日本共産党の規約改正の歴史には、ある一定の法則性がある。それはいくつかのパターンに分類することができる。
1つは、党員の統制強化という法則である。最初の規約制定以来、ほとんど大会ごとに行なわれる規約改定で、党員の権利はますます制約され、個々の党員に対する統制はますます強化されていった。この法則性は、すでに述べたように、今回の規約改定においても貫かれている。
2つ目は、国民性の強調という法則である。党員の資格に「日本人」規定が入ったことをはじめとして、この法則性の事例には事欠かない。この点でも、今回の規約改定案はすでに述べたようにこの法則を満たしている。
3つ目は、入党条件の緩和という法則である。かつては、すぐに共産党には入れないで、まずは「党員候補」になり、しばらく経過した後、はじめて党員になることができた。これは「党の純潔」を守るという「前衛の自覚」から生じている。この党員候補制はずいぶん前に廃止され、その後も、繰り返し入党条件の緩和がなされている。この点でも、今回の規約改定案は、「前衛党」規定を削除し、「共産主義者の党」という規定をなくしたことで、大いに入党条件は緩和された。
しかし、これらの法則は、今回の規約改定案において単に満たされているというだけでなく、量的にも質的にも、これまでの歴史を画する新しい水準に達している。
まず「党員の統制強化」については、これまでかろうじてあった種々の権利がほぼ一掃され、さらには、インターネット時代に真っ向から逆らう形で、個々の党員の意見表明権を包括的かつ二重三重に禁止している。
「国民性の強調」についても、現行規約にある「人民」や「階級的」という言葉が完全に一掃され、「国民」一色になっただけでなく、党そのものの性格規定として「労働者階級の前衛党」から「国民の党」に変えられ、また国際主義条項が削除されることで、まったく新しい段階にいたった。
「入党条件の緩和」についても、これまでの規約改正における技術的な水準から、共産党の性格規定そのものを変質させ、革命的文言や防衛条項をすべて一掃し、改良主義に純化するというまったく新しい質的飛躍を遂げている。
これらの法則はある意味で相互に前提し、強めあっている。党の階級的・政治的輪郭がぼやければぼやけるほど、党員の政治的自覚と意識性が低くなればなるほど、それだけますます指導部を下から統制したり制御したりする力は弱まり、中央の権力はますます独裁的かつ専横的になり、ますます党内民主主義は有名無実化し、ますます指導部は自らの改良主義的政策を党員多数派に押しつけることができるようになる。だが、その一方で、なお中央の改良主義と非民主主義的体質に反対の声を上げる党員は完全にはなくならない。だからこそ、機関や組織のレベルだけでなく、個々の党員レベルでの統制を強化し、これら個々の党員の口を封じる必要が生じるのである。党指導部は、それが獲得した無統制の独裁的権力を用いて、これらの党員の口を封じ、粉砕しようとするだろう。
だが、実生活の弁証法は、党指導部の官僚的思惑を越えている。党指導部が規約を全面改訂し、個々の党員の権利を徹底的に剥奪し、党員たちを徹底的にばらばらにし、党全体を、かつてフランス・ボナパルティズムを支えた分割地農民の「ジャガイモ袋」にしようとすればするほど、それだけ党としての活動力、生命力は枯渇し、衰弱していくだろう。そのような党はますます、心ある有権者から見放され、反骨心旺盛な先進的青年に見捨てられるだろう。そうなれば、党中央はますます官僚的指導と行政的押しつけに頼らざるをえなくなるだろう。これは、政治的袋小路への道、党の政治的自殺への道である。
このような道を許してはならない。すべての党員は声を上げ、ストップをかけるべきときである。今しなければ、永遠にその機会は訪れないだろう。