携行して生活しているだろうか? 誰もがそのような形で武器を持って暮らしていることのほうが、犯罪と暴力を誘発する原因になるのではないか。このことは、銃が合法の国アメリカでの銃犯罪が、日本の数千倍多く起きていることで、はっきりと示されている。
 なおいっそう問題なのは、このやり取りの中で不破氏が、「といっても、そのときに、われわれは一遍に自衛隊を解散するつもりはありませんから。そういう状態のないことを見極めながらすすみますから」と言っていることである。これは単に、自衛隊の解散がすぐには行なわれないと言っているだけではなく、侵略の危険性が残っている場合には自衛隊を残し、必要とあらば自衛隊で対処するということを、それとなく示唆するものである。少なくともその可能性は否定されていない。
 いずれにせよ、「そういう状態のないことを見極めながら(自衛隊の解散を)すすめる」ということは、自衛隊が自衛のための軍隊として存在しうるということを承認するものである。自衛隊が自衛のための軍隊ではなく、対米従属下の侵略のための軍隊であることは、綱領や各種の大会決定で確認された決定的に重要な事実である。このことをふまえるなら、今回のような議論など出てくるはずもない。
 また、このような議論は、かつて公明党が70年代末~80年代初頭に繰り返してきた議論の焼き直しにすぎない。すなわち、国際情勢が安定化し、平和になれば、安保や自衛隊を解消するという議論である。このような議論に対して、共産党は当時、これは国際情勢の安定化を口実に、安保・自衛隊問題の解決を永遠に先送りするものだと手厳しい批判を加えた。ところが、今では共産党の党首自身が、国際情勢安定化論を振りまいているのである。抽象的に「侵略の危険性」を言うことはいくらでもできる。まさに、町を歩いていても暴漢に襲われるかもしれない可能性がゼロではないのと同じである。国際情勢が、侵略の可能性を100%なくすまで、自衛隊の解散を先延ばしするという理屈は、結局は、自衛隊の解散を永遠に棚上げすることとほとんど変わらない。

  「自衛のための軍隊」の肯定
 さらに驚くべきは、不破委員長がこの対談の中ではじめてはっきりと、いざという場合に「自衛のための軍隊」をもつことを公言し、それを合憲であると述べていることである。すでに、これまでの『さざ波通信』各号で、自衛隊問題をめぐる不破委員長の勝手な解釈改憲発言を取り上げ批判してきた。しかし、そうした発言の中でも、「自衛のための戦力」「自衛のための軍事力」という言い方がなされてきた。しかし、今回、そのような表現からさらに踏み込んで、「自衛のための軍隊」を非常時には持つことが公言されている。

 田原 自衛力はもつんですね。

 不破 自衛の権利は行使する。

 田原 自衛のための軍隊はもつ。

 不破 いざというときにしかもたない。

 田原 普段からもっていないといざというときにきかない。

 不破 いまの世界は、日本のような国が存在できない世界だとは思っていません。

 このように、田原が「自衛のための軍隊はもつ」と聞いてきたのに答えて、「いざというときにしかもたない」と答えている。しかし、政府自民党でさえ、「自衛のための軍隊」は合憲であるという立場ではない。自衛のためであっても軍隊は憲法違反というのが、政府の公式見解である。自衛隊は、軍隊ではなく、「自衛のための最小限の実力」に過ぎず、それは「自衛力」であって、けっして軍隊ではないというのが、政府自民党の公式見解である。ところが、不破委員長は軽率にも、田原の「自衛のための軍隊」という表現をそのまま受けて「いざいというときにもつ」とあっさり肯定しているのである。
 以上見たように、日本の外交政策、自衛隊の問題、それと憲法との関係、といった重要問題において、不破委員長の混迷と右傾化は、ますます激しくなっている。選挙における敗北にもかかわらず、いったん踏み出した右傾化の道を簡単に逆走できるものではない。必要なのは、下からの広範な批判と、右傾化に対する粘り強い闘いである。

2000/9/13  (S・T)

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