国民主義的改良主義への変質と統制強化の二重奏――規約改定の意味

6、規約前文の削除の意味(4)
 ――「共産党」であるための必要条件の全消滅

 すでに紹介したように、不破委員長の報告によれば、今回の規約改定案において前文が削除された代わりに、党の基本的な性格規定にかかわるものは第1章にまとめられている。ということは、現行規約の前文に入っている諸項目のうち、規約改定案の第1章に入っていないものは、党の基本性格と関係がないとみなされたことになる。

「共産主義者の党」の消失

 さて、改めて現行規約の前文を見てみると、先の「労働者階級の前衛政党」という規定に続いて、次のような重要な規定が見られる。

 党は、自発的意志にもとづき、自覚的規律でむすばれた共産主義者の、統一された、たたかう組織である。

 これは、日本共産党が「共産党(Communist Party)」と名乗る基本的な理由を示しており、党の基本性格の核心を構成している規定である。「労働者階級の歴史的使命」の実現という規定だけでは、何も「共産党」と名乗る必然性はない。実際、かつて第2インターナショナルの諸政党は、いずれも「労働者階級の歴史的使命」の実現を目指すことをうたっていたが、しかし、けっして「共産党」とは名乗っていなかった。コミンテルンの支部として発足した各国共産党が「社会民主党」や「社会主義党」と名乗らないのは、それが単に「労働者階級の歴史的使命」の実現を目指しているだけでなく、何よりも「共産主義者の、統一された、たたかう組織」だからである。
 したがって、現行規約前文にある「党は、自発的意志にもとづき、自覚的規律でむすばれた共産主義者の、統一された、たたかう組織である」という規定を削除した以上、党名を引き続き「日本共産党」とする理由もまた消失しているのである。
 規約改定案においては、第1条として「党の名称は、日本共産党とする」と規定しておきながら、その名称の理由についてはどこにも説明されていないという奇妙な構成になっている。他方で、規約改定案の第2条では「民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとにその門戸を開いている」と規定している。しかし、この規定と党名とはまったく矛盾している。「共産主義者の党」だからこそ「共産党」なのであり、「民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとにその門戸を開いている」のなら、すなわち、共産主義者でもなければ、社会主義をめざしているわけでもない人々に門戸を開くのなら、その党名はそれにふさわしいものでなければならない。「進歩党」や「独立平和党」といった名称がそれにふさわしいだろう。
 それでいながら、規約改定案は同じ第2条で、「党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする」と規定している。「科学的社会主義」とは、基本的には、マルクス、エンゲルス以来の思想潮流を指す言葉であり、労働者階級による階級闘争と権力獲得、および社会主義革命(一国および世界的な)を通じて、労働者階級の自己解放と全人類の解放をめざす思想および理論である。それを党の「理論的基礎」にするとは、どういうことだろうか? 「民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとにその門戸を開」きつつ、どうして党として「科学的社会主義を理論的な基礎とする」ことができるのだろうか? 
 ここでも矛盾は深刻である。民青同盟のように、社会主義を志向しない単なる民主主義者にも広く門戸を開きつつ、「科学的社会主義を学ぶ」ことはできる。だが、社会主義を志向しない単なる民主主義者に門戸を開きつつ、党として「科学的社会主義を理論的な基礎とする」ことがどうしてできるのだろうか?
 唯一ありうるのは次のような場合だけであろう。すなわち、一方では党の隊列を単なる民主主義者によって肥大させつつ、他方では、科学的社会主義を理解していると思い込んでいる一部の指導者がこれらの党員大衆を一方的に指導するというパターンである。
 つまり、規約改定案は、一方では、「前衛」規定を削除して党と党外大衆との間で「指導」と「被指導」との固定した関係を言葉の上で排除しつつ、党指導部と党員大衆との間では「知の権力」に支えられた「指導」と「被指導」との一方通行的で逆転不可能な固定的関係を構造的に組み込んでいるのである。

「革命」と「共産主義社会」の消失

 「共産主義者の党」という規定が消失したことに対応して、「革命」と「共産主義社会」という言葉もなくなった。規約改定案はその代わり次のような文言を入れている。

終局の目標として、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会の実現をめざす

 問題は、そのような「共同社会」がどのようにして可能になるのか、である。共産党が共産党であるゆえんは、そのような「共同社会」の実現を、労働者階級による権力獲得と社会主義革命を通じて実現しようとする点にある。また、そのような「共同社会」を科学的社会主義は「共産主義社会」と呼ぶからこそ、党名は、「共同社会党」でもなければ「共同党」でもなく「共産党」なのである。
 したがって、「革命」という文言と「共産主義社会」という文言がなくなったことによって、党名の中に含まれている「共産」という言葉は、何とこの規約改定案では、党名を規定した第1条にしか残っていないという奇妙な構成になってしまっている。なぜその党名を採用しているのか、規約のどこを見てもわからない。
 党員からの意見を集めた別刷り『学習党活動版』第1号でも、党名変更について多くの意見が出されている。これらの意見は、基本的には規約の「国民主義的」「改良主義的」改定を支持した上で、それとの整合性を持たせるために党名変更すべきだというものであり、私たちとは反対の立場からの意見であるが、しかし、理論的にはたしかに、こうした修正意見の方が首尾一貫している。

国際主義条項の消失

 規約改定案により消え去った、党の性格規定にかかわる重要な文言は、以上にとどまらない。現行規約の前文(1)の最後の段落にある次のような重要な規定が、規約改定案から取り除かれている。

 党は、「万国の労働者、被抑圧民族団結せよ」の立場および反核・平和、主権擁護の国際連帯の精神をつらぬき、それと真の愛国主義とを統一した自主独立の立場を堅持し、独立、平等、内部問題不干渉、国際連帯の原則にもとづいて、世界の革命運動、世界の労働者階級、被抑圧民族の連帯を発展させるために努力する。

 これは、共産党という政党が、議会内の種々の「国民政党」と異なり、「万国の労働者団結せよ」という国際主義の精神にもとづいて、労働者と被抑圧民族との国際連帯を推進するものであることを高らかに宣言した部分である。この国際主義的条項は、現行規約の制定当初から存在し、1970年の第11回党大会でほぼ現在の形にまとまり、その後若干の変更(「プロレタリア国際主義」という言葉が除かれたり、「反核・平和」という言葉が入ったり、など)を経つつも、今日まで約40年間にわたって継続してきた重要部分である。
 それは、コミンテルンの一支部として発足した共産党のアイデンティティそのものにもかかわっている。共産党はけっして、個々ばらばらに、各民族国家の中から発生したのではなく、最初から国際主義的基盤にもとづいて、世界革命の一翼を各国において担う構成部分として成立したのである。したがって、国際主義条項は、科学的社会主義の基本であるというだけでなく、共産党が共産党である最も重要な根拠を指示するものであったのである。
 ところが、この重要な国際主義条項が今回の規約改定案ではまるまる削除されている。一方では「国民の党」という規定を追加しながら、この国際主義条項を削除したことの意味は、詳しく説明するまでもなく明らかであろう。ますます国際化が進み、一国の進歩や解放が一国だけではますます不可能になっているこの時代において、わが共産党は、その規約からあえて国際主義条項を追い出し、代わりに「国民の党」を宣言するようになったのである。これは、コミンテルンの伝統における最良のものの一つを清算し、後ろ向きの飛躍を遂げるものに他ならない。

 以上見たように、今回の規約改定案においては、共産党が「共産党」 であるための必要な規定がすべて入念に取り除かされている。こうした改定は、指導部自身の改良主義的傾向を規約の文言にまで高めようとしたものであると同時に、共産主義に対する国民の(それと同時に支配層の)反発を回避するためでもあろうが、結局、党名をそのままにしたことで中途半端たらざるをえない。共産主義の負の遺産を誠実に受け止め、その原因を徹底的に解明し、同じ過ちを繰り返さない制度的保障を党の内部に導入すること、これこそが一般民衆の不信感を払拭する唯一の道である。

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