われわれの『さざ波通信』では指摘しなかったが、別刷り『学習党活動版』では、党内選挙の規定に関して自薦の権利を明示することを要求する意見が複数見られた。この点について不破結語は次のように述べている。
つぎは、党内の選挙についての第十三条の問題で、ここに「選挙人は自由に候補者を推薦することができる」という条項がありますが、選挙のさいの「自薦の権利」を明確にせよという意見がありました。
ここで「選挙人は、自由に候補者を推薦することができる」という場合、この「自由」のなかに自分を推薦する自由もふくむのだということは、すでに現行規約の当然の解釈となっていることです。
実は、だいぶ以前の時期には、この点が曖昧になっていた一時期があったのですけれども、一九七六年に党中央の通達を全党に出して、「この規定は、党内の機関役員や大会、党会議代議員などの選挙における立候補(自薦)をふくむ党員の被選挙権を認めたものであり、これが規約の原則的な立場である」ということを、規約の解釈として徹底しました。
ですから、すでにその権利が確立している問題なのですけれども、いままで公にこのことを言明する機会がありませんでしたから、この大会で、自薦をふくむのが規約の当然の解釈なのだということを明らかにすることで、解決としたいと思います。
「選挙人は自由に候補者を推薦することができる」という規定のなかに、「自薦」も含まれていることはわれわれも知っていたので、あえてこの問題については前号の『さざ波通信』では指摘しなかった。しかし、別刷り『学習党活動版』を見るかぎり、自薦の権利が十分に保障されていないと解釈する党員が少なからずいることが明らかになったのだから、「誤解」がないように、自薦の権利も規約に明示すべきではないのか? 不破氏は、何かと言うと「誤解を生む恐れがある」といって、規約の中の多くの重要な規定を削除し、また変更している。「者」というごく普通の中立的表現でさえ、相手を下に見ているという「誤解」を生みかねないとして修正された。そのような心配をするのなら、どうして、この部分の規定を、誤解の余地のないような表現に改めないのか? この不破結語で説明されたとしても、今後、いくらでも新しい入党者は出てくるし、すべての人が不破結語を読むわけではない。規約に誤解を生むような表現をなくしたいのなら、真っ先にこの部分を改定して、誤解の余地のないようにすべきである。なぜそうしないのか?
ここにも、不破指導部の一貫した姿勢が示されている。党員の権利を削除することに関しては、誤解云々を持ち出して安直に削除するくせに、党員の権利を保障することに関しては、たとえ誤解の余地があっても、文言を変えようとしないのである。
だが、推薦問題に関してもっと重要なのは、新規約でも機関による推薦が当然視されていることである。わが党においては、新しい指導機関だけでなく、上級大会(党会議)への代議員までも党機関が定数いっぱいまで推薦することになっている。この推薦制度は選挙制度を無効化し、事実上、機関メンバーおよび代議員の任命制をもたらしている。大会での討論と同じく、選挙などはまったく名ばかりであり、被選挙人はすべて現行の指導機関によって推薦される人々によって100%占められている。この重大問題について、大会ではまったく説明されていない。