革新運動の大義を裏切った決議案

9、決議案における自衛隊政策の犯罪性(7)
 ――安保と自衛隊活用論

国民をあざむく二枚舌

 自衛隊活用論の是非そのものを問う前になお究明すべき問題が残っている。6月8日付『朝日新聞』で不破委員長が自衛隊の活用について語ったとき、「同党が将来政権入りした場合」という条件しかなかった。安保条約廃棄後かそれ以前かについては何も限定がなかった。実際、このインタビューを解説した6月13日付『しんぶん赤旗』は、この見解が、安保廃棄以前の野党連合政権のもとでも、安保廃棄を使命とする民主連合政権のもとでも変わらないものとして解説した。念のため、その部分を引用しておこう。

 “野党連合政権にせよ、民主連合政府にせよ、まだ自衛隊が存在している段階で、日本が外国の侵略をうけた場合、自衛隊を活用するのか”という記者の質問にたいし、不破委員長は、「昔、自民党政権の福田首相でさえ、外国の侵略の可能性というのは、万万万が一の話だといったことがあるが、今日のアジア情勢のもとでは、実際的には考えられないことだ」と断ったうえで、「理論的にいえば、侵略に対抗する手段として、自衛隊を活用するのは、当然」と答えたものです。

 ところが、決議案発表後の読売新聞とのインタビュー(9月26日)で不破委員長は次のように述べている。

 ――自衛隊の出動を認めるのは独力対処の場合か。

 アメリカとの関係がきれいになり、本当の意味で独立国となり日本が急迫不正の侵害を受けた場合の対応。

 さてここで深刻な矛盾が生じる。2つに1つである。不破委員長自身が6月8日の朝日インタビューと読売インタビューでまったく違うことを言っており、どちらか一方において読者および党員に対して嘘をつく「二枚舌」を使ったのか、あるいは、6月13日付の『しんぶん赤旗』が朝日記者の質問について嘘をついているか、である。どちらにおいても、国民と党員をあざむき、「いちじるしく党と人民の利益をそこなう」行為である。

党の基本路線を蹂躙する自衛隊活用論

 さて次に、安保と自衛隊活用論との関係について論じたい。
 まず、自衛隊活用論が、安保廃棄以前も廃棄後も変わらぬ政策である場合。その場合、自衛隊が安保条約下においてさえ国民防衛の軍隊であるということを意味する。これは、安保条約下の自衛隊を対米従属の軍隊であり、米戦略補完の軍隊であって、日本を守る軍隊ではないと言ってきた党のこれまでのすべての主張を真っ向から裏切ることになる。しかも、安保条約がある限り、日本への攻撃は、安保条約に定められた規定により米軍との共同行動をとることになるので、この自衛隊活用論は、同時に、安保活用論であり、米軍活用論である。
 安保廃棄後にのみ自衛隊を活用する場合。この場合も、支配階級の暴力装置であり国民弾圧の武器である自衛隊を、国民擁護の軍隊であると言うことになる。これも、過去のすべての主張を覆すことになる。
 以上の点について無数の引用文を証拠として挙げることができるが、いくつかにしぼろう。
 まず1970年7月に開かれた第11回党大会における中央委員会報告(宮本顕治書記長、当時)からの引用である。

 日本の自衛隊は26万の兵力をもち、アジアの反共諸国の中でも有力な軍隊であることは明白であります。だが、それが、アメリカのアジア戦略の一部にくみこまれているばかりでなく、安保条約の規定、また作戦上の関係においても、完全にアメリカの政治的、軍事的な指揮下におかれていることは、最近の「よど号」事件における一連の経過、すなわち日本政府も知らないあいだに、「よど」号の「韓国」着陸を強制する軍事行動がとられたという事実が示しております。日本の独占資本は、「自主防衛」を口実にし、将来米軍を「自主防衛」の補完部隊にするのだということをさかんに強調しております。しかし、現実には、自衛隊が一面では、たとえば日本人民弾圧のための訓練強化にみるように、日本の支配階級の利益の擁護の使命をももっていることは明白でありますが、本質的にはアメリカのアジア戦略および、日本人民抑圧の軍事的配置の一部になっていることも明白であります。(『前衛 日本共産党第11回党大会特集』、33~34頁)

 このように、自衛隊は、「国民の安全を守る軍隊」ではなく、一方では、「日本の支配階級の利益の擁護の使命をももっ」た、「日本人民弾圧」の軍隊であり、他方では、「アメリカのアジア戦略および、日本人民抑圧の軍事的配置の一部になっている」軍隊である。もっとはっきりしているのは、まさに『しんぶん赤旗』記事が、不破の自衛隊活用論の起源であると大嘘をついた第12回党大会における「民主連合政府綱領の提案についての報告」である。このなかで、上田耕一郎幹部会委員(当時)は、いかなる誤解の余地もなく、次のように述べている。

 ではなぜ民主連合政府は、すぐ憲法9条を改正して、いまの自衛隊をつかうとか、必要最小限度の自衛措置をとるとかしないのか。それは第1に、憲法改正問題というのは、社会全体の歴史的発展に即して提起されてくる問題であって、第9条の問題だけで憲法改正に手をつけるべきではないからです。第2に、民主連合政府の安全保障上の最大の任務は、現実に日本の安全をおびやかしている日米軍事同盟を解消して平和・中立化を達成すること、アメリカ太平洋軍の一環にくみこまれて、日本軍国主義復活の推進力となっている違憲の自衛隊の増強に正しく対処することであるからです。
 一部の議論が指摘するように、独立した国家が一定の期間軍隊をもたず国の安全保障を確保しようとするのは、それとしてはたしかに一つの矛盾であります。しかしこれは、戦後28年間、アメリカ帝国主義の占領と半占領がつづき、なんら自衛軍の名に値しない違憲の従属的軍隊を増強させてきたアメリカ帝国主義と自民党政府が、平和・中立日本と民主連合政府におわせた悪しき遺産であり、彼らに責任のある矛盾にほかなりません。日本国民は、現行憲法の平和・民主条項を完全実施し、日米軍事同盟の解消と対米従属・国民弾圧・違憲の自衛隊を解散させるのに必要な歴史的段階を通過することなしには、この矛盾を解決して、真に独立・中立の日本にふさわしい、新しい自衛の措置をとりうるつぎの段階に前進できる国民的な条件をつくりだすことができないのです。(『前衛臨時増刊 日本共産党第12回大会特集』178~179頁)

 これ以上に雄弁な証言はない。この報告は、民主連合政府のもとでは、「いまの自衛隊をつかう……とかしない」と断言し、その理由として、自衛隊が、「アメリカ太平洋軍の一環にくみこまれて、日本軍国主義復活の推進力となっている」こと、「なんら自衛軍の名に値しない違憲の従属的軍隊」であること、「対米従属・国民弾圧・違憲」の軍隊であることを挙げている。
 ところで、この報告では、「いまの自衛隊を使う」ことを明確に否定しているが、その際、「憲法9条を改正していまの自衛隊を使うかどうか」という問いに答える形をとっている。なぜか? それは、少なくとも、今の自衛隊を使うには、憲法9条を改正しなければ不可能であるとの認識があったからである。あたりまえだ。自衛隊は違憲の存在だが、その違憲の自衛隊を使うことは、もっとひどい違憲行為である。だから、現在の不破委員長や決議案が言っているような、現行憲法下で「自衛隊を使って当然」などという発想は、当時の共産党指導部からすれば、想像もつかないでたらめな意見だったのである。当時の党指導部は、最低限の憲法的常識、立憲的秩序をわきまえていた。第12回党大会の報告と、今大会の決議案とを読み比べるとき、今日の共産党指導部が陥っている堕落と変質の深さを改めて実感させてくれる。
 もう少し最近のものも紹介しておこう。1987年2月5日付『赤旗』は、ずばり「自衛隊は『国』を守るか」という表題をもった記事を掲載している。そのなかの一部を引用しよう。何よりもそこで紹介されているのは、わが不破委員長の発言だからだ。

 はたして自衛隊は「国を守る」のか――。
 日本共産党の不破委員長は3日、衆院本会議で「自衛隊が、自国の主権と安全を守る独立国の軍事力ではなく、違憲の存在であると同時に、米国の極東戦略に組み込まれた、対米従属の軍隊であって、これが増強されればされるほど、アメリカの戦争に巻き込まれる危険が強くなると強調しました。
 自衛隊は、主要武器、作戦計画、演習・訓練、基地態勢、教育などすべての面で米軍の掌握のもとにおかれた従属的軍隊であり、米戦略の一翼をになわされているのが現実です。……
 自衛隊が「領域外防衛」に踏み出し、日米軍事一体化、日米共同作戦態勢強化がすすむなかで、“米軍を守る”自衛隊の本質はいっそう明らかになっています。

 日米新ガイドラインが法制化された今日、この本質はいっそうひどくなることはあっても、より軽減されることはない。不破指導部の構想によれば、野党連合政権になっても、周辺事態法は廃棄されないらしいから、なおさら自衛隊の本質は変わらない。にもかかわらず、「国民の安全を守るため」に自衛隊を使って「当然」だというのである。

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