国民主義的改良主義への変質と統制強化の二重奏――規約改定の意味

5、規約前文の削除の意味(3)
 ――「労働者階級の党」と「国民の党」

 今回の改定案において、「前衛」規定の削除とともに、「労働者階級の党」という規定が、「日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」であるという規定に変更されている。次にこの点について検討しよう。

階級性の曖昧化

 この変更について、不破委員長は次のように説明している。

 一つは、「労働者階級の政党」という規定であります。これはもともと、共産党が労働者だけの政党だという意味ではありません。労働者階級がになっている歴史的使命を自分の目標とする政党だというのが本来の意味であります。歴史的使命というのは、科学的社会主義の理論が最初から明らかにしてきましたように、資本主義的搾取をはじめ、あらゆる形態の搾取から人間を解放し、本当の意味での自由な人間社会をめざすことです。社会的にいえばこの仕事の主力をなすのが労働者階級だというのが科学的社会主義の理論の核心の一つであって、「労働者階級の党」というのは、この使命をにない、それを目標とする政党だという意味であります。ですから、党の構成としては、日本共産党の門戸は、日本社会の進歩をめざすすべての人々に開かれているものです。
 また、党自身が、党の課題、任務としても、狭い意味での労働者の利害にとどまらず、民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来の探究という国民的な課題のために力を尽くしてきましたし、政治を変え、社会を変える方法としては、「国民が主人公」の立場、いいかえれば国民多数の支持をえて目標を実現する「多数者革命」の立場を、一貫して貫いてきました。
 わが党が、これまで党の性格として労働者階級の党であると同時に、「真の民族と国民の党」であることを強調してきたのは、この意味であります。

 一見もっともらしい説明であるが、しかしこれは、規約で科学的に正確な言葉で表現すべき内容を、一般向けの便宜的説明で置きかえるものである。現行規約にある「労働者階級の前衛政党」という自己規定は、最初にすでに述べたように、「労働者階級の党」と「前衛政党」という2つに機械的に分離できるものではない。単なる「前衛政党」でもなく、単なる「労働者階級の党」でもなく、「労働者階級の前衛政党」であるからこそ、不破委員長が言うような「資本主義的搾取をはじめ、あらゆる形態の搾取から人間を解放し、本当の意味での自由な人間社会をめざす」という労働者階級の歴史的使命を「にない、それを目標とする」ことができるのである。「労働者階級の党」には、社会民主主義的な改良主義政党もあれば、共産主義政党のような革命政党も存在する。労働者階級は、一個の階級としては不均質な存在であり、その内部には改良主義的・現状維持的傾向もあれば、革命的傾向も存在する。したがって、労働者階級の内部におけるどの傾向を代表するかによって、同じ「労働者階級の党」でも、その性格はまったく異なる。
 さらに、「労働者階級の前衛政党」であるからこそ、ひとり労働者階級のみならず、他の人民諸階級の利益をも擁護することができるのである。「労働者階級の党」といっても、労働者階級の「同業組合的利益」(グラムシ)を優先させて、他の人民諸階級の利益を省みないこともできるし、あるいは、労働者階級の歴史的使命の実現のために、時には労働者階級の直接的な「同業組合的利益」を犠牲にして、階級同盟の形成に尽力することもできる(ヘゲモニー!)。その場合においても、それは単なる譲歩ではなく、あくまでも労働者階級の歴史的使命達成のための「戦術的譲歩」ないし「迂回」であり(ネップ!)、戦略の基本線は労働者階級の自己解放に向けられている。
 共産党がかつて「労働者階級の前衛党」であるとともに、「真の国民の党」という言い方をしていたのは、本来はそうした含意においてである。したがってこれは、党の基本性格を規定する規約において、「労働者階級の党」と「国民の党」とを並列的に並べることをいささかも正当化するものではない。前衛政党でもない「労働者階級の党」が同時に「国民の党」であるという自己規定は、単に、労働者階級の歴史的使命を曖昧にすることに役立つだけであり、労働者階級の「階級的利益」や「歴史的使命」をブルジョアジー込みの「国民」という水で薄めることを意味するだけである。
 このことは、規約改定案で「労働者階級の歴史的使命」という言葉自体がなくなっていることにも示されている。規約改定案で言われている「共同社会」の実現は、いったいどの階級が中心となって、どのようにして行なう事業なのかはまったく不明である。

一国の枠内への閉じこもり

 問題はまだある。「国民の党」という規定は、一見したところ、「労働者階級の党」という規定よりも広いように見える。実際、不破委員長の報告を読んでも、「労働者階級の党」という規定が「国民の党」という規定よりも狭い、ということを前提にしていることは明らかである。だが、これははなはだしい誤りである。本来、「労働者階級」という規定に国境は存在しない。資本によって搾取され、資本のために剰余価値を生産する階級としての労働者は、資本主義が存在するすべての国に普遍的に存在している。また、同じ国であっても、国籍や民族的出自に異なる多様な労働者が同じ資本のもとで働き搾取されている。したがって、「労働者階級の党」という規定は、それ自身、民族や国境の枠を越えた意味を潜在的に持っているのである。そして、「労働者階級の前衛党」という規定の場合には、その「潜在的」意味が、はっきりと顕在化している。なぜなら、「労働者階級の前衛政党」は労働者階級の歴史的使命を任務とするものであり、「労働者階級の歴史的使命」(すなわち労働者階級の解放を通じた全人類の解放)の実現は一国の内部では不可能だからである。
 しかし、マルクスが言っているように、この解放闘争は、形式の上では民族的(国民的)であり、世界同時革命が不可能である以上、歴史的過渡期においては、一国における労働者階級の解放事業が他の国に先んじて、一国内部での権力の移動を引き起こす事態になるのは必然的である。現行規約が「日本の労働者階級の前衛政党」というように「日本の」という形容詞をつけているのは、本来は、そうした世界的な解放運動において、日本の部分に責任を負うという意味にすぎない。しかし、「日本の労働者階級の前衛政党」という規定が、単なる「労働者階級の党」と「国民の党」という並列規定に置きかえられる場合、「労働者階級の党」が持っていた国際的および歴史的広がりは切り捨てられ、一国の枠内に押し込められることになる。
 この点で、この改定は、これまでの規定を規約にわかりやすく表現したという水準を大きく越えて、「共産党」の性格規定を国民主義的なものに大きく変質させるものと言うべきである。

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