改悪がなされているのは、処分の要件に関する項目だけではない。処分の内容そのものも、「簡潔化」の名のもとにしっかりと改悪されている。
現行規約では、処分については次のような諸段階が設定されている。
第66条 規律違反の処分は、事実にもとづいて慎重におこなわなくてはならない。
処分は、訓戒、警告、機関活動の停止、機関からの罷免、権利(部分または全面)停止、除名にわける。
機関活動の停止、権利停止の期間は、1年をこえてはならない。権利停止は、機関からの罷免をともなうことができる。
この部分は、改定案では次のように変更されている。
第49条 規律違反の処分は、事実にもとづいて慎重におこなわなくてはならない。
処分は、警告、権利(部分または全面)停止、機関からの罷免、除名にわける。
権利停止の期間は、1年をこえてはならない。機関からの罷免は、権利停止をともなうことができる。
大きな変更点の一つは、現行規約では処分が「訓戒、警告、機関活動の停止、機関からの罷免、権利(部分または全面)停止、除名」の6段階であるのが、改定案では「訓戒」が消えて、「警告」にまとめられ、「機関活動の停止」が「権利停止」まとめられて、全体として4段階になっていることである。この点について不破委員長は次のように説明している。
従来は処分の内容は、訓戒、警告、機関活動の停止、機関からの罷免、権利停止、除名と、6段階になっていました。改定案ではこれを4段階に整理しました。まず、「訓戒」と「警告」とは、言い渡すほうもそれを受けるほうも区別があまり定かでないのです。ですからこれは「警告」一本にする。また、「機関活動の停止」というのは「権利停止」のいわば変形ですから、別個の項目にしないで「権利停止」にふくめました。
こともなげに説明しているが、問題はそう単純ではない。処分というのは、党員の権利に直接かかわる重大なものである。そう簡単にまとめられるものではない。たとえば、刑罰が、従来は罪の重さに応じて、「1年以下の禁固」「3年以下の禁固」「5年以下の禁固」「10年以下の禁固」「無期懲役」「死刑」の6段階に分けられていたのを、「1年以下の禁固」をなくして、「3年以下の禁固」にまとめることが、許されないのと同じである。「訓戒」と「警告」とではまったく重みが違う。柔道でも、「指導」や「注意」と「警告」とではまったく重みが違うのと同じである。「警告」とは文字通り「警告」であって、それ以上の規律違反を犯すと実質的な不利益をこうむる処罰が下るぞ、という意味である。つまり、現行規約では「警告」の上は「機関活動の停止、機関からの罷免、権利停止、除名」というふうに、すべて実質的な不利益措置である。しかし、「訓戒」と「警告」は、それ自体としては、党員に対する不利益をもたらさない。もちろん、キャリアに傷がつくという問題はあるが、それ自体としては不利益措置ではない。
ところが、「訓戒」と「警告」を「まとめる」ことで、不利益をともなわない処分は「警告」だけになってしまっている。これは、明らかに処分の重罰化であり、そのような重罰化が行なわれる場合には、最も慎重な討議と審査が必要になるはずである。ところが、あろうことか不破委員長は、「『訓戒』と『警告』とは、言い渡すほうもそれを受けるほうも区別があまり定かでない」などという、法律論の観点からすれば絶対にありえないナンセンスな理由でもって、あっさりとこの重罰化をやってのけているのである。
反動的政府でも、刑罰の重罰化をやろうとするときには、犯罪が凶悪化している、多発しているなどという「実質的理由」を持ち出すものである。ところが、共産党史上、最も平穏で、除名者がほとんど出ていない状況のもとで、このような重罰化を、「区別が定かではない」という信じがたい理由で強行しようとしているのである。わが党の中央委員会と党大会が、一握りの指導者のどんな提案だって認める用意のある、野党なき国会(いや審議機関)となっている状況だからこそ可能な、とんでもない改悪である。
「機関活動の停止」を「権利停止」に含めるという変更についても同じことが言える。「機関活動の停止」は、たしかに党員の権利の一部を制約するものである。党員の権利を定めた現行規約第3条の3項で、「党内で選挙し、選挙される権利」が保障されている。「機関で活動する」ことは、その機関に選挙される権利の一部を構成する。したがって、その意味で、「機関活動の停止」は、党員に保障されている権利の一部を停止するものである。しかし、それにもかかわらず、現行規約は、「権利停止」と「機関活動の停止」を区別している。それはなぜか? 不破委員長が報告でそうみなしているように、意味のない区別なのか?
いやそうではない。現行規約が言う「権利停止」の「権利」とは、第3条が保障する党員の権利(便宜上、それを「党員の基本権」と呼んでおこう)のことである。したがって、その基本権を停止することは、明らかに処分の中ではきわめて重い処分である。憲法を頂点とする現代国家の法体系においても、国民の基本的人権は厳格に保障されており、その権利を制約したり停止したりすることができるのは、特別な場合だけであり、その要件は最も厳格に規定されている。それに対して「機関活動の停止」は、この党員の基本権から派生してくる権利の停止であり、明らかに、「権利停止」処分よりも軽い。それを分離して処分の比較的低い段階に位置づけることで、現行規約は、「党員の基本権」を曲がりなりにも保障しようとしていることがわかる。
もっとも、実質においては、機関活動家の反党活動のほうが重大なので、そちらを先に活動停止にすることが、党内の権力ヒエラルキーにとって重要であるという配慮から、このような処分体系が現行規約で確定されているのだろうが、法律論的に解釈するならば、権利関係の軽重からして、「機関活動の停止」の方が「権利停止」処分よりも軽く、権利の制約度が小さいということである。したがって、この場合も、「機関活動の停止」を「権利停止」に含めてしまうことは、権利の制約をよりやりやすくする改悪に他ならない。
もう一つの変更点は、処分の順番が変えられていることである。現行規約では、「権利停止」処分のほうが「機関からの罷免」よりも重いものとされている。ところが、改定案では、その順序が逆になり、「機関からの罷免」の方が「権利停止」処分よりも重いとされている。この点について不破委員長は次のように報告している。
それから従来では、「機関からの罷免」よりも「権利停止」が重いという位置づけになっていましたが、社会的に見れば、ある機関に属している者を解任するということはかなり重い処分に属しますので、順序からいえば、「権利停止」よりも重い位置づけにしました。
「機関」にもいろいろなものがある。規約において、選挙で構成員を選ぶことが決められている「指導機関」の場合には、その機関からの罷免は重大であり、当然、それを選んだ選出母体がやるべき処分である。他方で、党内には、規約において選挙で構成員を選ぶことがとくに決められていない「補助機関」もいろいろ存在する。その場合は、その機関からの罷免は、単にある任務から別の任務に移るだけのことであり、その重さはかなり軽い。したがって、「機関からの罷免」を十把ひとからげにして「権利停止」より重いとするのは、あたらない。
問題になるのはむしろ、その機関メンバーが専従で、その機関からの罷免とともに解雇がなされる場合であろう。これは、規約上の処分と違うレベルでその党員にとって甚大な利益損失になり、またどんな処分よりも厳しい打撃を与えることになる。この場合、処分の軽重とは別のレベルで、その党員の雇用の保障が考慮されなければならない。今回の規約改定案が、処分と一体化した「専従解雇」を念頭において「機関からの罷免の方が重い」と考えているのだとすれば、それは組織による被雇用者の一方的解雇を前提にした発想であり、それ自体として厳しい批判が向けられなければならない。