今回の決議案と規約改定案をあわせて読むならば、そこに込められた党指導部のメッセージは明らかである。われわれは過去の「革命」路線を捨て、体制順応の改良主義政党に向かうが、われわれに権力を保障した党内システムを変えるつもりはない、それどころか、そのシステムをいっそう強固にすることによって、この路線転換を最後までやり遂げるだろう…。
右に舵を切るために逆に締めつけを強化する、これは、ある意味でスターリニズムの法則的行動である。これと似た過程はすでに1970年代初頭にも見られた。このときにも共産党は選挙で躍進につぐ躍進をとげ、政権入りが間近にせまっていると考え、大衆運動路線をとる下部の青年学生党員を切り捨てて、議会主義へと大きく舵を切った。そのときに起きた事件が新日和見主義事件であった。この事件の規模と陰惨さは、このときの転換の摩擦力の大きさを示している。しかし、そのときの過程と現在の過程とでは、いくつかの点で重大な違いがある。
まず第1に、そのときの転換は、なお革新政党としての枠内のものであり、その重点が下からの急進的運動から上からの改革と組織戦へと移ったに過ぎないのに対し、現在問題になっているのは、革新の枠組みそのものを投げ捨て、革命の建前さえほとんど一掃することである。だが、党の秘密主義的・中央集権的体制は、まさにこの革命の目標ゆえに正当化されてきた。一方で「国民の党」を唱えながら、秘密結社的規律と党内統制を維持・強化しようとすることは、1970年代初頭のときと比較にならないぐらい大きな矛盾をかかえている。
第2に、70年代の共産党は、選挙で躍進していただけでなく、大衆運動や組織拡大の面でも右肩上がりの前進を遂げていた。社会全体の雰囲気も左翼的であり、とりわけ青年学生層がそうであった。共産党それ自身においても、青年層が党の半分近くを占めていた。それに対して、現在においては、選挙の得票においてのみ躍進が見られるが(それでさえ2000年総選挙で終焉したが)、大衆運動や組織拡大の面では重大な後退と停滞を基調としている。党内のエネルギーも衰え、青年・学生層においては空白の危機にさえ陥っている。だからこそ、あのときの転換が民青同盟全体を巻き込む大事件をもたらしたのに対し、現在は、末端にいる個々の異論派党員を各個撃破することだけが党官僚の課題になっているのである。
第3に、あのときにはインターネットという個人発信のコミュニケーション手段は成立しておらず、事件に巻き込まれた人々は25年間もの沈黙を余儀なくされた。だが、現在われわれにはインターネットという手段があり、新日和見主義事件のときのように、沈黙を余儀なくされはしない。われわれは、あのときの異論派と比べれば、量的にも質的にもいちじるしく劣るだろうが、しかし、沈黙しないという意志と自らの考えを社会に知らせる手段とを持っている。
すでに、党機構による『さざ波通信』孤立化と弾圧を狙った党内締めつけが始まっている。10月20日付『しんぶん赤旗』の記事は弾圧開始の烽火であった。それはある程度
の「成功」を収めるかもしれない。だが、われわれは沈黙しないだろう。
良心的党員は何をなすべきか? 何らかの指示を与える権限はわれわれにはない。しかし、自らの良心に照らして、今できることはすべてやるべきだとわれわれは考える。11月5日に締め切りが迫っている意見書の提出は、少なくとも必ずしてほしい。党指導部を糾弾する意見書で討論報を埋めよう! あらゆる会議の場で自分の意見を述べよう。他の党員に語りかけよう。『さざ波通信』のことを仲間に知らせよう!