民青同盟の現勢は昨年に続き今年も2万3000人で推移しており、90年代なかばから史上最低水準の超低空飛行がつづいている。しかし、この超低空飛行にも、もはや限界が近づいている。本論で検討した問題に加え、これまで同盟員の供給源となっていた「団塊の世代」の党員が残してくれた遺産の「つかいたおし」問題がある。多数の同盟員が、党活動家の「2世」であるにもかかわらず、この供給源(=「団塊の世代」党員の子どもたち)は、すでに民青の対象年限を超える世代にさしかかっている。民青が近い将来に、「一般」の同盟員を獲得できるだけの組織にならなければ、およそ組織を維持するなどできなくなる。
また、より重大なのは、このような民青の危機とは、近い将来の共産党の危機でもあるということだ。共産党は、党支部の枠にとらわれない「青年支部」方針によって、民青の後退によって断絶された党支部と民青班の対応関係の回復をはかり、昨年10月には、党としてはじめて全国規模の青年学生支部の支部長の会合を開き、青年活動家へのてこ入れを行なった。11月に行なわれた第22回党大会では大会決議としては初めて青年問題にしぼった章(第7章「21世紀の担い手―若い世代の中での活動を抜本的に強化しよう」)を立て、この問題が党組織にとっての焦眉の課題として位置づけられた。そのなかでは、「党の総力をあげ」て、「青年・学生支部まかせにしてはならない」として、最大級の強調がなされた。
しかし、共産党はいま、政治的には自国の帝国主義に順応した改良主義政党への変身を、きわめて乱暴で非民主主義的な手法をもって、敢行している最中である。それは、表向きは保守層にも受け入れられる「変身」をアピールしつつ、内部ではよりいっそうの統制強化・異論の排除を行なっている。この経過において、もっとも健全で勇気をもった青年党員が除籍される事件(リンクは、党員投稿欄の川上慎一同志のもの)が起こったことは悲しくも示唆的であった。
共産党が青年問題対策にいかなる力点を置こうとも、共産党組織の自らの民主的改革の作業を経ることなしには、およそ青年の心をつかみ、その政治的感性に働きかける能力などもたないということは、いまや明らかである。革新の旗を高くかかげ、党内民主主義を発揚する党こそが、青年に明るい未来を指し示す存在感をもつのではないだろうか。