国民主義的改良主義への変質と統制強化の二重奏――規約改定の意味

4、規約前文の削除の意味(2)
 ――「前衛政党」はなぜ削除されたか

 次に、この「前衛政党」規定を削除した意味について考えてみたい。これまで共産党が「唯一の前衛党」を自称し、共産主義を標榜する他の党派を「ニセ左翼」であると規定して(そう規定してもいいような党派はたしかに存在するが)、その存在自体を否定的に扱ってきたこと、また、「指導」と称して多くの大衆運動を引き回し、それによってしばしば否定的な結果をもたらしてきたこと、こうした過去の歴史を考えるならば、理屈はどうあれ、今回、「前衛政党」規定を削除したのは積極的なことであると考えてもよさそうに見える。しかし、問題はそんなに単純ではない。
 共産党指導部が今回の規約改定案で「前衛政党」規定を削除したのは、はたして、他の左翼党派を「ニセ左翼」と規定することをやめたり、大衆運動の引き回しを反省したりしているからなのかを、きちんと見定める必要がある。そして、この間の動きは、そのような楽観的見方が誤りであることをはっきりと示している。10月20日付『しんぶん赤旗』に『さざ波通信』のことが取り上げられたことは、すでにトピックスで取り上げたとおりであるが、その中で、記事は、日本革命的共産主義者同盟(『かけはし』グループ。旧第四インター日本支部)を「ニセ『左翼』集団」と規定している。このように、あいかわらず、自党以外の左翼組織を「ニセ左翼」呼ばわりする慣行は何ら改まっていない。
 では、今回、なぜ「前衛党」規定が削除されたのだろうか? われわれは2つの重要な理由が存在すると考える。
 1つは、民主党をはじめとするブルジョア政党とともに政権に参画するうえでこの規定が重大な支障になることである。「前衛」規定はコミンテルン以来の伝統であり、日本共産党がコミンテルン発祥の政党であることを示す最も象徴的な規定である。したがって「前衛」規定の削除は、コミンテルンの伝統から自らを引き離し、「普通の党」として支配階級と世論に認知してもらうためには不可欠の作業である。それはあくまでも、スターリニズムからの脱却を意味するものではなく、ただ革命政党としての伝統を最終的に清算し、ブルジョア的秩序の範囲内に正式に自らを位置づける「みそぎ」にすぎない。このことは、後で見るように、規約の実質がいささかもスターリニズムの核心を否定するものではないことからも明らかである。
 もう1つの重要な理由は、事実上、大衆闘争に対する党としての責任の否定、大衆運動からの召還を意図していることである。前衛政党としての自覚は、大衆運動の指導責任を引き受けることを意味する。たしかに、指導能力がないのに指導しようとして運動を敗北に導く場合や、あるいは誤った指導をする場合、さらには、他党派と不毛なヘゲモニー争いをして運動そのものを衰弱させる場合など、「大衆運動の指導責任を引き受ける」ということには、多くの危険性がつきまとう。このことが理由で、「前衛」規定を削除するべきだという意見は左派の間にも存在しうるし、実際に存在した。しかし、他方では、この「前衛」としての自覚があったがゆえに、何らかの重大な事件や大衆の先鋭な利害が問題になった場合には、共産党は、そうした問題に対して傍観者としてふるまうことなく積極的に関与することを自らに課してきたし、そうしなかった場合には、当然にも下からの、あるいは外部からの批判を浴びることになった。もちろん、その「関与」の仕方は、しばしば横暴で、一面的で、時にはきわめて有害である場合さえあったが、それでも、大衆運動に無関心であってはならない、その先頭に立たなければならないという理念は保持されていた。だからこそ、共産党は、曲がりなりにも、単なる議会政党ではなく、あくまでも下からの大衆運動に立脚した運動政党として存在していたのである。
 「前衛」規定の削除は、実質上、こうした運動政党としての建前を完全に放棄し、純粋な議会政党(「普通の党」)に変質することをいちじるしく促すことになるだろうし、党中央はそのことを明確に意図していると思われる。
 その典型的なケーススタディは「4党合意案」をめぐる国労のこの間の一連の動きである。国労の執行委員会内部には少なからぬ共産党員が存在し、その党員も中心になって、「4党合意案」の受け入れが推進された。すでに『さざ波通信』第14号の論文で指摘したように、この推進策動は、その後、国労闘争団やその支援者の猛烈な反対もあって、スムーズにはいかないことが明らかとなった。さらには、共産党系の労働組合からも、「4党合意案」受け入れに対する強い反発が出された。そうしたなかで、ついに党中央自身が、遅ればせながら「4党合意案」に対する批判的立場を『しんぶん赤旗』で発表するにいたった。それは、はなはだ慎重な言い回しで、恐る恐るといった感じであったが、それでも「4党合意案」の不当性を主張するものであった。少なからぬ人々は、この赤旗論文によって、国労執行委員会内の党員の立場が変わることを期待した。しかし、実際はそのような転換はまったく生じなかった。国労執行部はあいかわらず、組合員一票投票を強引に推進し、数の暴力でもって「4党合意案」を最終的に受け入れさせようとしている。党中央はいったいいかなる指導をしたのか? この疑問に対する回答が、今回の「前衛党」規定の削除である。それは事実上、党員が各大衆団体で、階級的裏切り行為を推進することを黙認するための免罪符になろうとしている。われわれは前衛ではない、大衆運動の指導責任など存在しない、だから、大衆団体の行動はそれ自身の動きにまかせ、われわれは介入しない、と…。
 以上のことを考えるならば、今回の「前衛」規定の削除をけっして手放しで支持することはできないし、ましてやそれを「よりましな改革」として賞賛することなどできないことは明らかである。

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