国民主義的改良主義への変質と統制強化の二重奏――規約改定の意味

20、第11章「規律」に見られる改悪(3)
 ――中央委員の処分

 もう一つ、この「規律」の章で重大な改悪が行なわれているのは、中央委員の処分に関してである(同じことは、都道府県委員や地区委員の処分についても言える)。現行規約では、中央委員の処分に関しては、次のように決められている。

第69条 中央委員会の委員、准委員の機関からの罷免、権利停止、除名は、党大会で決定しなくてはならない。党大会が緊急にひらけないばあい、および特殊な事情のもとでは、中央委員会の3分の2以上の多数決によって決定し、つぎの党大会で承認をうけなくてはならない。

 この部分は、規約改定案では次のように変更されている。

第52条 中央委員会の委員、准委員の権利停止、機関からの罷免、除名は、中央委員会の3分の2以上の多数決によって決定し、つぎの党大会で承認をうけなくてはならない。

 つまり、現行規約では、中央委員の処分は原則としてそれを選出した党大会が行なわなければならないとされているのが、そのような原則が廃棄され、中央委員会の3分の2以上の多数決で決定されるとされているのである。現行規約では、「中央委員会の3分の2以上による決定」はあくまでも例外的措置である。しかるに、現行規約では、例外措置が通則に変えられている。これは重大な変更だが、不破委員長は報告の中で、それが何でもない改定であるかのように説明している。

 もう一つは、都道府県の役員、あるいは中央の役員の処分の問題です(第51条、第52条)。従来の規定では、中央委員の処分をするときには党大会で処分するのを基本にし、そのゆとりがないときには中央委員会で処分して、党大会で承認するということになっていました。都道府県委員、地区委員の場合も同じでした。しかし処分が必要な時は、その時期に必要だという場合の問題ですから、現実には、党大会まで待てるという場合はまずないのです。この規約を定めてから、党大会まで待って処分したという例は一度もありません。このように、党会議や大会まで待てない場合が圧倒的に多いわけですから、その実情にあわせて、それぞれの委員会で決定し、大会または党会議で承認を受けるという、この手続きを、一般的手続きとするように改定しました。

 この条項の歴史的背景について何も知らない人は、不破委員長のこのような説明でおそらく簡単に納得してしまうだろう。しかし、実はこれは、わが党が、レーニン時代のボリシェヴィキの基本原則を完全に裏切ることを意味するのである。
 そもそも、中央委員を選出したのは、党大会である。そして、党大会は規約において、党の最高の機関であると定められている。つまり、党の最高機関が選挙によって選出した中央委員を罷免や除名しうるのは、ただ党大会だけだということである。中央委員会は、単に党大会によって選ばれた集団にすぎない。それは、処分対象とされる中央委員と、党内の地位としては同等である。その中央委員会が同等の相手である他の中央委員を罷免したり除名したりすることは、完全な越権行為である。これは代議制度の基本中の基本であり、民主主義のイロハである。
 にもかかわらず、なぜ、「中央委員会の3分の2」云々という条項が、現行規約に入っているのだろうか? 実は、その種の条項が共産党という組織に導入されたのは、レーニン時代のボリシェヴィキ党の第10回大会においてである。このときのレーニンの説明は、引用するに値する重大なものである。この第10回党大会は、分派の禁止を決定した大会であり、ボリシェヴィキ党がその党内民主主義をしだいに枯渇させ、スターリン時代を準備することになった転換点の大会であったことはよく知られている。レーニンは、この分派禁止措置を当時の状況の深刻さ(クロンシュタット反乱、農民戦争、経済の崩壊、飢餓状態)で正当化したのだが、当時、この分派禁止措置と並んで導入されたのが、中央委員会の3分の2の多数があれば中央委員を処分することができるという例外措置であった(「党の統一とアナルコ・サンディカリズム的偏向とについて」の決議の第7項)。レーニンは、この部分について次のように説明している。まずは、レーニンの報告から引用する。

非常措置――中央委員、同候補、中央統制委員の全員を参加させた会議で3分の2の多数がみとめることを条件として、中央委員を中央委員会から除名する権限――を取り入れた第7項は、公表してはならない。すべての色合いの代表者たちが発言した特別の会議で、この措置はいくども討議された。同志諸君、この条項を適用する必要はおこらないものと思う。だが、いまわれわれが、かなり急激な転換をまえにして、分離状態を跡形もなくしたいとのぞんでいるという新しい情勢のもとでは、この条項は必要である。(『レーニン全集』第32巻、261頁)

 このようにレーニンは、この措置をあくまでも「非常措置」とし、「公表してはならない」とまで言っている。そして、「この条項を適用する必要はおこらないものと思う」と述べている。なぜ「公表してはならない」とまで言ったのか? それは、この措置が、民主主義のあらゆる原則を踏みにじるものだからである。次に、このことをより詳しく説明したレーニンの結語から引用しよう。レーニンは、民主主義的中央集権派の同志が、決議案の第7項など必要ない、そのような権限はすでに中央委員会にある、というとんでもない発言をしたことを取り上げて、次のようにはっきりと述べている。注目!

「民主主義的中央集権派」の一同志は、決議案第7項は必要ではない、中央委員会はその権限をもっていると論じた。われわれは、第7項を公表しないように提議している。というのは、この条項を適用する必要はおこらないものと思っているからである。これは非常措置である。だが、「民主主義的中央集権派」の同志が、「諸君は規約によってその権限を持っている」と言うのには、規約を知らず、民主主義的中央集権制の原則を知らず、中央集権制の原則を知らないものである。大会で選挙された中央委員会が中央委員を排除する権限をもつというようなことを、どんな民主制も、どんな中央集権制も、けっして許さないだろう(「党を通じて行なうのだ」という声)。とくに党を通じて行なうことはだ。大会が中央委員会を選出し、これに最高の信頼を表明し、これに指導権をゆだねる。そこで、中央委員会が自己のメンバーに対してそういう権限をもつというようなことを、わが党は、かつて、どこでも許したことはない。これは非常措置であって、情勢が危険なことを意識して、とくに適用されるのである。同一の表決権をもつ中央委員、プラス同候補、プラス統制委員の特別の会議が構成される。このような機関、47名からなるこのような総会は、わが党の規約にはなく、われわれの実践でもかつて適用されたことがない。だから繰り返して言うが、「民主主義的中央集権派」の同志諸君は、規約も、民主主義的中央集権制の原則も、中央集権制の原則も、みな知らないのである。これは非常措置である。われわれがそれを適用する場合はおこらないものと信じる。(同上、271頁)

 このように何度もレーニンは「非常措置」であることを繰り返し、さらには、このような措置は、「どんな民主制も、どんな中央集権制も、けっして許さないだろう」とはっきりと述べている。だから、この措置は、あくまでも決議の条項にとどまって、規約には入れられなかった。なぜなら、「どんな民主制も、どんな中央集権制も、けっして許さない」ような条項を規約に入れることは、もっと許されないからである。ところが、スターリン時代になって、規約が大幅に改悪され、この非常措置がまさに「通則」として規約に導入されることになった(1934年の第17回党大会で採択された規約の第58条)。
 わが党の現行規約では、この非常措置を規約に明記しつつも、原則としては、中央委員の処分は党大会の任務であるとされている。これは、わが党の規約の「よりましな」部分である。ところが、実際には、不破委員長自身が報告で語っているように、例外措置ばかりがとられ、原則のほうはまったく適用されてこなかった。普通の民主主義的感覚からすれば、原則に立ち返ろうとするものである。しかし、解釈改憲を積み重ねたあげく明文改憲をしようとしている勢力と同じ民主主義的感覚しか持ち合わせていない不破委員長は、この場合も、ひどい現実に規約の方を合わせようとしているのである。
 『レーニン全集』を隅から隅まで読んでいて、『レーニンと資本論』という大著作を何巻にもわたって刊行している不破委員長が、レーニンのあの発言を知らないはずがない。「どんな民主制も、どんな中央集権制も、けっして許さない」とレーニンが断言したこの「非常措置」を「通則」にするという大改悪をするときに、このレーニンの言葉が彼の脳裏に去来したのかどうかわれわれは知らない。だが、いずれにせよ、今回の規約改定案が、まさに「どんな民主制も、どんな中央集権制も、けっして許さない」ものであり、「民主主義的中央集権制の原則も、中央集権制の原則も、みな」蹂躙するものであることをはっきり言っておく。

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