ここでは、第7章「21世紀の担い手――若い世代のなかでの活動を抜本的に強化しよう」と第8章「社会主義への展望と日本共産党の旗を高くかかげて」について検討する。
現在の党は若い世代の要求に答えられるか
決議案は、若い世代を取り巻く環境のいちじるしい悪化(不安定雇用、低賃金、年金改悪、競争主義など)について述べる一方、若者が、インターネットをも用いて自主的な運動をつくりだしつつあることに、肯定的に言及している。しかし、この言葉と裏腹に、党が今現在、実際にやっていることは、これとは正反対のことである。
まず第1に、青年労働者にとって最も深刻な問題になっているのは、決議案も認めているように不安定雇用の急速な拡大である。多くの青年労働者は、アルバイトやパート労働者、派遣労働者などの不安定雇用に就かざるをえない状況になっている。とりわけ、女性労働者は、若い層だけでなく、中高年層に至るまで、不安定雇用が主流になりつつあり、従来のM字型すら実現できず、生涯にわたって不安定雇用という状況すら生まれつつある。労働運動分野における最も重要な課題の一つは、この不安定雇用問題である。これは21世紀の主流の働き方にさえなるだろう。にもかかわらず、決議案は、第3章の(7)「大企業中心から国民生活中心へ」の項目では、「不安定雇用」問題について何も論じておらず、(10)の「労働運動」の項目でもまったく言及していない。かろうじて、(8)項の「少子化」のところで一言言及されているだけである。
第2に、青年労働者を取り巻く深刻な環境悪化に対する具体的な取り組みとして決議案で挙げられているのは、「とくに就職と雇用の問題の解決は重要である。ヨーロッパ諸国では、政府の責任で労働時間短縮による雇用創出にとりくむとともに、青年が職業資格をとるための訓練費や生活費を助成するなど、青年の雇用対策に政府が真剣にのりだしている。わが国でも、政府に責任をもった対策を強くもとめていく」ということだけである。実際に青年労働者を巻き込んだ労働組合運動についてなぜ語らないのか?
大量の未組織労働者の主たる部分は、中小零細企業労働者と不安定雇用労働者である。そしてそのどちらにおいても、青年と女性が多い。この分野こそ、社会変革の可能性を秘めた広大な領域である。パート労働者を組織化する試みは、一部の先進的組合(全労連系と全労協系の一部)ではすでに開始されている。しかし、全労連系の組合も含めて、日本の組合の主流は企業別組合であり、この企業別組合は、あいかわらずパート労働者の組織化に冷淡であり、しばしばパート労働者組織化の試みに公然と敵対する。こうした状況を意識的に克服しないかぎり、日本社会の変革はありえない。
第3に、インターネットを用いた運動と交流の拡大について肯定的に触れながら、今回の規約改定案で、個々の党員がインターネットを通じて意見表明することを厳重に禁じるとともに、その規約改定案が採択されないうちからすでに、インターネットにおける党員の意見表明に敵対的な姿勢を剥き出しにしている。10月20日に掲載された赤旗記事は、単に『さざ波通信』を攻撃するだけでなく、党指導部を擁護する立場から投稿することさえ、「彼らの党攻撃の目的に手を貸すことにならざるをえません」などと言って、恫喝をかけている。これほどひどいダブルスタンダードがあるだろうか? 決議案が評価するインターネットとは、ただ党を擁護しほめたたえる意見しか載らないホームページのことらしい。このような姿勢にあるかぎり、党が本当に若者の心をつかむことなどありえないだろう。
ソ連・東欧の誤りを繰り返さない保障は何か
決議案は、21世紀が「地球的規模で、資本主義をのりこえる新しい体制への条件が成熟する世紀になる」と述べている。これはとりようによっては、積極的な発言である。社会主義の実現は一国では不可能な事業である。「一国社会主義」は、ただ「一国スターリン専制政治」に堕する以外にない反動的ユートピアである。だが、社会主義革命そのものは、形式の上で民族的(国民的)であり、他の国の変革を待ってから、恐る恐る着手するべきものではない。決議案は、ここまで考えた上で、「地球的規模での資本主義の乗り越え」について書いているのだろうか?
もちろん、そうではないだろう。なぜなら、不破委員長自身がわざわざ『経済』の連載論文で、1920年代のソ連における「一国社会主義論争」に触れ、やっぱりスターリンは正しかった、一国社会主義論は正しかったと確認しているからである。だとすれば、「地球的規模で、資本主義をのりこえる新しい体制への条件が成熟する世紀」とはいったいどういう意味なのか? おそらく、それは単なる言葉である。世界全体がそうなったら、わが国もそれに便乗しよう。だが、そうならないのなら、資本主義の枠内での改革に邁進するだろう。これがこの言葉の意味するところであろう。
決議案は、旧ソ連・東欧のような「社会主義」諸国の破産を総括するとともに、綱領の次のような文言を引用している。
これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標がかかげられたが、指導部が誤った道をすすんだ結果、社会の実態として、社会主義社会には到達しえないまま、その解体を迎えた。
だが、「指導部が誤った道をすすんだ」のだとしても、なぜその「誤った道」は是正されなかったのか? 指導部が誤った道にすすんだだけで、社会全体が変質してしまうのはなぜなのか? この問題に党は答えなければならない。さもなくば、有権者は繰り返しこう尋ねるだろう。なるほど、ソ連では指導部が誤った道にすすんだのはわかった。では、君たちがその「誤った道」に進まない保障はどこにあるのか? あるいは、君たちが「誤った道」に進んだ場合、それを時機を失せず是正する保障はどこにあるのか? この問に対しては、「私たちがめざす本来の社会主義」についての素晴らしい諸原則をいくら唱えても無力である。この問に対してはただ実践的にのみ答えられる。すなわち、党それ自身の内部システムが、指導部の独裁や暴走を許さず、その誤りが的確に是正されること、党員が自由に意見を表明しても抑圧されず、逆にそうした意見交換が積極的に奨励されていること、そういったものになっていることである。
だが、わが党の内部システムは、ますますそうしたものから遠ざかるようになっている。今回の規約改定案は、その法律的総仕上げであった。『さざ波通信』に対する攻撃と、投稿者に対する弾圧は、その路線のたしかな実践である。