岐路に立つ日本共産党
 ――第22回党大会をふりかえって

2、不破報告と不破結語の検討

機関紙誌上での討論権

 旧規約で認められていた「機関紙誌上での討論権」が削除されたことに対して不破結語は次のように説明している。

 つぎの問題は、第五条の党員の権利と義務ですが、この第四項に「党の会議で、党の政策、方針について討論し、提案することができる」という規定があります。“以前は、この部分に機関紙誌でも討論や提案ができるという中身があった、今回それがけずられているが、それは党員の権利をそれだけ削減したことになるのではないか”という質問がありました。
 現行の規約には、この部分は、「党の会議や機関紙誌」となっていますが、すぐそのあとで「ただし、公開の討論は、中央委員会の承認のもとにおこなう」という限定をつけています。つまり、もともとここで機関紙誌と書いたのは、いつでも公開の討論をやるということではなく、今度の大会でやったような、特別な全党的討論をさしてのものでした。党大会の機会に「党機関紙誌」のうえでの党員の個人意見の発表をふくめて全党的な討論をやるということは、七〇年代以来不動のかたちで確立していることですから、いついかなる場合でも機関紙誌上の討論がやられるのだという誤解を生まないように、現状にあわせて表現をあらためたもので、権利の削減ということはまったくないことを、申し上げておきます。

 これはすでに『さざ波通信』への投稿でも厳しく批判されているが、まったくもって許しがたい暴論であるだけでなく、事実関係としてもまったく間違っている。
 まず不破氏は、「この部分は、『党の会議や機関紙誌』となっていますが、すぐそのあとで『ただし、公開の討論は、中央委員会の承認のもとにおこなう』という限定をつけています。つまり、もともとここで機関紙誌と書いたのは、いつでも公開の討論をやるということではなく、今度の大会でやったような、特別な全党的討論をさしてのものでした」と述べているが、これは党員を欺くものだ。
 「機関紙誌での討論」という規定は1958年の第7回党大会で決定された規約以来のものだが、「ただし、公開の討論は、中央委員会の承認のもとにおこなう」という規定は、1994年の第20回党大会での規約改定ではじめて挿入されたものである。すなわち、党規約においては、36年間というもの、「ただし、公開の討論は、中央委員会の承認のもとにおこなう」という限定はなかったのである。しかも、不破氏が言う大会前の討論は、氏自身が言うように「70年代」になってからのものである。にもかかわらず、不破氏は「もともとここで機関紙誌と書いたのは、いつでも公開の討論をやるということではなく、今度の大会でやったような、特別な全党的討論をさしてのものでした」などと述べている。とんでもない大嘘である。
 さらに不破氏は、「党大会の機会に『党機関紙誌』のうえでの党員の個人意見の発表をふくめて全党的な討論をやるということは、七〇年代以来不動のかたちで確立していることですから、いついかなる場合でも機関紙誌上の討論がやられるのだという誤解を生まないように、現状にあわせて表現をあらためたもので、権利の削減ということはまったくない」と述べているが、これもまったくでたらめな言い分である。根本的な問題は三つある。
 まず第一に、投稿でも言われているように、70年代に大会前における機関紙誌での討論が行なわれるようになったのは、まさにこの規定があったからこそである。したがって、この規定が取り除かれるなら、大会前の討論は何ら「不動」のものではなくなる。それは、党員の権利ではなく、指導部の善意で行なわれるものにすぎなくなる。
 第二に、これは、現状が規約の規定に反して十分に党員の「機関紙誌上での討論権」を保障してこなかったことを反省するのではなく、反対に、この誤った現状を優先させて、明文的権利の方を削減するものである。これは、憲法9条に反する現実を優先させて、9条を現状に合わせて改悪しようとするのとまったく同じ水準の議論である。
 第三に、もし「いついかなる場合でも機関紙誌上の討論がやられるのだという誤解を生まないように、現状にあわせて表現をあらためた」というのが本当なら、なぜ、規約の「党員の権利」のところに、「大会前には大会議案について機関紙誌で討論することができる」という文言を入れなかったのか? なぜ「機関紙誌での討論」そのものを削除したのか? まるでつじつまが合わない。
 不破結語の説明は、現在の党指導部が、およそ権利や基本的人権について語る資格のない人々であることを雄弁に物語っている。

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