国民主義的改良主義への変質と統制強化の二重奏――規約改定の意味

18、第11章「規律」に見られる改悪(1)――処分の要件点

 共産党員にとって規律は、党員としての運命にかかわる大問題であり、それだけに、これにかかわる規約の条項は安易に改定してはならない。しかし、ここでも、多くの点で重大な改悪を行なっている。

  「規約の精神」に反するだけで処分が可能
 まず、現行規約の第10章「規律」の最初の条項には次のように書かれている。

第65条 すべての党員は、党の規律をかたくまもらなくてはならない。第2条の党員の義務をおこたり、党の統一を破壊し、決定にそむき、党をあざむき、また第3条の党員の権利をおかして、いちじるしく党と人民の利益に反する者は、規律違反として処分される。

 これはどういう党員が規律違反として処分されるのかの要件を述べたものである。そこで挙げられているのは、「第2条の党員の義務をおこたる」「党の統一を破壊する」「決定にそむく」「党をあざむく」「第3条の党員の権利をおかす」「いちじるしく党と人民の利益に反する」の6要件である。これは改定案では次のように「簡潔化」されている。

第48条 党員が規約とその精神に反し、党と国民の利益をいちじるしくそこなうときは規律違反として処分される。

 規律違反として処分の対象とされる要件がいちじるしく「簡潔化」され、きわめて大雑把なものになっている。とくに問題なのは、その「簡潔化」のどさくさに、「規約に反する」ことと並んで、「その精神に反する」ことが処分の要件とされていることである。こんなひどい恣意的な規定ははじめてだ。党員の処分という、党員の地位と名誉にかかわる大問題が、これほどまでに恣意的な用語で規定されるとは!
 「規約に反する」という意味は誰にでも明らかであるし、規約の条文一つ一つに照らして、違反しているかどうかを「法律論的」に検討することは可能である。だが、「規約の精神に反する」などという「精神論」をどうやって、厳格に解釈することができるというのか! このような規定はそれこそ、権力者の側に最大限の恣意性とフリーハンドを保障するものである。
 このような規定を持った法律が日本で制定されることを想像してみるとよい。たとえば、憲法の精神に反する国民は処罰される、という法律ができたとしたらどうなるだろうか? そしてその「精神」について何も規定していないとしたら? このような法律がどうとでも解釈されて、思想弾圧の武器として用いられるのは、火を見るより明らかである。
 「規約の精神に反する」ことを処分の要件にするというのはまさに、「簡潔化」の名を借りたとんでもない大改悪であり、絶対に容認できないものである。

  「国民の利益」
 また、この改定では、「人民の利益」が「国民の利益」に置き換えられている。「人民」という言葉を一掃したのが、今回の規約改定案の特徴の一つでもあるが、ここでの置き換えは、「人民」という言葉に対するプラトニックな執着という水準を越えた重大な問題を持っている。
 「人民」とは、普通、「国民」の中の、被抑圧者、被搾取者の部分を指す言葉である。より簡単に言えば、「国民マイナス支配階級」が「人民」である。共産党は何よりも、労働者階級を中心的構成部分としているこの人民の解放を「党是」としている政党である。したがって、その「人民の利益」を「いちじるしくそこなう」ことが、処分の要件になりうるのである。だが、その「人民」を「国民」に置き換えることは、支配階級を含めた国民の利益を損なったことで、党員が処分の対象にされることを意味する。
 ボリシェヴィキは、第1次世界大戦の際、帝国主義戦争における祖国防衛を拒否することで、支配階級のいう「国民の利益」を大いに損なったが、「人民の利益」は損なわなかった。
 党の政策や大会決議が、「国民の利益を守る」という言い方で「国民」という用語を使うことに、われわれはいちいち目くじらをたてないが、党員の処分という最も重大な権利関係が問題になっているときには、「国民の利益」などという曖昧な表現を用いることは許されない。

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